闌声(らんじょう)とは、わざにたけて、
かたちをやぶるという、ある種の境地を言うそうです。
乱声(らんじょう)にも通じます。
ねんれいでなく、
好奇心があり、
悠治さんのしごとをかこむ、
そしてジャンルにこだわらず、
第一の糸は語る、
第二の糸は歌う、
第三の糸は弾く、
笙の遊びや、
箏の遊びや、
太棹の遊びや、
打ち物の遊び、
一絃琴の遊び。
糸の遊びにふりゅうのにわがひらかれ、
乱声、乱声、その戸をたたく精霊のうごきが、
きょうのおとをつたえます。
詩人のみなさん、いま詩の声(=おと)が聴かれますかと、
高田さんがそう問いかけています。
(新井さんが詩誌で十一回忌というか、十年の歳月を特集するというので、寄稿しました。)