今年は、正月の雑煮のだしに使う焼きハゼが手に入らなかった。こんなことは初めてだ。ここ数年懇意にしている魚屋さんがいて、12月中旬を過ぎたころに電話をすると、「石巻の市場には1匹も出ていない」という。「そもそも生のハゼを見かけないんだよ」という説明に、深刻な不漁を思い知らされた。年末になって再度たずねても同じ返事で、結局あきらめざるを得なかった。実は12月初旬に近所のスーパーで焼きハゼを見つけたのだが、それが煮干しといっていいほど、あまりに小さくて買う気が起こらず見逃したのだった。
雑煮のだしに、焼いて天日干しにしたハゼを用いるというのは、仙台の街場の風習である。それはおそらく、近くの海や川に出かけて釣り糸を垂れれば、簡単に手に入る魚だったからだろう。私も小学3、4年生のころ、父の知り合いの大勢の大人たちと松島湾に釣りに行き、教えられるままに釣り糸をポチャンと海に沈め静かにしていたら、ググッと強い引きがきて、けっこう簡単に大きなハゼを釣り上げたことがあった。
父が盛んに友人と釣りに出かけていたころは、下処理したハゼをガスコンロで焼き、ハエ除けの網をかぶせてベランダで干していた。洗濯物を取り込んだりするときに、うっかり蹴飛ばしてしまうこともあるほど、それほど有り難いものとは思わないものだった。自分がおせち料理をつくるようになってからは、12月に入ると魚屋とかスーパーの店先に吊り下げられ5匹一連の焼きハゼを、大きさを見比べながら買っていた。たぶん、高くても2000円をちょっと超えるくらいだったのではないかと思う。
それが東日本大震災を境に不漁に見舞われ、一気に高値になった。当時、私は定期市にやってくる石巻近くの浜でシジミ漁をする漁師さんから焼きハゼを買っていたのだけれど、震災の混乱のあと、しばらく経って再会した市で、「もうハゼは不漁でダメで、うちのじいちゃんは漁をやめるんだ」と聞かされた。シジミ漁も難しくなったから別の仕事を探すと言い、震災のときは消防団員で北上川の瓦礫の中に小学生の男の子がふるえながら生き延びているのを発見して、その子を背負って十数キロ歩いた体験をきびしい口調で話してくれた。あの人は何という名前だっけ。お元気でいるだろうか。
ともかく、海底が劇的に変化してハゼはそう簡単に入手できない魚となり、さらに手間のかかる焼きハゼは高級なだしとなった。そこに温暖化による海水温上昇が追い打ちをかけているのは、間違いない。魚屋には、もとは東北では見かけなかったマダイとかタチウオが日常的に並ぶようになったし、冬なのに大きなスズキが売場を埋めていたりする。魚だけでなく海藻も海もダメージを受けているようだ。石巻十三浜の養殖漁家を支援している友人は、暑さでワカメも昆布も収穫量がひどく減ったという。毎年、大きな鮮度のいいカキを送ってくれる気仙沼唐桑の友人からは、2週間ほど前に、身が入っていなくてまだ送れないと連絡が入った。
焼きハゼは鍋に水を張ってほおり込み、一晩おいてとろ火にかけていくと金色のだし汁がとれる。あのひかえめな味と香りは、仙台に生まれ長年慣れ親しんだ新年の味わいだ。今年はどうしたらいいだろう。先の魚屋のおじさんは、「穴子焼いてもいいだしとれるし、あとは地鶏でもいいんじゃないの」という。いやいや、穴子なんてさらにハードルが高い。それに上に紅白の板かま、伊達巻、イクラがのる仙台雑煮に地鶏は何だかミスマッチだ。
そして、これから先はどうなるのか。ハゼの不漁は間違いなく続くだろう。仙台の正月の魚はナメタガレイなのだが、そもそもタラだったのが、明治年間にナメタガレイが大豊漁となり切り替わったと聞いたことがある。案外と簡単に風習は変わるものなのかもしれない。雑煮のだしもハゼから何か別なものに置き変わっていくのだろうか。
実はもう1月1日になっているのだが、雑煮のだしを取るどころか、何で取るかも決まっていない。2025年の幸先が思いやられる。肝心なものが手に入らないとか、ぎりぎりになっても決められないとか…。