しもた屋之噺(260)

杉山洋一

朝焼けがきれいな季節になりました。夏の酷い嵐に耐えた庭の樹は、どこかやつれて見えます。
雨ざらしだったマンション入口の天井は全て夏の嵐で剥げれ落ちていて、掃き集められたガレキが、玄関下に山積みになっています。外装がとれ剝き出しになった骨組みも、どこもすべて降り曲がっていて、どれだけ強烈な強風にあおられたのか、想像がつきません。今年のような異常気象が今後続かないことを、心から祈るばかりです。

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9月某日 三軒茶屋自宅
伊豆熱川に住む義父母と熱海で落合い、「スコット」にて昼餐。あわびのコキュールが大変美味しい。エスカルゴに舌鼓を打ちつつ、肉と魚、どちらに近い料理なのかと自問。
パンデミックがあって、義父母に会うのも3年ぶりだったが、思いの外元気そうで安堵する。息子と家人の顔に会って、彼らの顔もすっかり綻んでいた。
食事のあと海岸沿いを歩いて、駅へむかう。隣の湯河原はよく知っているが、熱海はまるで雰囲気が違って新鮮だ。熱海に比べて、湯河原はずっと規模が小さいのかもしれないとおもう。義母行きつけの喫茶店「讃」にて一同喉を潤して、解散。
熱海駅からスコットに向かう道すがら、タクシー運転手に、湯河原は良く知っているが、熱海は随分感じが違うね、と水を向けると、彼は伊東に住んでいるが伊東の人間は熱海が嫌いでね、と返答され、言葉に窮す。不思議な運転手であった。

9月某日 三軒茶屋自宅
安江さんのリサイタルを聴きに、名古屋しらかわホールへでかける。
何でもしらかわホールが来年春で閉館するという。2000年にカニーノさんと大井くんの演奏会で訪れて以来かもしれない。名古屋に降り立って驚いたのは、地下鉄ホームに溢れんばかりに並ぶ人いきれ。ホーム幅が狭いからか、行列は複雑に斜めに伸びていて、目の前の最後部がどこの列から来ているのか、馴れないと判別できない。列車がホームに到着して、乗客が一気に吸い込まれてゆくさまも、圧巻であった。
客席の様子は、東京で聴くよりずっと身近な印象をうける。単に、演奏を聴くという受動的態度だけではなく、自分のための時間を、自ら選択した演奏会に赴き、意義あるもの、自らの人生にとりこんで、豊かに暮らしているようにみえる。
拙作はもちろんのこと、安江さんのどの演奏にも大変感銘を受けた。高校生の頃、学校で初めてプサファを聴かせていただいたときの驚きを思い出す。

9月某日 三軒茶屋自宅
母と連立って、日がな一日墓参三昧。湯河原駅前のスーパーで一日分の仏花とお線香を買い込み、湯河原、小田原、茅ヶ崎、横須賀堀之内と、次々墓参する。文字通り神奈川の端から端まで訪れたにしては、母は疲れも見せず、いたく感心する。天候はここ数日不安定だったが、今日は愕くほど快晴であった。母の希望で、昼食は小田原駅構内の魚力食堂で盛沢山の海鮮丼を食べた。誰が死んでも、納骨後に当人が墓に居座る筈はなかろうが、それでも墓に水をかけ、新しい花を手向ければ、どことなく、墓石もご先祖さんも微笑んでいる感じがするのはなぜだろう。

9月某日 三軒茶屋自宅
ムジカーザで安江さんのリサイタル、東京公演を聴く。しらかわホールとは全く響きも違い、当然安江さんのアプローチもまるで違って面白い。
しらかわホールは舞台が客席より少し高い位置にあって見上げる格好だったが、ムジカーザは、舞台が客席より少し低い位置にあるから、それだけでも見方や聴き方が変化する。
会場が小さい分、楽器奏者の生み出す空気振動は、そのまま肌に迫ってくるが、打楽器奏者はどうしてあれだけ運動し続けても疲れないのか。こちらの躰のなかに、直截に飛び込んでくる響き。
ところで、三軒茶屋から代々木上原まで、当初は自転車で行くつもりだったが、出かける直前にひどく雨が降り出したので、慌てて世田谷代田までバスに乗った。
茶沢通り沿いにバスで下北沢まで出て小田急に乗ろうと思ったが、都合よい時間のバスがなかったのである。案の定、環七は雨と帰宅ラッシュで渋滞し、会場に着いたのは開演3分前であった。

