猫が家出してしまったとき、依賴すると、家のまわりを歩き回り居場所を探し当てる猫探偵のようなプロがいるらしい。たいてい猫はそう遠くへ移動するものではなく、意外に近くにじっとひそんでいるのだとか。まず当たりをつけるのは家より低い方向で、下りながらじっくりと探していくと、茂みの中とか床下のようなところで見つけることが多いという。たしかに上るよりは下る方が自然というか、楽なのだろうな。人だって階段を上がるのは億劫なわけで。急坂もゆるやかな坂も、やわらかな肉球で踏みつけて、ととととと…と猫が行く。すらりとした尻尾を伸ばしてとととと…。
そんな映像を思い浮かべるうち、ほっそりとした足は、黒い毛におおわれ鋭い爪を備えた野太い足に変わる。草を踏みつけどしどしと行くのは、熊だ。熊も、下へ下へ歩く。奥山から里へ、上流から下流へ、山の斜面をすべり降りるようにして畑へ、下る。下り切ったところで何か獲物の匂いを嗅ぎつければ、川から市街地へと斜面を這い上がり、柿の木に赤い実がなっているのを見れば、そこが人家であることなど気にすることなく一気によじのぼる。もう冬はすぐそこまできているのだ。子熊の腹を満たし、自分の胃袋に何か詰め込み、冬眠に備えなければ、急がなければ…と、熊になって想像してみる。
想像してみるのだけれど、それにしてもこの秋の事態は異常だ。森からまるで追われるようにして市街地にまで現れ、キノコ採りに入った人を襲い、人家の庭先の犬を森に引きずり入れて食う。私の頭の中では熊というのは草食性の動物という認識だったので、心底驚いた。いや驚くというよりギクリとした。何かとんでもないことが起き始めているのではないか、と。今年はどんぐりが不作と聞いていたけれど、餌となる木の実が皆無となり、空腹に耐えかね、荒立ってさまよい歩いているように思える。捕獲した熊は一様にやせていて、駆除した熊を解剖すると胃袋は空っぽだという。山にイノシシが激増し、熊の餌がなくなったのだと指摘する人もいる。20年ほど前まで、宮城県におけるイノシシの北限は県南の丸森町あたりといわれていた。でも現在は北東北でも目撃されるようになった。県北の稲作農家の知人は、田んぼ一枚が一晩でイノシシにやられたと嘆く。
もともと仙台は日本の大都市の中では例外的に川の中流域に開かれた街で、北西から南へかけて北山、青葉山、大年寺山という標高60~80メートルほどの丘陵が旧市街地を取り囲む。中でも青葉山は山全体が天然記念物に指定され、さらにその奥の山々につながり、深い峡谷も切り込んでいる。当然のことながら野生動物はすぐそばに生息していて、熊も例外ではない。これまでも何度か熊が峡谷や川をつたって街に下りくることはあって、観光名所でもある伊達政宗の墓所「瑞鳳殿」のすぐそばに出たとか、丘陵の上に鎮座する愛宕神社の参道を朝におばあさんが散歩していたら、階段の上に熊がおすわりしていたとか、いろんな話を聞いた。でもどこかおかしみを持って語る余裕があった。
でも、今年は違う。これまでとは異なるとんでもないところに現れているのだ。この春、大年寺山にある仙台市野草園で叔母の作品展を開いたことはこの稿でも書いたけれど、その駐車場前の道路に出た。秋めいてきたので、植物園散策に出かけようかなと思っていた矢先だった。目撃情報を受け、野草園は施設入口の自動ドアのスイッチを切ったらしい。その数日前にはそこから5キロほど西にある仙台市八木山動物園の駐車場にも出た。2つの施設の中間地点にある鈎取1丁目では、初めて緊急銃猟に基づく発砲で1頭が駆除された。仙台城址をめざして観光客が歩き車も通る大橋わきでも二度目撃情報が寄せられている。地元紙の河北新報には宮城県内の熊出没を知らせる「クマ目撃情報」という欄があって、たとえば10月28日を見ると宮城県内では32件もの目撃情報が掲載されている。熊は早朝と夕方に注意といわれているが、午前9時とか、午後2時、3時の出没も少なくはない。餌を求め、ところかまわず歩き回っている印象だ。
大年山の頂上には伊達家の4代目以降の藩主の墓所があり、テレビ局が管理するテレビ塔が3塔立つ。近年は公園として整備されたので、昨年は20名ほどでまち歩きをし、案内役となった私は準備のために一人で頂上を歩き回ってコース案を練っていた。3日前、そこでも熊が目撃された。大年寺山のふもとに暮らして養蜂をやり、仙台市内の猟友会のメンバーでもある知人は、「ついにうちの蜂箱が倒された。1つやられて、1日おいてまたきてもう一つ倒した。蜂蜜の味覚えたね。見に行ったら、やつは茂みの中からこっちをじっと見てるんだ。ここまでくると、もうかわいそうとは言ってられない」と話す。
大年寺山は私が子どものころから親しんできた山だ。お月見のときにススキを採りにいったり、放課後子どもだけで遊びに行ったり、姥杉を名づけられた老木をスケッチしたりした思い出がある。一度家族で出かけたとき、目の前をリスが走り去っていったこともあった。でも「熊が出るから気をつけなさい」といわれたことは一度もない。あのころ、熊たちはもっと奥山に別の世界を、別の時間を持って暮らしていたのだろうか。山にはナラやコナラ、クヌギやクリの木が生い茂り、秋になれば山のようにどんぐりの実を落とし、母熊は森の中を歩いて子熊にたっぷりと食べさせ、長い冬の眠りに入ったのだろうか。
私は正直「駆除」ということばにも、テレビに流れるハンターの銃声にも胸が痛み、親子で歩き回る熊の映像に、街に来るな、人にズドンとやれるぞと胸の内でつぶやいている。熊は森の動物の頂点にいる。その熊が人に襲いかかってくる恐怖が、熊を追い詰めていく。青森県では、害虫が運ぶ菌によるナラ枯れの被害が、今年7月から来年6月までの1年間で10万本に及ぶという。もう山からどんぐりは消えつつあるのかもしれない。人は熊の上にいる。ただ標的にするのではなく、薄くなる森、餌の取り合い…山の異変に想像をめぐらせればいいのに。