212 発見と状況

藤井貞和

一個の反省とは、発見とは、内心を無防備に、
道義で満たす? 古いよな、でも、
実存を既存から解放する。 「実在へ、だろ?」、
軍務のあいだ、ずっと背嚢に隠しおおせた、
『死者の書』(折口信夫)でした。 あなたの、
自死を救えなかった戦後に、悔いこそ残れ、
戯曲と詩との会話です、50年代。
真(まこと)らしさでなく、真そのもの、
荒地らしさでなく、荒地そのもの。
芸能史の、清らかな恋からの、
敗戦を超えられなかったのか、時代は、
60年代という状況へ向かいます。

(新井高子さんの『唐十郎のせりふ』(幻戯書房)という本のオンライン書評会に「参加」して、やや感想を書いたので、以下に貼り付けます。「発見」(発見の会)、「自由」(自由舞台?)、「状況」(唐さん)など、ぼんやり考えていると、私の枯渇からわりあいだいじなことがらが出てきたもようで、この際、あと出し感想を述べさせてください。民間も伝統も、日本芸能史はまっぷたつで、相容れないですね。一つはお能で、もう一つが歌舞伎です。前者は山からというか、神楽を含み、「うたい」で、楽器は鼓とか笛とか、権力者にくいこみ、宗教的にも上層部にくいいり、たいへん。後者は「かたり」で、琵琶や三味線、海からで、人形ぶり(文楽、浄瑠璃)、街道すじ、下級芸能者、差別され、これもたいへん。山本ひろ子さんが演劇を不得意だとするのも、摩多羅神が鼓を持つのも、全部、符合するからおもしろい。渡辺保さんは歌舞伎ですが、『唐十郎のせりふ』にびっくりした理由がわかる気がする。で、私はお能派? 歌舞伎派? どちらもです、はは。清濁あわせ呑む、です。私は奈良びとで、金春さんの文化。小学生の習い事のひとつに謡いがあり、同級生が何人も毎週、かよい、かれらは子方や仕舞をやってました。私はうらやましくて、母親に訊いたら、謡い本をひらいて、「経政」など、謡ってくれました。観世ではこう謡うんだと、金春さんとの違いを、小学生には高級なレクチュアでした。薪能など、かぶりつきで観るような子だったので、祖母が京都へ、能舞台(初めて)の能を観に連れて行った。演能のおわりごろに、紋付きの方がうしろに出てきて座るので、あれは何だとあとで訊いたら、「こうけん」という、偉いひとが出てくるんだと。あれはだれだったのかな、もしかしたら喜多六平太、年代が合わない、もしかして金剛巌、写真で見るとちょっとちがうかな。70年代には三信遠に神楽系の芸能を追っかけ、80年代になり、琵琶法師を九州に追いかけ、結果的に清濁合わせ呑むにいたった次第です。『唐十郎のせりふ』は、60年代の状況劇場(花園神社、新宿西口公園事件)から現代へ、橋が架けられました。状況と言えば、「恭しき娼婦」や「蝿」「悪魔と神」、サルトルの演劇から唐さんははいったかと思っていました。サルトルその人が声明に言う、「あの連中は、自分と無関係さ」。でも、あの連中とは『存在と無』の愛読者なのだから、と。『加藤道夫全集』より。)