実は種ってややこしい

大野晋

まず、「みはたねってややこしい」と読まないで欲しい。「じつはしゅってややこしい」という生物の種類、分類に関するお話である。

以前にもとりあげたように、昨年の年末から今年の夏にかけて、有名な植物図鑑の改訂版が出版されている。植物は科、属、種というという分類ルールで分類されている。例えば、吉野山を彩る山桜はバラ科サクラ属のヤマザクラという種類に分類されている。今回の図鑑の改訂の目玉とされているのは、AGPⅢと呼ばれる葉の葉緑体の中に中にある遺伝子の組成に着目した分類体系の採用ということらしい。かつて、葉緑体は独立した生物だったものが植物の中に後から取り込まれたと考えられており、比較的簡単なこの遺伝情報を比べると、植物に取り込まれてからの時間がわかると仮定して、植物の進化の道筋をこの仮定のもとに整理したのがAGP分類体系だ。ところがこれを採用したことで、これまでの分類体系が大きく変わってしまったことが少々の混乱をもたらそうとしているような気がしている。

これまでの植物の分類は形の違いで区別していた。これは人間がなにかを分ける場合の必然だと言ってよい。そして、全部の植物を並べた上で、近いものを同じ科や同じ属に、そして形態の似たものをある仮説の上で並べて、分類の体系とした。いわゆるエングラーやその分類を再検討したグロンキストといった人の作った分類体系が図鑑にも採用されていて有名である。まあ、ドイツ人医師だったシーボルトが日本植物誌を作った昔から、植物の研究者は形態に着目して植物を分類してきている。また、つい最近まで、目新しい植物を収集する職業も存在した。大航海時代のイギリスではプラントハンターと呼ばれる人たちが全世界の珍しい植物を持ち帰った。そのコレクションは王立のキュー植物園というものまで作り上げたし、もちろん、アジサイやツツジなどの日本の植物を欧州に紹介したシーボルトもまたプラントハンターだと言ってよいだろう。

初めて発見した植物には発見した人間の名前が学名に添えられることから、多くの植物学者が「新しい」植物を発見しようとやっきになった。日本でも多くの独自の学名をつけている牧野富太郎博士などは日本のプラントハンターだと言ってもよい。一時は小さな形態の違いに着目して皆が名前を付けまくったものだから、新植物だらけになった時代もあった。今ではもう少し整理されて、植物の種類も減ったが、学者によって植物の数が変わるのも実はそんな理由がある。残念ながら、分類は個人の研究者の見解が十分に反映されたものなのである。

一般的に植物の種類が違うかどうかを分けるポイントはこんな感じだと思っている。
(1)形が違っている
ただし、形の違いは0か、1かと言った感じではなく、ある程度の中間領域を残したものだから言い切るのは難しい。
(2)遺伝子が違う
DNAの配列がある程度わかるようになって、遺伝を司るこの遺伝子を比べれば、一目瞭然のように感じられたこともあったが、実際問題は各個体ごとに遺伝子は細かく違っている。どの違いまでが「同じ」でどの違いからが「違う」のかの線引きは実は難しい。
(3)生殖できるかどうか
受精できるかどうかは同じかどうかを調べる重要なポイントだ。しかし、完全に違う形態の植物であってもそれらを掛け合わせられることは、長い園芸品種の品種改良の歴史の中では知られてきたことだ。しかも、受精せずに単位繁殖する植物もあって、生殖できること、受精できることが種を分ける境であるわけではないらしい。
(4)生活の仕方が違う
生育地が違ったり、生活環が違うことは大きな分類ポイントにはなりそうだが、実際には大きくかけ離れた場所に同じ植物が生えているということが多く報告されている。生育地の違いで形態に差が生じると言うこともある。アキノキリンソウやイワカガミのように標高によって形態を変える植物、しかも連続的に変わる場合、異なると考えることは難しい。
(5)成分が違う
化学的な組成が違う場合には異なると考えてもいいようにも思えるが、生育条件によっても変化する特性も多く、これも確証には欠ける。

結局、どれといっても確定的な条件はなく、「同じ」か「違う」かは複数の条件から複合的に判断するしかないのである。残念ながら、現状では遺伝子といえども確証にはならない。

葉緑体の遺伝子も、よく考えると異なる道筋で似たような形になっていることも考えられ、このような「他人のそら似」が果たしてどの程度、排除できているのか疑問でもある。すべての植物が残っておらず、変化のところどころに大きな欠落した穴のある状況では最新のAGP㈽とはいえ、「仮説」の枠は抜け出すものではない。しかも、種レベルの種類の特定がいまでも昔ながらの形態の差を重視するのではダブルスタンダードではないか?という感じもする。

さて、時期はサクラの花が咲き乱れる4月。
しかし、その「サクラ」と呼んでいる植物の正式な名前をご存じだろうか? 今から30年前、信州伊那谷の河岸段丘上に生息する赤い花びらの桜を追いかけたことがある。カスミザクラという種類の桜のはずだったが、普通は白い花びらなのにそれらは赤く、たぶんエゾヤマザクラという高山性の桜との雑種のようだったが結果は出ていない。もうすぐ5月になるとそいつらが咲き始める。実はいがいと「種」というのはややこしいものなのである。