仙台ネイティブのつぶやき(57) SAVE! 宮城県美術館─出前講座の先々で

西大立目祥子

 宮城県美術館の現地存続活動を続けてきて、もうそろそろ1年になる。やはり何度振り返ってもこれは問題が多すぎる案だ。そもそも宮城県は、現地で建物を修復しながら使い続ける案を2018年に基本構想として策定していたのに、これを撤回することなく昨年になって別の部局に新たな懇話会を立ち上げ、たった2回の会議で移転の方針を決めてしまった。しかも会議は非公開で、マスコミは報道できず、しかもそこには美術家も建築家もいないというのだから、県内外から疑問の声が沸き起こるのは当然だろう。

 昨年12月から、さまざまな団体が見直しを求める要望書を相次いで県に出したことは、今年1月のこの稿で書いた。7月に、いくつかの団体と個人が“現地存続”という1点でつながり「宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワーク」(略称:宮城県美ネット)という会を設立した。
 それから3ヶ月余り。一口1000円をいただきながら会員を募っているのだけれど、ここにきて会員数が1900人を超えてきた。お金を払って活動を支援してくださる方たちなのだから、この美術館への思いの深さがわかるというものだ。会員は宮城県内が約7割、県外が3割で、中には著名な建築家もいる。会員の証として、問題を解説した冊子と「SAVE! 宮城県美術館」と書かれた缶バッチをお渡ししている。今日、美術館とは無関係のとある集まりに行ったら、年配の男性がジャケットの襟元にこのバッチをつけていてうれしくなった。

 夏の終わりから集中的に行ってきたのが、県内各所での「出前講座」だ。力になってくれそうな人を頼りに会場を確保してもらい、私たち事務局メンバーがチームを組んで出かけて問題を解説し、地元の人たちの意見を聞く。8月末の、県北、大崎市古川での開催を皮切りに、16カ所で開催を重ねてきた。どんな方たちが集まってくれるものか、当初は手探り、こわごわだったのだけれど、行く先々に待っていてくれる人たちがいて美術館とのかかわりを熱心に話してくれるので、着実に運動が広がっているという手応えを感じる展開となってきた。10月は土日の予定のdほぼ全部が、この出前講座で埋まった。

 もちろん、地域によって温度差はあるし、反応は異なる。でも、美術館に行こうと思い立てばすぐに行ける距離に暮らす仙台市民とは違って、地方に暮らす人たちにとっての宮城県美術館は遠い存在なのではないかという私たちの心配は見事にくつがえされた。そうひんぱんには行けなくても、美術館は芸術、文化にふれるための特別の大切な場所であり、だからこそ美術館で過ごす時間はかけがえのないひとときになっているのだ。

「公民館の企画として、美術館の特別展のたびに、バスを仕立てて文化鑑賞会と称する会を主催してきたんです。個人ではなかなか行くのが難しいのでね。参加申し込みを開始すると1日でいっぱいになる人気講座なんですよ」と話してくれたのは、県北の町の公民館の館長さん。行きのバスの中は、みんなどこか緊張した面持ちなのに、帰りは誰もがにこやかで鑑賞した絵についての話でもちきりなのだそうだ。

 1年に一度、子どもたちを連れて美術館に行くという中学校の美術の先生もいた。「外にある彫刻見てごらん、楽しいよというんです。実際、みんな庭をまわるうち、楽しい楽しいっていい始めて」。宮城県美術館には、「アリスの庭」という野外彫刻が配された庭がある。大きな尻尾を持つふくよかな大猫、カエルに乗るロボット、飛び跳ねるようなウサギ…。子どもにも大人にも人気のスポットだ。動物の彫刻をめぐるうち、気持ちが開放されていくのだろう。「どうして、教育現場に何の相談もなく決まったんですか」と、現場の先生たちはとまどいを隠さない。

 最初の開催地、古川では発言が止まなかった。私が長々と説明を続けていたら、制されて自分たちに発言させてほしいといわれ、一人が話し終えると次々と手が挙がる。多くの人が「自然豊かで静かないまの場所が、絵を楽しむのには最適」と話した。宮城県美術館は、公園の思想も盛り込まれた美術館だ。門はなく、庭は閉館後も出入り自由。その魅力を、みんなが享受しているのが感じられた。「みんなで世論を高めていきましょう」「今日は問題がよくわかりました。開催してくれてありがとう」と話す人がいる一方で、「移転してどんなメリットがあるんですか?」「こんなに県民に親しまれている美術館を、一体なぜ、移転しなければならないの?」と鋭く根本を問いかける人もいた。

 港町では、美術館の地下にある県民のためのギャラリーを、もう40回以上も主宰するアトリエの展覧会に使ってきた絵描きさんがきてくれた。「あるお父さんが、ゴム長でやってきたんです。朝の仕事を終えて、そのまま子どもの絵を見に来たんですね。来れば絵を見て、美術館をめぐる。そうやって美術に親しむ機会がつくられてきたんですよ」。もう一つ披露してくれたエピソードも美術館がどういう存在かを教えてくれるものだった。「アトリエに通っている女の子が絵を見にきて泣いてるんです。私の絵がない、と。その絵の前に連れていって、ほらここにあるじゃないかといったら、こういった。私はこんなにうまくないって(笑)」。県の大きな美術館にじぶんの絵が飾られるというのは、非日常の晴れがましいことなのだ。森に囲まれた立派な美術館はあこがれの場所であり、小さな教室での子どもたちの努力を支える存在でもあるのだろう。その人は、「美術館は企画展でたくさんの入館者を集めるということだけではなく、教育的価値を持つものでもあるんです」と話をしめくくった。

 長年、工芸の仕事をしてきた知人の男性は、「年に3回ほど、佐藤忠良記念館(宮城県美術館に併設されている)を訪ね、彫刻を見てカフェでコーヒーを飲むのを楽しみしてきた」といい、帰りがけ私に一言、こう言葉を残して帰っていった。「文化がないと、こんなことが起きてしまうんだぞ」と。

誰にないのか。知事にないのか。県にないのか。私たち県民にないというのか。とにかく前川國男設計の木々に囲まれた美術館をここに残すことができるのかできないのか、宮城県民にとっては、まぎれもない正念場を迎えている。

◎「宮城県美術館の現地存続を求める県民ネットワーク」の活動はこちらから。
ぜひ会員になってください。
https://alicenoniwaclub.wixsite.com/website/kenbinet