伊語で深い沈黙を表す形容詞に、tombaleつまり「墓地のような」静寂という言葉がありますが、半世紀近く生きてきて、今ほどこの言葉を反芻したことはありません。確かに電車も路面電車もバスも普通に走っているけれど、驚くほど無人です。特に妙に明るい電灯ばかり目立つ夜の電車は、薄気味悪く感じるほどです。今見られるのは、アパートの住民が家の前でのみ許されている犬の散歩をしている姿でしょうか。庭の木の枝は、めいっぱいに新芽を蓄え、すぐにでも思い切り葉を広げようとしています。息子が生まれた記念に植えた杉も、6メートルの高さに成長しました。うまい具合に大木の木陰から少しずれて、自ら伸びやすい場所をしっかり確保しているように見えます。本来なら、そろそろ庭の芝生を刈る準備をするところですが、今年に限っては、薄桃色や黄色に咲き乱れる野草を、もう暫く愛でることにいたします。
—
3月某日 ミラノ自宅
死亡者数41人。ロンバルディア州学校閉鎖より一週間。医師、看護師の大学卒業を三月に繰上げ、同時に現場登用決定。イタリアの致死率が中国より高いのは、高齢者数が多いためとの報道。
ロンバルディア南部のコドーニョが危険地域に指定される以前、北部ベルガモから或る歌手がコドーニョの演奏会に出かけ、感染を知らずに帰宅してしまった。間もなく、歌手が関係するベルガモの音楽院で急激に感染が広がり、現在も教師一人が重体のまま集中治療室から出て来られないと聞いた。演奏会など滅多になかろう片田舎のコドーニョに、この時期に限って演奏会が企画されていたなど、何故不幸は重なるのだろう。
3月某日 ミラノ自宅
一昨日は52人死亡で149人回復。昨日は79人死亡で160人回復。学校より遠隔授業の準備するよう連絡あり。イヤートレーニングの授業は、学校の授業と同じ内容で毎週ヴィデオを撮り、それに沿って各々が自習する形にし、指揮のレッスンは、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」などを、メトロノームに合わせて口三味線で歌いながら指揮して、ヴィデオを送ってもらう。ピアニスト相手に振っていると、気が付かないソルフェージュの甘さも明快になると思う。
早朝散歩に出かけ、ナポリ広場で物乞いの老女に2ユーロ渡すと、とても嬉しそうな満面の笑顔で礼を云われる。何年も彼女の前を通り過ぎてきたが、いつもとても暗い顔で、言葉すら話せると思っていなかった。
トルストイ通り角にある、中国人経営のよろず屋のシャッターに「2月26日より当局の指示により休業します。近所の皆さんに協力します。再開は当局の指示に従います」とメッセージが貼ってある。
その先の中国人経営の喫茶店のシャッターには「3月8日までコロナウィルス予防のため休業します。私たちは元気です」とメッセージが書かれていた。メルセデスは、新しい患者数が昨日少し減少したので、これが続けば抑え込みに成功したことになる、と話していた。
3月某日 ミラノ自宅
早朝は曇り。昨日の物乞いの老女は、遠くから目ざとくこちらを見つけると、満面の笑顔で大手を振って挨拶してくる。実に陽気な老女だった。今日は手持ちがなく、50セント硬貨2枚のみ渡す。昨日のマッタレルラ大統領の演説の終わり、「我々はイタリアを信じることができるはずですし、そしてまた、イタリアを信じてあげなければいけないのです」という言葉に、思わず涙が込み上げてきたのは何故だろう。
驚くなかれ、昨夕の発表では死亡者148人。学校のマルチェッロより、休校中の学生との繋がりを保つためヴィデオはとても有効だから、是非続けてとの連絡。普段教室で学生の顔を見ながら話しているものを、相手もなく話し続けるのは苦痛だが、この際仕方がない。ユーチューバーには到底なれない。ミラノと東京を結ぶアリタリア便は今日から運航休止。愚息や家人はクラスメートや友人らとヴィデオ通話で気を紛らわせたり、情報を交換している。
「自画像」の作曲は心地良いものではない。戦争、紛争地域の国歌は、軍歌のように「国威発揚」の意図も多分に含まれ、「自画像」に於いては多数の国民の死を体現する。トルコとシリアの戦況が活発になり、逃れた難民がギリシャから発砲されている。
テレビでは、世界各地でイタリア人が差別を受けているニュースの後、最初にコロナウィルスが認められたコドーニョには、ミュンヘンより来訪の中国人が疫禍をもたらしたと言っている。
