東京に初雪が降ったと聞き、すっかり厚着をして成田に着きました。思いの外気持ちの良い秋晴れで、昨日までの鬱々としたミラノの厚い鉛色の空が信じられない気がします。
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11月某日 三軒茶屋自宅
いつも機会を逃していた、中村和枝さんと山本くんの演奏会を初めて聴きにゆく。前半と同じ内容を、休憩を挟んで後半も演奏する。行き先の見えないまま聴き続ける前半と、行き先が見えていて、自分なりの筋書きを考えて聴く後半。その構造の支えを敢えて外す松平作品。
身体が鈍っているので、三軒茶屋から両国まで自転車で出かける。昨日のリゲティのリハーサルも、江古田まで自転車。
11月某日 ミラノ自宅
ボストン近郊で昔書いたヴィオラと打楽器の曲を演奏されたのは知っていたが、演奏会の様子は知らなかった。どういう事情かわからないが、曲を感激して泣き出した聴衆がいた、とのメールが届き、愕く。何となく申し訳なく、後ろめたい。あまりまともな作曲をしていなくて、大体作品がよいと言われるのは演奏家の力量に頼っている。
11月某日 ミラノ自宅
ジークフリート牧歌を読む。その昔、旋法で音楽をやっていたころ、導音の概念は3和音の第3音をずり上げることで、機能和声へ発展した。
それから200年ほど経って、第5音もずり上げることで、機能和声は飽和状態に達し、和声感も曖昧になった。過去の産物を信じているような、信じていないような増3和音。シェーンベルクらは、機能和声に限界を見出して12音へ発展したはずだが、増3和音の簡便さはよく理解していたし、その裏にうっすらと浮き上がる調性感をどこか信じていたのかもしれない。無調と呼ばれても、そこには常に過去から引きずられた機能和声の重力がのしかかっている。
11月某日 ミラノ自宅
音楽を学ぶにあたって、常識的に理解されるべき内容は、まず徹底的に学ぶ必要はある。旋律の持つ意味。低音が支える意味。内声の意味。音色。全体構造。第一主題の意味、それに続くブリッジの意味、第二主題の意味、コデッタの意味、展開部の意味。無数の表情記号の意味。アーティキュレーションの意味。趣味の良いルバート。速度の微妙な変化の方法。オーケストレーションの意味。書かれているオーケストレーションを効果的に浮彫りにさせる技術。それらすべてを、バランスよく調合する技術を学ぶ。強弱の表情。
それが出来るようになったら、多分音楽家が本来求めるべき姿は、いかにそれまで学んだバランス良い音楽を壊すかではないか。予定調和を如何にして破壊し、シンメトリカルな解釈を徹底的に排除し、毎回違うエッセンスを振りかけることによって、緊張と新鮮さを保つ。色使いも同じ色のグラデーションから如何にして脱し、めくるめく色彩のパレットを創造することができるか。
同じ音楽を再生させようとすることに、興味を失った。毎回違う音楽が生まれればよい。演奏者の期待を悉く裏切りつづけ、そこから別の次元の期待を引き出すこと。
如何に微妙な歪さを、常に保つことができるか。4声のコラールであれば、いかに均等な声部配分から逃れて、それぞれのパートに凹凸をつけて、イレギュラーにゴツゴツとした手触りが表面に感じられるようにするか。この無数の小さな不均衡のモザイクによって、光を当てたときに美しい輝きを放つ。
自分から発する情報ではなく、目の前で発せられている音をいかに観察し、調理し、還元することができるか。目の前で奏でられている音には既に豊かな色がついているのに、如何にして気がつくことができるか。レッスンでは、強拍のみ振らないで、弱拍だけで音楽をつくる試みを続けている。強拍のところに空いている穴から、演奏家の音を聴き、前後を考えながらフレーズを作る訓練。
11月某日 ペスカーラ
ペスカーラに来るだけでも、家人の恩師を思い出し少し感傷的になる。今年の年始に長男と話したときは、まだ辛うじて彼と奥さんの顔だけは解っているようだ、と言っていたが、今はどうだろう。彼と一緒にリハーサルをした時を思い出し、シェーンベルクの練習を始めると、胸が締め付けられるようだった。練習の後、近くの食堂でステーキを食べながら雑談したのが、昨日のことのようだ。クラシックの基礎が欠如していた自分にとって、彼から学んだことは数え切れない。
15年来の友人から頼まれて、ペスカーラの室内オーケストラの仕事を引き受けたのだが、演奏者の殆どがボルツァーノのオーケストラであったクラリネット奏者だったり、ディンドのやっているソリスティ・ディ・パヴィアの弦楽器奏者だったりして、演奏会のたびにペスカーラに集うのだという。
