207 定家さん、定家さん(世界最大の歌合せ・1)

藤井貞和

呼びかける、定家さん起きて。
わたしは 「別室で」という作品を書いて、
しばらく待つ。 すると、
別室のドアを生き霊が押す。(そう思えただけ)

定家さん、来て。
そうなるとわかり切っており、出会いたい。
最初から、なかった別室であり、
ただ脳裡の奥に泛かぶ。 思考という名の、

初版をひらく。 歌合せがまもなく始まる。
いたはずの聖牛の毛並みを筆にして、
これは 夢とちがう。 別室につぎつぎ乗り込む影であり、
判者も、会衆も、あしたを知らないというのに。

かわいそうだ と思う? 叙事を解体する、
草原の坂の別室。 惨劇は ことばのみで終わる。
象徴詩の苦痛に耐える言語としてのこる。
譫妄がひらく思考の雑誌に数値をのこしておいたよ。

静かな画面が流れる。 あなたには 見えない。
きのうは きょうのかたわれで、
あしたは もっと断片になる。 そんなこと わかり切って、
虚(キョ)だよな。 虚の終わる記号の前面。

ふいに曲がるかどのあちらこちらのさかいめの、
あなたが通過する昨夏の炎道も 譫妄である。 真冬の、
氷のびゃくどうも 思考の実験である。
わたしは 追う、立ち上がる。 白いみこ姿が亡霊だったと気づく。

だれ? 中世のやみからやって来て、
すっと去る、別室へ。 神の獣を別室に閉じ込める。
聖牛は 立ったままである。 惨として、
影は ものがたる。 惨として問う。 ことばがこちらを向く。

夢では ない。 別室が燃えている。
つらいな。 音数を組み合わせる歌合せ、
動画がまきもどす。 惨劇をもう一回見る、
これがさいごでありますように、世界最大のうたとうた。

数世紀にわたる、上映が断ち切られるみたい、
閃光と閃光とのあいだで。
二個よ、二個よ。 呼び出しているうたとうた、
二個の声がわたしに聞こえるというのか。

文法のない詩を終えると、出ようとする、
ドアが声なのか、わたしの日本語が文法なのか。
応えよ、別室で。 二個の誠意が、いまの汚染に耐えている。
世界に発信する、一個と一個。 

文法のない詩の訪れ。 やってくる深夜の数時間後に、
取り憑かれる鬼であるから、舞台から、
転がり落下すると思う。 二個を押し上げる天井裏。
どんな律がふさわしいか、あなたの論文を投げ入れよ。

まだ書かれない歌合せなのに、完成するというあなた。
空気を通して筆記用具を別室へ送る。 底深く講座が、
ひらかれようとする。 講師よ、受講者たちよ、
歌合せを受けよ。 その声に届かせよ。

飲むミルクの清澄な水分のように、
倒れた送電線よ、うたを送れ。
詩人たちが全員、消えたあとで、
倒れた鉄塔を修理せよ、ない「うた」のために

(起きて判者、定家さん。あしたのことばを別室に置きっ放しにして、きょうも定家さんは爆睡ちゅう。)