ルカより家人に連絡があり、来週、無観客で演奏会を収録したいので、何か弾いてくれとのこと。皆この状況で何ができるか、必死に考えている。家人はバッハ=ブラームスの左手のシャコンヌを弾くことにした。息子が外に出たくないと愚図るのは、劇場に行きしな、コロナウィルス患者を集中治療しているバッジョのイタリア軍人病院の傍らを通るのが怖いからだ。それでも、自分がすぐ弾けるレパートリーからプーランクを選び、渋々さらい始めた。
毎日家にいるせいか、ここ暫く頻繁に台所に立っている。今朝は朝一番にスーパーに出かけて、当分暮らせるよう食料品を買い込んだ。未だ目が黒い美味しそうな鯛二尾を5ユーロで買い、昼食はアクア・パッツァで煮込み、茸で簡単にパスタも作る。美味。普段魚嫌いの息子も喜んで食べていて嬉しい。気軽に買い物に出かけられず、精の付くものを食べさせていなかったので、少々安心する。
3月某日 ノヴァラ ホテル
日本政府がロンバルディア州に対する渡航制限を引き上げた途端、日本から派遣された教員の引揚げが決まり、息子の通う日本人学校は、休校中ながら翌日終業となった。
終業式もなく、息子と家人が通信簿と学校に残した荷物を受取りに出かける間、簡単に昼食を用意し、帰宅後直ぐに食事にする。昨夜家人が作った炊込みご飯の残りを雑炊にし、嵩増しに餅を入れたのが、思いの外息子に好評だった。
食後急いで荷物をまとめ、タクシーでロット広場へ向かい、地下鉄に乗り換え見本市会場駅へ向かう。
最初にやってきた列車に乗り込み、ポットに詰めた温かい紅茶で喉を温めながら、ロンバルディア州を超えノヴァラを目指す。今日の午後、封鎖地域をロンバルディア州全体に広げるか閣議にかけられると夕べ新聞で読み、まさかそんな決定はなかろうと思いつつ、家人が月末の日本の仕事に間に合うよう出発できないと困るからと、州境を超え様子を見ることにした。
家に籠るため買い込んだ食料品を、大きなリュックに詰め込めるだけ詰め、家人と息子を友人宅に預け、こちらは小さな安宿を取る。行交う車も減り空気も澄んでいたのか、車窓の向こうに雪を頂く美しいアルプスが連綿と続いていて、それは見事であった。ノヴァラの手前で、ティチーノ川の鉄橋を越えピエモンテ州に入った途端、それまで緊張していた家人と息子は、無人の車内で思わず歓声を上げた。
夜、友人宅にて、持ち込んだ葱とズッキーニとツナでパスタを作る。閉まりかけていた宿の傍らの肉屋でノヴァラの赤ワインを購い、道すがらパンとケーキも買い足し、夕方ミラノから着いた友人二人も合流して、ワインで乾杯する。二週間、ミラノでひたすら息をこらして暮らしていて、漸く危険のないノヴァラにきた喜びを実感しながら食事を始めると、ワインが進む。アルコールは、困憊している時しか飲まない。
3月某日 ノヴァラ駅よりミラノ行車内
始発のミラノ行は何事もなかったかのように駅に佇む。ロンバルディア州他11都市封鎖が決まった途端、テレビでは中央駅やガリバルディ駅に雪崩込み、夜行列車でミラノから逃げる人々の姿を映し出していた。それと反対にミラノに向かう自分は、不思議な心地だ。ともかく家族をミラノから安全に連れ出したので、安心した。
列車が走り出す。これで暫く彼らとも会えないかも知れないが、その分仕事に専心したい。ティチーノ川を越えてロンバルディア州に戻ると、その実感がいよいよ重く圧し掛かる。
封鎖は一ケ月、4月3日迄の予定だが、その後の進展によっては、六か月継続する可能性があると新聞に書いてある。作曲して学校の課題など作っていれば何とかやり過ごせるだろう。
有事だから仕方ないが、暫く会えないのなら、その積りで家族に言葉をかけたかった。挨拶もろくに出来なかったし、息子など既にベッドで寝込んでいたから、頑張れとも言ってやれなかった。彼らが病気に罹らず、今日までやり過ごせたことで満足とする。
3月某日 ミラノ自宅
離陸直前、ローマの空港から家人が電話をかけてきたようだが、眠っていて気が付かなかった。
昨夜、葱のパスタを食べ終わる頃になって、封鎖決定の素案がどこからかメディアにもたらされた。久しぶりのアルコールで軽く酔った頭には、最初は悪い冗談としか思えなかったが、テレビをつけると、確かに記者が現在素案を閣議で取りまとめている最中だと繰返していた。