初めてオリジナル編成で「ジークフリート牧歌」を演奏したが、想像通り、磨けば磨くほど艶が出てとてもうつくしい。弦楽器を5人で演奏すると、限りなく可能性が広がってゆく。この編成ではオーケストラというより、寧ろ室内楽に、最低限必要な部分だけ指揮をつける感じ。こちらに合わせるような演奏では、この編成のよさが際立たない。バスのカデンツに耳をそばだてながら、出来る限りフレーズを長く、クレッシェンドに可能な限り時間をかけてゆく。ワーグナーのゼクエンツは、時として鳥肌が立つような、めくるめく触感に襲われる。
11月某日 ペスカーラ
所々ペンキの剝げ、色あせたペスカーラの音楽ホールの外壁は、見るからに場末という雰囲気が漂う。隣には屋外ホールがあって、夏にはジャズ・フェスティバルをやっているという。歴史が古く、デューク・エリントンもやってきたという。ミラノのブルーノートよりずっと古いのよ、と誇らしげにジーナが呟いた。音楽ホールは、一歩中に足を踏み入れると、思いの外美しく、木で誂えた内装は響きもとてもよい。なるほど海辺に建っていると、外壁が痛むが頓に早いのだろう。
ステージによじ登ろうとして、左手の薬指を捩じってしまった。この指は子供の頃に関節がつぶれてしまって一つないのだが、もう50歳近くなろうと言うのに、時としてそこに関節が残っている錯覚を覚えることがある。今回も同じで、力を入れてはいけないところに重心を掛けてしまった。妙齢の薬剤師に呆れられながら、宿の隣の薬局でボルタレンを買う。こういう時は、楽器弾きでなくて良かったと心底思う。
11月某日 三軒茶屋自宅
トップにコーヒー豆を買いに出かけ、袋に詰めてもらう際、紙袋とポリ袋を取り出して、「どちらがよろしゅうございますか」と尋ねられる。何故か解らないのだが、女性の自然な仕草と言葉遣いに甚く感激する。
カストロ死去の報に際し、すぐ頭に過ったのはジョージ・ロペスのことだった。彼は少しのっぺりした感じのアメリカ英語で電話してくるので、初めアメリカ人だとばかり思い込んでいて、随分経ってからキューバ生まれだと知った。どういう経緯でヨーロッパに辿り着いたのか、尋ねたことはない。
彼の作品が余りに素晴らしいので、何度かポートレートCDを作ろうと計画しては頓挫して、そのままになっている。長くオーストリアの山中で孤高の生活を送っていて、その頃には何度も生活が苦しい、助けてほしいと手紙を貰ったが、今はスペインで作曲を教えているはずだ。
当時は一風変わった人間としか思っていなかったが、波乱万丈の人生を歩んできたのかも知れない。カストロがいなくなった故郷を、彼はどう思っているのか。
11月某日 三軒茶屋自宅
時差呆けが辛い。昨日は朝の8時半まで仕事をして、目が覚めたら14時。
今日は朝10時からリゲティのリハーサルなので、朝の4時には無理やり布団に入って、7時半に起きて自転車で大井町まで出かける。相模湾沿いの街に近づくと、身体が無意識に懐かしさに反応する。祖父母のいる湯河原に通い、茅ケ崎と三浦半島の堀之内に墓があり、義父母は熱川に住んでいる。子供のころから横浜に遊び、大学時代は、まだ寂れ切ったままだった鶴見線に乗って、日がな一日目の前の運河を一人眺めた。
何回眺めても納得できなかった第九の3楽章後半の1フレーズが、ふとした切欠でやっと自分なりの落としどころを見つける。フレーズ構造を頑なに冒頭と関連付けていたのがいけなかった。その昔、エミリオに稽古して貰っていたころ、彼が一小節がどうにもわからなくて、ずっと一日悩んだ、と話していた。当時は全くその意味が解らなかったが、あれから随分経って、もしかしたらあの時の彼より譜読みはどんどん遅くなっている気がする。
昨夜、行き詰って、家にある家人のベートーヴェンのピアノソナタの楽譜を眺める。特に作品110を夢中になって読む。大学時代に雨田先生と一緒にこのソナタを勉強したときのことを思い出す。arioso dolenteという言葉とかpoi a poi di nuovo viventeとか、当時はイタリア語など感覚的には理解できなかったから、このAs durの音が、言葉と一緒に未だに生理的に体にしみこんでいる。
一体、まともにピアノが弾けない人間がこれをどの程度、どうやって弾いたのか、想像すら出来ないが、ともかく半年くらい、このソナタとバッハのトッカータの楽譜を開き、暇さえあればいつもピアノで訥々と音を拾っていた。作曲にも現代曲にも興味を失っていて、ariosoや最後のフーガなど、毎日音を出すだけで身体が震えていたのを、楽譜を開いて突然思い出した。あれはいったい何だったのだろう。今、あんな風に音楽を改めて感じられるだろうか。もし感じられないとしたら、本当にそれでよいのだろうか。
仲宗根さんからお便りをいただく。「こちらは子供の制服の冬服ができあがり涼しくなりました。沖縄は入学の際は夏服です。 “Smoke prohibited” 聴きました。かっこいい!素晴らしいブルースです。バリトンサックスの音がTさんと出会った頃、三十数年前によく耳にした記憶の音にあまりの近くて。Tさんは国立がんセンターで新たな治療方針が決まったとメールが届きました」
(11月29日三軒茶屋にて)