210 黒雲本

藤井貞和

「本日、もう一つ紹介したい本が『逆転の大戦争史』(文春)です。
この本を私は自分の『非戦へ』(編集室水平線)を出版した直後に、
新刊書店で見つけました。ちょうどおなじ時期に出版されました。
この本のカバーの見返しを見て私は驚愕しました。見返しに見る、
キャッチコピーです、「旧政界秩序」では「戦争は合法で政治の、
一手段であった。戦争であれば、領土の略奪も、殺人も、凌辱も、
罪に問われない」と書かれてあります。これは私が書いた趣旨と、
まったく、まったくおなじです。これはイェール大学の法学部の、
先生お二人が渾身の力を込めてお書きになった本だとのことです。
見返しのキャッチコピーに続けて、「「新世界秩序」下に、戦争は、
非合法であり、侵略は認められない」と。「パリ不戦条約という、
忘れられた国際条約から鮮やかに世界史の分水嶺が浮上する」と。
この本にはつまり、私の本とおなじことが書かれているわけです。
私が書いたことをイェール大学の先生たちがフォローしてくれた、
逆かな、この本の海賊版を私が作成した、どちらでもよいですが、
ご紹介しておきます」(佐倉市国際文化大学にて、2020/9/12)。

「〈人類にとり戦争は不可避である〉、だから戦術や戦力を含めて、
戦争を哲学的に考察したり、様々な文学がその中から生まれたり、
という談義が、それらに対して批判的な契機を持たない場合には、
それで終わってしまう。世の中の戦争に関する考え方というのは、
しばしばこのあたりでストップしてしまう。何か戦争にうっとり、
論客が次から次へと戦争論を展開する。まだ戦争学が生まれない、
古代から近代まで、それが第一分類、つまり戦争論でありました。
第二の分類は、ちがうタイプの、たいせつな戦争論であるにせよ、
戦場での兵士、空襲、本土決戦、幼児体験などによる記録や記憶、
文学、映画、アート、戦争忌避、訴え、それらが場合によっては、
非常に強力な反戦の思想などを生み出すことがある、でもそれは、
戦争学の起点になりにくいという現実です。第三に「忘れられた、
パリ不戦条約」とイェール大学の先生たちが、言っておりますが、
忘れられているとしたらば思い出すべき、詩でいえば日本戦後の、
荒地派の詩を忘却から思い出すべき、何か新しい起点が生まれて、
戦争学を始まらせてよいのではないかと思うのです」(同、続き)。

(補足、2022/4/30)
なるほど、専門の方のご本を見ますと、パリ不戦条約というのは、
結局、無駄だったとか、ちょっと戦争を遅らせただけのはなしで、
第二次大戦を起こしたではないかとか、二、三行で片付けられて、
戦争談義にもどりますね。ベルサイユ条約には、米国が参加せず、
敗戦国のドイツに対して多大な賠償金を課して痛めつけたことが、
第二次大戦へとつながってゆく、と。ベルサイユ条約については、
よく論じられる。でも、その8年後の外交の成果でもありました。
それまでは戦争をよしとしていた国際関係から、戦争は悪である、
戦争はやめようと呼びかけて、世のなかが大きく逆転していった、
一九二〇年代の凝縮した時間がここにあるのではないかと思って、
さらに整理して『非戦へ』を作りました。不戦条約という無効性、
そうですね、各国が思惑で参加するという、政治の現実性でなく、
無効に近い百年後、あるいは二百年後へと戦争学は向けられます。

(同、続き)
三要素が〈虐殺、凌辱、掠奪〉(虐、辱、掠)とは舌を噛みそうで、
書けない漢字が並ぶ、ギャグだと思ってくれてよい、と書いたら、
友人が最近になって、「いいえ、けっしてギャグなんかではない、
ギャク、ジョク、リャクはどれが主で、どれが副か、ではないよ、
戦争の三要素だ」と、つよく支持してくれました。難民とは誰か、
虐殺の変形であり、凌辱の変形であり、そして掠奪の変形である、
と言うのです。難民には種類があるにしても、今次の東部欧州の、
虐殺を忌避するから、凌辱を忌避するから、掠奪を忌避するから、
という古典的な戦争であることが、ギャグであってはならないと、
戦争学の必要性を改まりつよく感じた、という友人のメールです。

(黒雲とは、噴煙を見ていると、空気を押しのけるから、
ほんとうは透明なかたちなんだ、と。戦争を見る論客もわれわれも、
惨害を、路上を、崩れ落ちた十五階を、難民を映像で「見る」。
それはそうだけど、戦争学は透明な平和を、非戦を見るんだ。
戦争と戦争とのあいだの端境期でよいから、一九二〇年代から、もう、
百年が経過しつつあるけれど、二百年後に向けてでよいから、
第二次、あるいは第三次ウクライナ戦争のあとでか、阻止できたか、
すべてが透明になり、分かり合え、人類の終わりに立ち会えるように、と、
友人は戦争学を提唱する。佐倉市での「講演」では〈「文学の言葉」と、
「非戦の言葉」〉と題し、『非戦』(坂本龍一、二〇〇二)を引用した。
九・一一のあと、各国の大統領や首相が、これは戦争だ、
テロは戦争だといって復讐戦にはいっていったのに対し、
坂本さんたちは逆に「報復するな、報復しないことが真の勇気なのだ」と、
そんな言い方で始めているというか、終わっている本だ。)