息子のように、ロンバルディアからノヴァラの国立音楽院に通う学生も多い。昨夜は素案がニュースで取り上げられた途端、もうノヴァラのみなさんと暫く会えないわね、残念ね、元気でね、というメッセージが、厄介になった友人宅の学生にも届いた。
日付が変わっても閣議の結果が出ないので、もしこのニュースが本当なら、近日中に皆でノヴァラから日本に戻ろうと話して、一旦宿に戻る。
日本に仕事のある家人と、ここ暫く学校もない息子はともかく、作曲も学校も全て放棄して日本に帰ってよいのか、もし日本に戻るとその後イタリアに直ぐに入国できるか。すっかり酔いの冷めた頭で考えると、自分は残らざるを得ないと気が付く。ミラノには、コロナウィルスで闘病中の留学生も一人いて、万が一の事を思えば、気軽に帰国はできない。夜半その旨家人に伝えると、始発に乗ればきっとまだミラノに戻れるわよ、と返事が届く。朝の5時過ぎノヴァラ駅に着くと、思いの外普通であった。労働者風のアフリカ人ばかり屯していて、列車も普通に動いた。
夜中に友人宅で用意してもらった紅茶で身体を温めながら、昨日と同じく見本市会場駅からロット駅まで地下鉄に乗り、少し怯えた心地で朝の7時に家に着いた。すると間髪開けずに、昨日遅れてノヴァラに着いた友人から、素案と違ってノヴァラも封鎖された、と慌しく連絡が届く。
昨夜の夜行列車騒ぎで今後がすこぶる不安になり、家人には封鎖のないトリノまで早急に出るよう伝え、連絡をくれた友人には先に駅へ駆けつけ、列車の運行状況を調べてもらった。彼らは7時54分のトリノ行の列車に飛び乗り、そのまま同日トリノ発の便で、ローマから東京へ戻った。
テレビをつけると、南イタリアでは、北から逃げてきた旅客を追返すやら隔離やらと、醜い騒ぎになっている。面会を禁止した刑務所で暴動。「Fuga Sud(南部への逃避)」音楽用語が躍っている。「Viaggio nel ghetto Lombardia, spacca l’Italia ゲットー状態のロンバルディアからの移動で、イタリア真っ二つ」。人々の顔から笑いが消えた。
「1メートル以内に人に近づかない。くしゃみと咳はティッシュを使い、手洗い励行。目、鼻、口はみだりに触らず、握手とキスはしないこと」とテレビは繰り返す。ジョヴィノッティがウードを携え登場するコマーシャル。「実は昔これを買ったんだけど、ずっと使ってなかったんだよね。折角のこの機会に、家で練習しているんだ。こんな日々が長く続かないといいけれど、皆も家に居よう。今は学校がなくたって、休暇じゃないんだ。ウィルス止めなきゃ」。
3月某日 ミラノ自宅
昨晩は97人死亡。早朝散歩をして行きつけパン屋に寄ると、「これからはカウンターではなく席でコーヒーを飲んでくれ」と云われる。他人と1メートル以内に近づいてはいけない条例には、カウンターでの食事を禁止する項目が入っている。月末、息子が語学研修に出かけるはずだったマルタもイタリアとの国境を閉ざしてしまった。日本でもイタリアからの帰国者は肩身の狭い思いをしていると聞いて、家人や息子が頭に浮かぶ。
学校の指揮クラスでピアノの伴奏をしているマリアが、歌を作ったから聴いて頂戴と送ってきた。
こわい伝染病のせいで わたしたちの街は
まるで病院みたい
夢かしら 頭おかしく なっちゃったかしら
第一線でわたしたちを守ってくれる お医者さんたち
これが新しい現実
わたしたちの毎日の かけがえのない一番の英雄
頑張ってと 肩を抱くことも
元気でねと 頬っぺたくっつけるのも 今はがまん
顔をおおうマスクと 大きなメガネの奥に
あなたの 誰にも屈しない力 しっかり見えてる
ウィルス研究で
どうかわたしたちを助けて 病気を治して
わたしたちは ここにいるの
頑張ってるの うんと想像力 働かせているの
暮らしも大変だけど
少しは 頭も働かせないと だめよね
どうにかなるわよ
家に閉じ込められたって
いろんなこと できるわよ
思いもかけない 夢みたり
いろんな計画 たてたり
希望 追いかけたり
新しい それぞれ違う 目に見えない世界が
きっと あなたのことも 待っているはず
伝染病がどこにいたって
どんな伝染病だって
わたしたちは負けないの
わたしから 1メートル離れていて
あなたのこと 大好きだけど
あなたからも 1メートル
そう そこにいて
今は こうしないと だめよね
頑張ってと 肩を抱くことも
元気でねと 頬っぺたくっつけるのも
