仙台ネイティブのつぶやき(77) はじまりの、転倒

西大立目祥子

夜9時半過ぎ。2時間半超えのミーティングを終え会館の会議室を出て、お疲れさんと声を掛け合い、蹴るように歩道を歩き出したときだった。ショーケースに貼られていた布施明のポスターに目をやった次の瞬間、何か大きなものにつまずいて前に投げ出されるように倒れ、したたかに膝を打った。痛! 別れたばかりの友人が大丈夫? と駆け寄ってきた。いったい何につまずいた? 頭の中では何か漬物石みたいなでかいものに足をとられたとしか思えなかったのに、見れば歩道が陥没してできたわずか2センチほどの段差ではないか。だいじょぶ、だいじょぶ。こういうときは、誰だって取り繕って立ち上がるものだと思う。公園わきの暗い道を地下鉄駅までそろそろ歩きながら膝を見ると、白いチノパンが大きく破れ血がにじんでいた。座席に座り、向かい側の人が驚かないように持っていた紙袋で膝を隠すようにして家に帰った。

ぼこぼこした敷石の目地の部分にガツンと膝が当たったようで、ぺろりと表皮がむけ二筋凹みができていた。大きめの絆創膏を貼ってもなかなか血が止まらない。やれやれ。それにしても転んで血を流すなんていつ以来だろう。言い訳はあれこれできた。何といっても薄暗い夜道だったのだ。それにいつもの履きなれた先が少し上がったのとは違うスニーカーだった。それにそれに、ポスターに気をとられていたしねぇ。同時に、数日前に会った元の上司が、喜寿を迎え「よくつまずくようになった」といっていたのが耳元に蘇ってくる。70歳を迎えた友人も、「この間、家の前の路地で転んじゃったんだよ」といっていた矢先、そう日が経たないうちに家の階段を踏み外したらしい。

そういえば、今年1月、小正月の行事の取材で小さな神社に出向いた際、帰りに参道の石段で足をすべらせて、反射的に右手をついてしまい手首が腫れ上がったことがあったっけ。翌日から友人たちと新潟に旅行に出ることになっていて、ひどく痛む手首に一晩湿布を巻いたら何とか腫れが引いて新幹線に乗り込んだのだった。あのときも、石段に雪が残っていたとかすべりやすい靴だったとかじぶんに言い訳していた。つまりは今年2度めの転倒なのだ。考えてみればあのときも夜だった。評論家の樋口恵子さんが新聞か何かでしゃべっていた。「70代はつまずいて転ぶんです。90歳になると立っているだけでふわりと倒れるんですよ」 つまずき始める70代。暗がりでは70代と思え、ということなのか。老年のはじまりのお知らせなのかもしれないなぁ、これは。

血がにじむ膝小僧を見ていて子どもの頃を思い出した。どうしてあんなに転んで膝をすりむいてばかりいたんだろうか。でも、すぐにかさぶたが盛り上がってきてむず痒くなり、気になってはがしたくなる。少し無理してはがすと、生まれ出た表皮が破れまた血がにじんできて、しまったと思うのだった。子どもは頭が大きいから転びやすいというのは本当だろうか。2、3歳ならともかく、小学校の低学年から10歳前後の子どもたちなんていちばん敏捷で活発に見える。思えば、ぐんぐん背丈が伸びる時期。1年に何センチも成長するのだからからだを動かすときのバランス感覚は微妙に違ってくるだろう。そのバランス感覚をつかさどる心臓部、パソコンでいったらCPUがその成長の早さになかなか追いついていかないからじゃないのだろうか。老年は逆で、運動をつかさどる心臓部はしっかりと変わらずに動いていても、かんじんのからだの機能が低下しているから、その働きを受け止めきれずにオーバーフロー、次の瞬間ばったり転倒…。そんなふうに思える。

あらためて歩くという行為を考えてみると、二本足歩行のヒトが前に進むためには、一本足立ちになる瞬間がある。一本足でこけそうになるから、支えようとして次の一歩が踏み出せるというわけか。前進するために不安定さを必要とするって、そもそもその存在からして無理があるような。では、ネコは? 四つ足のネコは転ばない。高いところから飛び降りたりするとき以外はね。でも歳をとればネコの足も衰える。来年20歳になるうちの最高齢ネコは、いつも後ろの右足をひきずるようにして階段を上がっていく。これまで看取ったネコたちは、いよいよ死が近づくと四本足でも歩けなくなってへたりこむのだった。

歳をとっても敏捷なのは、私のまわりでは山登りをしてきた人たちだ。H先生は85歳。いつだったか集まりの帰り道にいっしょに歩いていたら、あ、タクシーだ、俺あれで帰る、とダッシュして車を止め乗り込んでいった。意思とからだの動きに何の誤差もタイムラグも生じていない。先月まち歩きでお世話になったS先生は80歳。百名山はもちろん、外国の山々も登攀してきた人だ。何か鍛錬を?とたずねたら、「登山が鍛錬になっているんでしょうね」と明快。お二人とも誰に対しても気持ちを開いていて朗らかで、これは重いリュックを背負いつつ空や木々を仰ぎ見る山登りがつくりあげたものなのかな、と感じさせられる。接していると、何千メートルの山々は無理にしても、数百メートルの山をハイキングしたいものだな、と思わずにいられない。

その前にまずは、転ばないことか。夜道を歩くときは気をつけよう。そして、いい歳をしてかさぶたを無理にはがしたりしないようにするよ。