いとをとる

璃葉

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幼いころに夢中になって読んだあやとりの絵本を、20数年後のいま、もういちど買いなおした。
アラスカを旅した後、北極圏の部族についていろいろ調べているとき、彼らと共通するあそびが あやとり だということがわかったのだった。
わかったと同時に、急に子供のころをおもいだしてしまい、蚤の市で買った毛糸を使って、さいきんふたたびあやとりに没頭している。
おもしろいことに、絵本をあまり見なくてもそれぞれの取り方の順序を、手はちゃんと覚えていた。

あやとりの文化は世界中にあり、起原はエスキモーからなのではないか、とか、朝鮮なのでは、とかいろいろ言われているが、謎につつまれたままだ。
北極圏の部族たちはワタリガラスやアザラシ、カリブー、漁網、五つの山、などをあらわした。
日本では、亀の甲、紙芝居、ほうき、松の葉、富士山、梯子、さかずき。挙げだしたらキリがない。
そして、日本には「あやとり」のほかにも、さまざまな呼び名があることを知った。
いととり、あみかけ、らんかん、ちどり、トキゲ、コトントリ。まだまだある。
わたしはあやとり、という呼び名で育った。
糸は、母が編み物でつかった毛糸のクズをもらって両端を繋いで輪にし、いつでもあそべるように手首に巻いていた。
「ぶんぶくちゃがま」などのあやとり唄などはうたわず、ひとり無言で、しずかにあそんでいた。

世界のあやとりで共通しているのは、身のまわりにあるものを糸にうつしこむというところだろうか。
天文、植物、動物、生活のための道具、精霊から冥界、占術めいたものまでが、両手のひらのなかであらわされる。
きっと星も月も山も見えないものも、今よりももっと身近なところにいたのだ。

幼いころ、いちばん好きなあやとりは「月に群雲(むらくも)」だった。
何度か糸を取り交わし、親指に二本掛かった糸を一本だけはずすと、するするとまるい月ができあがり、
まわりに糸が何本か張り巡らされ、月を隠す雲になる。

すくって、掛けて、はずして、ねじって、糸を組んでいく。ほどけばかたちは瞬く間に消えてしまう。
このふしぎなあそびは、絶えることなく人から人へ伝わっていくのだろうか。