今はやめて
顔をおおうマスクと
大きなメガネの奥に
あなたの 誰にも屈しない力 しっかり見えてる
思いもかけない 夢みたり
いろんな計画 たてたり
希望 追いかけたり
新しい それぞれ違う 目に見えない世界が
きっと あなたのことも 待っているはず
伝染病がどこにいたって
どんな伝染病だって
わたしたちは負けないの
https://youtu.be/C47Qbzx_15A
出席簿確認のため、久しぶりに学校に出かける。全く人気がなく、受付も無人だ。事務所のアンナが開けてくれて、がらんとした校内では、学院長のアンドレアと、アンナしか見かけなかった。「なんだか変でしょう。授業のない夏休みの雰囲気とも全然違うのよ。やっぱり」とアンナが寂しそうに呟く。本日の死亡者数は168人。夜、寝つきが悪い。欠伸のせいか、気が付くと涙がこぼれている。
3月某日 ミラノ自宅
今日の死亡者は196人。併せると827人にもなる。少しずつ数字に頭が麻痺してきている。感染者数10590人、快復したのは1045人。学校の授業のヴィデオを作るのに一日かかる。イタリア政府は必需品以外の店や喫茶店の休業を決め、WHOはパンデミックと発表。
フェデーレから便りが届く。
「こちらペスカーラ。(周りのイタリア人のように)家で隔離生活を営んでいるけれど、みんな元気。この恐ろしい体験が一刻も早く終わることを願うばかりだ。どうやら何箇月もかかかりそうだけど。自分みたいに、普段から家に居ずっぱりの人間さえも、人生滅茶苦茶だ。それだけが問題じゃないだろう。何しろ将来が見通せなくなってしまった。これが本当にやり切れない。ともかく皆で頑張ろう。一緒に乗りかかった舟なのだから。
何とか踏み止まって、跳ね返してやろうじゃないか。我々がこの危機から抜け出せたら、新しい人生を始めよう。願わくば上っ面でない、もっと成熟した展望を掲げて」。
3月某日 ミラノ自宅
人気を嫌い、朝5時半に24時間スーパーに出かけると、意外にもちゃんと開店していた。店内には同じ考えと思しき主婦が、カート一杯に買物している。一度家に戻っても未だ人気はなく、ナポリ広場まで歩きに出かけると、いつも開店していた喫茶店は軒並みシャッターを下ろしたままになっている。「当局の条例に基づき休業」などと貼ってあり、異様な光景。
現在までの死亡者は併せて1016人。快復したのは1258人。感染者数12839人。リナーテ空港は閉鎖され、今後は救急医療用の航空機発着のみ認可とのこと。ジャンベッリーニ通りの時計屋のシャッターには「Chiuso per vincere il nemico 敵を倒すべく休業」とメッセージが貼られている。
この数週間、風呂場の体重計周辺に棲みついていたトカゲを、漸く捕えて庭へ逃がす。体重を測るたびに、トカゲが一緒になって数字のところへ顔を出すのが可笑しかった。
3月某日 ミラノ自宅
これからは、朝のパンを買いに出るときも「自己宣誓証」と身分証明書を携帯して、警察に求められた際、必ず提示しなければならない。
コッリエーレ誌上で、ミラノ古謡「O mia bela Madunina わたしの聖母さま」を窓から吹くトランペット奏者が喝采、とある。名前を見ると、ずっと昔、学校の学生オーケストラで吹いていたラファエレだった。とても素敵な演奏で、吹き終わった途端、近所から一斉に「Viva Milano ミラノ万歳」と歓声が上がる。何だか自分のことのように嬉しく、誇らしい。救急車のサイレンばかり耳につく毎日のなか、こうした瞬間はかけがえがない。
ジョンソン首相が今後集団免疫を目指すと発表。大切な家族を大勢失うことになると発言、物議を醸している。日本ではイタリアからの帰国者による二次感染が批難されている。自宅待機中の家人から体調に変化なしと聞き安堵する。
日本よりお見舞いメール。「何故この程度のことでこれだけ大騒ぎしているのでしょう」。今日一日で175人死亡。併せて1441人死亡。快復した患者1966人。感染者総数21157人。
3月某日 ミラノ自宅
朝6時に近所の24時間営業スーパーマーケットに出かけると、営業時間が7時から夜半2時に変更になっていた。仕方がないのでシエナ広場のスーパーマーケットへ出かけるが、既に入口に行列が続いていて、そのまま帰宅した。昨日の死亡者は368人。延べ1809人死亡。総感染者数20603人。快復した患者は今日一日で369人。
