グラッソラリー―ない ので ある―(26)

明智尚希

「1月1日:『精神疾患も大変だよ。あとで聞いた話だけど、そいつも複数の精神疾患を持っていたんだって。単なる酒好きがアル中になったんじゃなくて、まあ症状の一つが出たって感じなんじゃないかな。病名はなんていったっけな。鬱病は確実にあったな。それと不安神経症か。なにしろ鬱と神経症でかなり苦しんでるって言ってたな』」。

…(o_ _)o 鬱……

公衆の面前、土壇場で尻拭い。あれよあれよと思う間もなく突然がらんどう。出たとこ任せのアムネジア。オキシトシンをばらまいて、非合理ゆえに我信ずにする。こちたき噴射はこちたき噴射をする者の謂いである。我流の時代診断は、虎を虎と名づけた。なぜならそれが虎に見えたからだ。これをしも、ひとしなみに裏街道で、我にもあらぬ。

、(-_”\)(/”_- ) エエト…

人間と全能の神が入れ替わり、大人数な多神教となったらどうなるだろうか。無慈悲であることはできそうだが、沈黙を守り通す点は大いに疑問だ。人となった神をいかに処すべきかについて内輪でがやがやと欲得ずくで不毛なやり取りをし、答えらしい答えも見出せず、結局は神を頼り自分たちはいかに処されるべきか、持ちかけることだろう。

(/–)/(/–)/(/–)/ \(・_\)神ヨー (/_・)/カミヨー

「狭いんだから押すなよ」「押してないって」「さっきからずっとお前の体重がかかってるんだよ」「だから押してないって」「押してなくない」「あなたこそ押してるでしょうが」「俺が押すわけない」「さっきからずっとあなたの体重がかかってるんですよ」「それはお前が押してるからだ」「押してないって言ってるでしょ」「狭いんだから押すなよ」。

ガタン≠≠[。□□□。][。□□□ 。]≠≠ゴトン

時間って一人か? 二人以上か? ミンコフスキー時空やプランク時間があるからには二人以上じゃな。クソとミソみたいなもんか。しかし不思議な医療品じゃな。記憶は忘れさせるは怪我は治させるは感情は薄めさせるは。わしは神の一突きを巧みにかわして時間になりたい。もしくはドラえもん。あのタイムマシンに乗って……さて寝るか。

, ((≡゜♀゜≡)) /T タケコプタ~

「1月1日:『不安神経症のパニック障害って壮絶らしいな。急に心臓の鼓動が速くなって動悸・息切れ、めまい、発汗、そして何よりも狂うんじゃないか死ぬんじゃないかっていう恐怖心。あいつが症状に合った薬が見つかるまで、ろくに歩くことすらできなかったって。しんどい生活で二十代の大半を費やしちゃったもんな。気の毒に』」。

パニック(*_*)

深夜にジョギングをしている時期があった。十二時頃から約一時間走る。コースは決まっていて、公園とグラウンドの外周を回る。ある時も走っていると公園に人影があった。足を止めて見れば、小学一二年生くらいの女の子が小犬と一緒にベンチに座っていた。散歩かと思ったのも束の間、カチン、その子は、いや、彼女はタバコに火をつけた。

(ーoー)y〜〜〜 ⊆^U)┬┬~

何でも意味があると思うなよ。

(*^-^)ゞハイッ

道や座席を譲る。落し物を拾って差し上げる。行き方を丁寧に教える。善行をしたという自意識はとかく過剰になりがちだ。報酬の二文字が頭をよぎる人も少なくないだろう。全能の神は卑劣な性根が嫌いとみえる。善い行いを自覚的に実践した人用に、ストックから罰をばらまく。財布を失くさせたり、知人を仏故させたりと自由自在である。

神様お許しを...( TーT)m 乂 ( ̄x ̄)バツ!

知情意の調和がとれてないだいだらぼっちの旦那が、年年歳歳小塚っ原の病院に詰めきりなのはなぜじゃ。ああかこちたいかこちたい。そんな自己矛盾仮説。角度欠損があるから、のっぺりしておる。世の中みんなご自愛専一に所感を述べるから、有為転変は胡散臭いんじゃ。ぶっちがいに赫々たる夜の太陽が、深慮遠望する頬かむりとなる。

d( ̄  ̄) オワカリ?

「1月1日:『おっと。すまん。ちょっと電話。あもしもし。うん。はいはい。大丈夫だよ。うん。うん。うん。そうなんだ。うん。うん。はい。へえー。うん。あもしもし。なんか聞こえづらいよ。声が遠い。うん。まあいいや。だからいいって。うん。うん。はいはい。了解。じゃあまた連絡ちょうだい。できればメールで。はいはーい』」。

(*・ω・d)~~~~~~~~~~(b・ω・*)モシモーシ

理想は高く持て。苦労は買ってでもしろ。希望を持て。夢を持て。お年寄りを大切にしろ。一生勉強だ。努力は報われる。継続は力なり。光陰矢のごとし。一寸の光陰軽んずべからず。小中学校の教師の常套句である。嫌というほど知っている。だが知っているところで何になる。逆の意味に解釈したほうが、生や現実と縁がありそうである。

∥ヘ(′ェ`)ゝ__」ふぅぅん

むか〜しむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは川へ洗濯に、おばあさんも川へ洗濯に行きました。すると、川上から何やら大きなものが、どんぶらこどんぶらこと流れてきました。よく見れば大きな桃でした。驚いたおばあさんでしたが桃を持って帰り、包丁で切ってみると「だからわしじゃて。これで何度目だ」。

( 桃 )ヽ(・o・ヽ) キャッチ!!

相変わらず昔は良かったブームが続いてるようじゃが、ほんとに良かったのかっての。大気汚染に水質汚濁、それに伴う公害、物は少なく、みんな貧しかった。将来は二十一世紀は、素晴らしい世の中になるなんて思ってた時代じゃ。過去における未来、つまり現在が期待外れだったということもあるんじゃろうなあ。ああ大正時代が懐かしい。

(´、ゝ`) アソ

重度の不安・恐怖・心痛といった精神状態に落ちた時、頭脳から言葉がたちまち飛び去り消えていく。残るのは期限のない苦痛である。脳の鈍麻や怯儒を強化される。もしそれらを未着手のまま言語化できたら、あるいは他人に譲ることができたら、と思ってやまない。可能だとしたら、医療の現場や犯罪率は今とは異なっているに違いない。

┗( ̄□ ̄||)┛お、おもい。。。