「新潟に火焔土器を見に行かない?」と、長年のつきあいのある林のり子さんからお誘いを受けたのは、昨年の秋のことだった。もちろん、二つ返事で「行きます!」と答えたのだけれど、電話を切ったあと笑いがこみあげてきた。1月に、豪雪地帯の新潟へ?
林さんは雪が好きなのだ。東北に暮らしていると、積雪→アイスバーン→スリップ→追突とか、積雪→凍結→転倒→骨折とか、つぎつぎ悪い連想をしてしまう。実際、私のまわりでは雪の多かった昨冬は、雪道で転び骨折する知人友人が相次いだ。でも、林さんは子どもように雪にはしゃぎ、心踊らせる。4年前くらいだったか、宮城県北部の町に泊まり翌日東京に戻るのに、雪景色が見たいとわざわざ仙台に一泊して、山形新幹線で帰っていったことがあった。その翌日、嬉々とした声で電話をもらった。「すばらしい雪景色だったの!」と。
今回の旅は、東京と宮城から中高年女子が4人参加、新潟では春日さんという方が水先案内をしてくれることになっていた。どこか修学旅行のようでもある。
とはいえ、年が明けたらコロナ感染者が増え始め、日本海側は大雪警報が出た。旅の先行きもあやしくなったのだが、みんなで念のためのPCR検査を受け、私は雪に備え仙台からゴム長靴で足元を固めて新幹線に乗り込んだ。
まる2日間、春日さん運転の大きなワンボックスカーに乗り込み、助手席でナビゲーションをしてくださる春日さんの友人のあやさんの元気な声を聞きながら、ひたすら火焔土器を見続けた。まずは、昼食もそこそこに訪れた長岡市の馬高縄文館、次に新潟県立博物館。そして新潟中越地震で大きな被害を被ったという小千谷市の山間地を訪ね、「おっこの木」という古民家の登録文化財の宿に一泊し、翌日は十日町市博物館。最後は津南町農と縄文の体験学習館「なじょもん」を訪ねて、学芸員の佐藤雅一さんからみっちり2時間の講義。すべて春日さんの段取りです。ありがとう、春日さん。ちなみに、春日さんは長岡で生ハムを、あやさんは焼き菓子をつくっている方である。予定は決めずにふらりと出かける旅もいいけれど、これだけ濃密な旅はやはり現地を熟知する水先案内人がいなければ、決して実現できない。
火焔土器って、めらめら燃える炎みたいな意匠の…?程度のおぼろげなイメージしか持っていなかったのだけれど、ここまで集中して対峙するような見方をすると、その造形のすごさに圧倒される。土器の多くは上部に4つの角を突き出していて、この角は張り出した形を保つために表と裏のある二重構造になっている。火焔とはいうけれど、水しぶきのようでもあり、頭と尻尾を持つ動物のようでもあり、鶏のトサカにも見える。この角のあるめちゃめちゃデコラティブな王冠のすぐ下はすぼまって切り替えがあり、底部に向かってたいてい縦縞の文様がつけられている。燃えさかる頭の下は、一転して凹凸の少ない静かな意匠のものが多い。
じっと見ていると、この躍動感あふれるフォルムをいったいどうやってつくったのだろうかという疑問がふつふつ沸き起こってくる。やわらかい粘土でこの大仰なデザインを実現するためには、まず板の上でこのトサカ状の角の表と裏を別々につくり、本体の上に乗っけたところで貼り合わせたのだろうか、とか。あるいはこの器全面につけられた水紋のような意匠は、まず粘土を細い紐状にして張り込み、エッジを竹べらのようなもので立てていったのだろうか、とか。いやいや、粘土を厚めにして本体をつくり、小枝のような道具で掘り下げていたのだろうか、とか。踊るような意匠は歌いながらつくったから生まれたのではないかな、とか。
これら火焔型土器とよばれる一群の土器は、信濃川流域に集中していて、地域的な広がりはそうないのだそうだ。川は重要な交通路だったろうから、船で行き来する中で意匠が伝播したのだろうか。村々で生まれた意匠が婚姻とか流通の中で広がりをみたのかもしれない。ほとんど土器の知識のない私でも、想像するのは楽しく心が踊る。雪の中の信濃川は雄大で神々しかった。やはり、水を運び人を運ぶ川がその地域をかたちづくるのだ。
東南アジア周辺の土器づくりから類推すると、たぶんつくり手は女性なのだそうである。若い人たちは食糧の採集や食事のしたくや子育てで忙しいから、年配の女性たちがになったのかもしれない。格別に造形力に優れた人があらわれ、身近な人たちがそれを模していくうちに村ごとに意匠が発展をみたのかもしれない。
冬場に土器をつくれば、おそらく寒さで仕上げた器が凍りヒビが入ってしまうに違いない。粘土は充分に乾燥させなければ焼けないだろうから、乾いた風の吹く秋に、女たちは何か呪術的な意味を込めて手を動かしたのだろうか。
それにしても、縄文の時代は1万年続いた。長い時間だと思う。明治維新から現在までざっと150年と考えると、その66倍。環境を破壊し生きものを絶滅に追い込み、すでに行き詰まって先が見えないようなところにいる私たちと縄文の人たちを、ついくらべてしまう。急激な隆盛をみた文明は、長らえることはできないのかもしれない。
豪雪地帯に暮らす人たちは、知らず知らず身の内に覚悟のようなものを育てていくのだろうと思う。あせらずはやらず、自然のめぐりに合わせて生きる時間感覚と暮らしを。車の中から、あちこちで屋根に上がり、雪下ろしをする人を見た。絶え間なく雪は降り、下ろさなければ家はつぶれてしまうのだ。何ヵ月もの間、数メートルもの雪の壁の中で暮らす人に、何で春のきざしを感じるの?と聞いたら「ブナが芽吹くとき」といっていた。真っ白な世界から淡い緑色へ。それは美しいんだろうな。遠くから答える縄文の人のことばのように聞いた。