夜9時、家を消灯した住民たちが、一斉にバルコニーから電灯を光らせ、歓声をあげる。そんな行為に意味があるか不思議だったが、実際目の当たりにして心底感動したのは何故だろう。
ここ数日、SNSで時間を決め、このように一斉に国歌を歌って医療関係者への謝意を表したり、互いの結束を確認し、士気を保とうとしている。自分もその一端を共有している。
フランチェスコ法王が、閑散としたローマの街を歩き、祈りを捧げた。日本ではイタリアの医療崩壊が話題を呼んでいて、日本人旅行者が自身のイタリアの救急病院体験など紹介している。パリ封鎖。アメリカ、ドイツ交通封鎖開始。
3月某日 ミラノ自宅
早朝出向いて失敗したので、夜11時過ぎにスーパーマーケットへ出掛ける。人に会うのが怖い。現在感染者数は23073人。快復した患者は2749人。今日の死亡者は349人で総死亡者数2158人。患者も死亡者も本来人間であって数字ではなかった。ロンバルディア州だけでも、死亡者数は212人にのぼる。今日より三善先生の形見の五線譜を使い始める。万感の思い。
3月某日 ミラノ自宅
一日の感染者数2989人、一日の死亡者数345人、総死亡者数26062人、一日の快復患者数192人、総快復患者数2941人。ベルガモで人工呼吸器が不足。ガレーラ・ロンバルディア保険担当評議員が、風邪の症状があれば、家に留まるよう市民に強く要請。ヨーロッパ交通封鎖決定。
ヴァレーゼ近郊クアッソ・アル・モンテのニコロ・カゾーニ神父が、ミラノ大司教の要請を守らず秘密裡にミサ強行。理由は「世界の終焉が始まったと見られ」、「司教らはキリストの教えを退け、国家法を優先し」、「聖カルロは裸足で聖釘と聖遺物ともに、ペストに覆われた街を歩まれた。そして我々は風邪ごときに慄いている」から。
聖カルロの逸話は、1576年ミラノを襲ったペスト禍の折、ミラノ大司教カルロ・ボッロメオが執行した悔悛の行列のこと。時代錯誤だが、従来、宗教はかかる疫禍、凶禍のときこそ、人々の心の拠り所であった。
では何の為の作曲かと自問する。これは作曲とは言えないかもしれないが。三善先生と悠治さんから共通して社会に対しての意識に影響を受け、ドナトーニから音に感情を込めないことを学んだ。オーケストラと仕事を続けてきたから、楽器としてではなく、一人の人間として彼らそれぞれの顔が思い浮かぶ。国歌は従来あまり好きではなかった。軍歌に至っては、旋律の裏に数えきれない命がぶら下がっているようで、幼少より慄いていた。
3月某日 ミラノ自宅
昨日は475人死亡。併せて2978人死亡。併せて35713人感染。1084人快復。朝からヴィデオを2つ録画し生徒に送り、彼らから送られてきたヴィデオを何度も見返して助言を送る。普通に学校で授業やレッスンをするより、ずっと時間も手もかかり、熱心な生徒は夜中の12時にヴィデオを送ってきたりする。今日の発表では、一日で415人死亡し、4480人が新たに感染した。統制を図るべく陸軍の投入が検討されている。
マリアに電話をすると、先週彼女の友人がサッコ病院で亡くなり、日曜まで茫然自失の毎日だったと云う。62歳の男性で持病があった。
「重篤患者が、孤独のなか愛する人に看取られず逝くだけでも悲劇だけれど、お葬式もあげてもらえず、遺体を満足に土に帰してあげることすらままならないなんて、本当に地獄だわ。わたしは決して未来を悲観しているのではないけれど、真実は嘘偽りなく伝えなければいけないと思うの」。
ミラノからミュンヘンに疎開中だった留学生も、ベルリン滞在中のMちゃんも日本に帰国した。毎日四通以上の通知が、日本外務省とミラノ領事館から届く。今日は遂に日本より全世界に対する渡航注意通知が届く。状況は刻一刻と変化している。
ミラノの留学生の容態が悪くなりかけた折、伝染病は素人には手助けが難しいと実感した。出かけて様子をみることも出来ない。第一、自らの外出すら困難を伴う状態である。
代りに病院に電話しようにも、具体的症状を明確に伝えられない。病床が限られていて、軽症であれば自宅療養を求められるが、重篤化した時に救急を呼ぶにせよ、呼吸困難で電話など出来るのか。ホットラインは電話が多すぎて繋がり難いとも聞く。
ここ数日、年末年始に墓参を済ませたこと、年始を両親と家族と過ごせたこと、別れる前、存分に家族へ食事を振舞っておいたことに、安堵を覚えている。
