仙台ネイティブのつぶやかき(68)ミヨコのギフト

西大立目祥子

大晦日、午前11時。ちらちらと雪が舞ってきた。日本海側が大雪の予想のときは太平洋側にも山を越えて雲が流れてきて、仙台でも雪が積もることがある。寒さきびしい年越しだ。
母は、9時前にデイサービスのお迎えの車がきて出かけていった。認知症という診断を受けて、そろそろ20年だけれど、大晦日と元日に家にいない、というのは初めてだ。昨年(2021年)は新年明けてすぐ転倒して救急車を呼ぶ事態になったこともあって、このお正月は預けることに決めた。少し楽な気持ちになって、おせちの仕上げにかかる。

 このところ、母の認知症の進行が著しい。ことばの理解が難しくなってきていて、ジェスチャーを交えないと、私が何をいおうとしているかがわからない。トイレも着替えも洗面も、脇にぴったりと張り付いて手助けしないとひとりでは無理。夕暮れで暗くなったガラス窓に映る自分を誰か親しい人のように思うのか、話かけたりするのだから、歯磨きのときに鏡に映る姿も自分ではない誰かと認識しているのかもしれない。もうとうに、そばで介助する私のことを娘とは思っていない。

 でも、認知症が進行してうつうつぼんやりとしているのかというと、決してそうではない。そわそわと動きまわることが多いし、絶え間なくわけのわからないことをしゃべりまくる。デイサービスから戻った直後などは、裏返ったような甲高い声で自問自答するように話し続け、大きな声で歌ったりする。いったい何の曲かと注意深く聴いていると、「勝ってくるぞと勇ましく〜」という歌詞ではないか。めちゃめちゃになった記憶の奥底に、軍国少女にならざるを得なかった母の人生が塊のように眠っているようで、不意をつかれる。

 会話は成り立たない。話には何の文脈もなく理解不可能。生活のすべてに介助不可欠。いってみれば、生活のすべてにケアが欠かせない母。最も身近にいる私は、いろんな人たちの力を借りて何とか乗り切っているものの、ときにくたびれ果ててもうこれ以上は無理、と匙を投げたくことがひんぱんだ。

 それなのに。あらゆる場面で人の手を必要とし、娘の私にとってすら重たいやっかいな存在になりかかっているというのに。母はケアマネージャーさんにも、ヘルパーさんにも人気なのである。
 ケアマネさんはいうのだ。「ミヨコさんと話してると明るくなるの、だから会いたくなるんですよ」。ヘルパーさんも「ミヨコさんみたいな人いないもの。気持ちがいい。いっしょにいて楽しいもの」と、来るたびそう話す。

 話しているって、会話になっていないでしょ? 母が口にするのは、ちぐはぐな脈絡もなにもないことばの連発だ。そこに意味を見出だせない私は、聞いているうちに耐えきれなくなっていらいらする。でも、彼女たちは違うのだ。意味なんかなくても、感情を受け止める。
何かをいいたい、何か伝えたい思いがある。その気持ちをすくいとって、うなずきながら母の一方的なしゃべりを聞いている。「あら、そうなの」「そうなんだ」「よかったねぇ」…。そこに否定のことばは一切ない。まるごと受け止められるうち、母の表情はおだやかになって、相手を思いやるようなひと言がもれる。「がんばるんだよ」「人生、ちゃんと生きないとね」…。へぇ、この人が認知症?と思わせるようなひと言。こういう思いがけないことばにみんなが救われ、なぐさめられている。

 「そもそもミヨコさんは明るい人、楽しい人」とヘルパーさんがいう。ほかの利用者さんはどんな話をするの、とたずねたことがある。「お迎えがきてほしいっていう人もいるしね、いままで自分がされてきた嫌なことばかりをずーっと話す人もいるのよ。自慢話ばかりの人もいるわねぇ。まぁ、人が自分がよかったときのことは、ずっと長く残っているんだと思うの。でも、ミヨコさんってそうじゃないでしょう。何ていうかなぁ、いつも前向きなの」
 嫌なことをされると怒鳴ったりすることもあるけれど(例えば、病院での注射とか)、確かに母は後ろ向きではない。肯定的な人だ。

 数ヶ月前から、従姉妹が母の相手をしにひんぱんにきてくれるようになった。母の姉の娘である彼女は、母の手や一瞬一瞬の表情に自分の亡き母の面影を重ね見て、なつかしい思いにかられるようだ。実は、昨年、大病して手術をし加療のために入退院を繰り返していたのだけれど、治療が終了したいま、母のケアに通うことが闘病中に感じていた不安感を払拭するものになっているらしい。ありがとう、とお礼をいうと、彼女はいうのだ。「違うの。お礼をいいたいのはこっちなの。話していると、楽しいし、ほっとするの。だってちゃんと反応あるじゃない」
 従姉妹もまるごとの母を受け止める。うなずきながら、話を聞いている。ことばを介さなくても、感情の交歓の中で対話は成り立ち、なぐさめあう関係が生まれるのか。そこでは母は、もらうだけでなく、与える存在になっている。

 自分のことすら満足にできないことになっても、人は誰かに何か大切なものを与えられる。そして、ケアすることはケアされることでもある。少しずつ衰えていく自分のこれからの時間の向こうに、このことを忘れずにおきたいと思う。