3月某日 ミラノ自宅
一日の死者627人。現在まで併せて4032人死亡。感染者数は37860人にのぼる。
夜、ジャコモとマルコから送られてきたヴィデオを見て、注意事項など書いていると、遠くから教会の鐘が聴こえる。最初は何も感じなかったが、時計を見て、改めて鐘の音を聴いて鳥肌が立つ。
弔鐘に違いない。
最近妙な時間に鐘が聴こえるものだ、頻繁に鐘が鳴るものだと不思議に思っていた。
今日からミラノに陸軍が投入されたらしいが、外に出ていないので分からない。
70体もの亡骸を近隣州の斎場で荼毘に附すため、棺を積んだ陸軍のトラックの行列が、夜半のベルガモの街を静かに進む。イタリア国内の死亡者数は中国の発表数を超えた。
3月某日 ミラノ自宅
天気良好。昼前運河の向こうのアパート群で、バルコニーから人々が口々に叫ぶ。
「家に戻りなさい。家に戻ってよ。家にいなきゃ駄目なんだから。しっかり全部見えているのよ。通報するぞ。あんたたち人間じゃない。お医者さんを助けたいと思わないの」
老若男女、女の子の大声も交じる。誰かが運河沿いの遊歩道でジョギングでもしていたのか、怒号が渦巻く。誰もがこの状況に必死に堪えているのをひしひしと感じる。
母から桜の写真が送られてきた。不思議な静けさが辺りを覆っている。
今日一日で793人死亡。併せて4825人が死亡。感染者数は42481人。
「一日でこれほど死亡者数が増えたのは初めて」。どうなってしまうのか。
3月某日 ミラノ自宅
日曜正午、街中の教会の鐘が一斉に鳴り響く。25年住んで初めて聞く、荘厳で、途轍もなく哀しい、何時までも終わることなく、さざ波のように続く弔鐘だった。
夜半、メルセデスが送ってきた、ユヴァル・ノア・ハラリがFinancial Timesに寄稿したThe World after Coronavirus https://www.ft.com/content/19d90308-6858-11ea-a3c9-1fe6fedcca75 を読んで、眠れなくなる。薄く予感しているもの、無意識に目を背けているものを、目の前に突き付けられた思い。
ベルガモのマンカ宅近所の病院でも、毎日10人は亡くなっているという。危険地域で郵便も停止している。つい先日も近所のスーパーマーケットでレジ打ちをしていた47歳の女性が突然発症し、そのまま緊急入院後3日で帰らぬ人となった。
イタリアに向け中国が発送したマスクと人工呼吸器など救援物資を、チェコ税関が不法に押収、チェコ国内の病院に既に配布済みとのニュース。各々の余裕がなくなってくると、普段気が付かない綻びが一気に噴き出す。
3月某日 ミラノ自宅
治療にあたる医師の死亡者が20人になった。1日の死亡者数651人。快復した患者数952人。
朝8時、ソデリーニ通りのスーパーマーケットに出かけると、既に無言で並ぶ先客15人ほど。寒くて堪らないので、ロレンテッジョ通りの肉の直売店でオリーブ油と卵を購い、ジャンベッリーノ通りのパン屋で牛乳やパスタ、パン、ヨーグルトなどを買う。
生徒が参考にできそうな録音がないか探していて、311翌年に演奏したモーツァルトのレクイエムの録音を聴く。合唱団に福島と関わりのある方が多かったせいか、胸に迫る演奏だったが、この状況で聴くと胸が潰されそうになる。
ミラノ留学中のAさんより電話。肺の息苦しさが戻って来たという。見舞いに行かれないが、担当教師と電話連絡を取り、緊張しながら今後に備える。
「酒盛りを彩る満開の桜の傍らを、一人自転車で駆抜ける気分と来たら、暫く前に流行った映画の一場面を追体験するようだわ」。
息子にせがまれ何度も見たのでよく覚えている。隕石落下を予め知る主人公が、壊滅を回避しようと、落下直前、住民の移動に躍起になる場面だ。家人と息子は揃って生粋の劇場型。
3月某日 ミラノ自宅
愚息15歳の誕生日。電話で話すとミラノを発った時より幾分しっかりしている。一年前、彼の誕生日を家でささやかに祝った写真が出てきた。息子と一緒に写る二人の友人も既に帰国した。「また、ミラノでお会いできる日が来ることを願っています」とその一人からメールが届く。確かに、暫くはそういうことも出来ないかとぼんやり思う。
自宅待機が解け、家人と息子は松山の海に出かけた。
昨日はロンバルディアにとって、初めて可能性が垣間見られた日となった。一日の死亡者数は602人。併せて6077人だが、新感染者数が減少傾向にあると言う。「真っ暗なトンネルのずっと先に、微かに出口が垣間見られた」とガレーラ評議員が語る。キューバとロシアより派遣された医師団到着。
このコロナ禍に於いて痛感するのは、情報の氾濫の中で、それらの情報を自らがどのように判断し、分析する必要性であり、今までになく能動的な紐解きが必要と言うこと。「自己責任」という無責任な単語だけは、どうか禁止してほしいと切望する。
ベルガモの葬儀社の話。「救急車に乗る時は至って元気で普通に話が出来たのに、そのまま病院で重篤化して逝ってしまっても、伝染病だから家族は看取ることすらできない。外出も禁じられていて、病院にも入れないから、棺にすら近づけず、亡骸は孤独の中そのまま荼毘にふされてしまう。斎場に向かう霊柩車だけでも、せめて家族の住むアパート前を通って、最後の別れを惜しませて欲しいと懇願される。本当に辛い」。
拡声器を手にした呼吸器科の女医が、病院の廊下から喉を嗄らして、大声で語りかける。
「みなさん、どれだけ聞こえるか分からないけれど。聞こえますか? イタリア中の国民がみなさんを応援していますよ。国民みんながあなた方を応援していますよ。みんながあなた方の事を祈っていますよ。思っていますよ。頑張ってください」。そうして、イタリア国歌を皆で歌う姿に号泣する。
おそらく辺りは呼吸器に酸素を送る白色騒音に満たされていたに違いない。言葉は少しでも出来た方がよい。相手の心を知るため、単語は一つでも多く、知っておいた方がよい。
3月某日 ミラノ自宅
本日は743人死亡。3612人感染者増。東京滞在中のローマの薬剤師が、何故アヴィガンをイタリアで使用しないのかとインターネットに投稿すると、瞬く間にイタリア国中に広まり、市民保護局までその話題を取り上げるほどになった。お前はどう思うかとヴィデオが回ってきて、こちらは素人で何もわからないと答えたばかりだった。東京都知事が首都封鎖の可能性を示唆。現在までコロナ禍の采配を振るってきた市民保護局長アンジェロ・ボレッリ発熱。後日陰性が確認された。
3月某日 ミラノ自宅
本日683人死亡。全体で7503人死亡。現在まで細々と続いていた国境を、完全封鎖する素案が提出。Aさんより昼前に電話あり。やはり呼吸がおかしく救急車を呼ぶと言う。Aさんの両親は何も知らないので怖くもなったが、駆付けた救急隊員の判断の下、未だ自宅療養を続けることとなった。
パリのエミリオより電話あり。演奏活動だけで暮らしていると、流石にこの状況は厳しいと言う。長男のロレンツォはパプア・ニューギニアの赤十字で働きだしたが、コロナ禍でパリに戻るべきか悩んでいるそうだ。
外に歩きに出られないので、意を決して縄跳びを始める。持病の眩暈で当初20回程度しか跳べなかったが、繰返すうち一日500回程はこなせるようになった。
3月某日ミラノ自宅
昨日の死者は712人。併せて8165人死亡。スペインで400人を超す死者、フランスで365人死亡。アメリカが世界一の感染者数となる。これだけ目まぐるしく状況が変化すれば、イタリアに来たばかりで言葉や状況に慣れない人は、どれだけ不安なことか。毎日届く外務省や領事館からのメールがどれだけ助けになっているか分からない。25年イタリアに住んで、イラク戦争もここで体験したが、これほど生々しく有事に巻き込まれたことはなかった。日本のYさんの団体からイタリアに何か支援をしたいので、窓口になって欲しいとお便りを頂戴する。
3月某日 ミラノ自宅
美恵さんが先月「来月の更新のとき、世界はいったいどうなっているでしょうか」と書いていらしたが、現在まで、こんな風にならなければよい、と想像した通りに世界は進んで来ていて、我乍ら信じ難い。本日の死亡者数969人、快復した患者数589人と聞いて言葉を失う。ここまで来ると、落胆して医療関係者の士気が落ちないか心配になる。彼ら医療関係者は、文字通りの英雄だ。街中に貼られる、慈しんでイタリアを胸に抱く看護師のポスターを、一生忘れることはないだろう。
3月某日 ミラノ自宅
昨晩は夜半2時3時にも途切れることなく救急車のサイレンが聞こえていた。今朝起きると午前中何度となく頭上を軍のヘリコプターが往復していたが、患者を搬送していたのだろうか。
家人とメッセージのやりとり。
「あなた感動的っていってたじゃない。
感動的って?
ミラノにいると、生きてる感じがして感動的と言ってました。
ここにいれば、そうなると思います。人間、生きるか死ぬかしかないのですから」。
本日の死亡者は889人。死亡者は併せて10023人。コロナ禍に斃れた患者はイタリアだけで一万人を超える。快復した患者数は1434人増えて12384人。集中治療室で3856人が病気と闘っている。4月3日に予定されていた休校中の学校再開は繰越しになった。
日本より派遣されているミラノ日本人学校の先生方は、即時帰国要請を出した政府に対し、ここに残る生徒を思って、ミラノに残れるよう粘り強く交渉して下さった。
家人は、担任の渡邊先生を「二十四の瞳」の大石先生に譬えて感激している。気持ちは充分通じるが、少し勘違いしている気もしないでもない。中山先生や丸田先生初め、病後で難しい時期の息子を、みなさんが本当に一丸となり支えて下さり、深謝に余りある。
3月某日 ミラノ自宅
昨日のイタリアの死亡者756人。併せて10779人死亡。医療関係者の死亡者数は現在まで63人にのぼる。この週末だけで13人亡くなった。イタリアで5種類のワクチンの実験が始まる。ベルガモから170基の柩が荼毘にふされるため、州外に運び出された。アルバニアより救援医療関係者到着。今日の死亡者は812人。今日の新感染者数は1648人で、ここ暫く減少傾向なのはよい兆候だそうだ。現在までの総感染者数は101739人で10万人を超えた。これが完治した患者、死亡した患者、闘病中の患者を併せた数字となる。
東京でも死亡者数4人。その一人は志村けんさん。数字はデータではない。各人が生きてきた時間が、累々とうずたかく積もるさまに他ならない。
3月某日 ミラノ自宅
この危機を越えた先に、我々は何を見るのだろう。我々には何が見えているのだろう。どこを見ているのだろう。やがて特効薬が開発され、ワクチンを世界中の人が受けられるようになったとき、今からほんの2か月前の世界に、果たして戻れるのか。周りを見渡せば、今までと同じ家族や友人たちの顔を、等しく見られるのだろうか。それとも、まるで違う光景に言葉を失うことになるのか。
50年生きてきて、何度か、音楽を罷めようと思ったことがある。交通事故で楽器が弾けなくなったとき、子供心にも無理だと諦めかけた。それから成人するまで、岐路に何度か遭遇したが、イタリア政府給費を突然止められ、文字通り無一文で困窮し、路頭に迷った時は、さすがにもう音楽と関わることもなかろうと覚悟を決めた。でもあの時に、音楽の意味を初めて実感できた気がする。
その後何時しか、図らずも慢心を起こしていたのではなかったか。コロナ禍が過ぎ再び顔をあげられるその時、あの頃の自分のように、改めて心から音楽に共感できることを切に願う。
マリアが、自宅のチェンバロとZoomを使って、トリエステの家族や友人のためホームコンサートを開いた。一曲目は、ヘンデルの「Lascia che pianga 涙溢れるまま」だった。
Lascia ch’io pianga
mia cruda sorte,
e che sospiri la libertà.
Il duolo infranga queste ritorte
de’ miei martiri sol per pietà.
涙溢れるまま
わたしの不運に思い馳せ
この嘆息は自由を求む
ああ慟哭よ 絶て
この懊悩を絡める絆
(3月31日ミラノにて)