9月某日 三軒茶屋自宅
三橋貴風先生と大倉山でお目にかかった。大倉山というと、高校生の頃、久木山さんと一緒に演奏会を企画したことがある。ヨーロッパ風の大倉山記念館の高い吹抜けで演奏会を開いたとき、まさか後年自分がかの地に住むとは、想像もできなかった。
その後、KさんとSさんと連立って大倉山の法華寺を訪ねると、普通の住宅街の一角に、突如、極楽浄土が現れるような錯覚を覚えた。まるでそこだけを、どこか別世界で切取ってきて、この空間にすっぽり嵌め込んだような、不思議な安らぎに満ちていた。
夜はKさんの作ったカレーを食べながら晩酌。一人だけ飲みなれていないので、すぐに麦茶に替えてもらう。

9月某日 三軒茶屋自宅
長津田にて、中学の恩師、稲葉先生ご夫妻に再会。中学生のころ、頑として登校拒否を続けていたから、先生にも両親にもすっかり迷惑をかけた。交通事故の加害者の子供が同学年に通っているのが耐えられなかったせいだが、馬鹿げた論理である。
よって、卒業式なぞ絶対出席しないと言張っていたある夜、稲葉先生が拙宅を訪れた。他愛もない話をするなかで、最近一番好きな曲はこれです、とジョンシェのレコードをかけたのを覚えている。そんな経緯があったから、この夏、ジョンシェを演奏したときは、稲葉先生をお招きした。当時、まさか自分がジョンシェを演奏するとは考えもしなかったが、こうなったからには先生に、ぜひ実演の「ジョンシェ」を聴いていただきたかった。
モロッコにて酷い地震発生との報道。

9月某日 三軒茶屋自宅
大森にて、山田剛史さん「君が微笑めば」リハーサル。美しい音で、ていねいな音運びに感動する。どうやって書いたのか、覚えているようでまったく忘れている。冒頭から最後まで順番に書き進んだのではなく、何度かやりかけた作曲の工程が中断される箇所がある。死んだ友人が、別の姿に変容していくさまを、淡々と描写したようにも見えるし、ある瞬間、ふとそこに恣意的に介入して、長年病床に臥せていた友人を、どこかで解放しようと試行したようにも見える。
西村先生の訃報に言葉を失う。西村先生が、その昔「冬の劇場」で、タイプライターを演奏して下さったときの姿を思い出している。クスリともせず、すごく真面目な涼しい顔をして、舞台の一角で黙々とタイプライターを打つ姿は、実に印象的で、理知的でもあった。当時、東京音大の西村クラスに潜り込んでは、先生と一緒に、ラッヘンマンのスコアなど、ああでもないこうでもないと話しては、楽しく眺めていたのが懐かしい。
最後に演奏した西村作品は「華開世界」だったが、リハーサルの時、この作品は、散り行く花とともに、一面にひろがる、まばゆく輝きながら花開こうとしている、新しい命の姿をあらわしていると話してくださった。
連綿と続く生命の営みについて話しながら、自分がこの世からいなくなっても、それでも世界は明るい未来に向かって発展し続けてゆく、だから寂しいと思うことはない、そんな風に聴こえるお話しだったから、なぜこんな話をするのかと不思議だった。
当時、ご本人もそんな深い意図はなく仰ったのかもしれないし、或いは何か感じるところがあって思わず口をついて出てきたのかもしれないが、実に忘れ難いお言葉をいただいたと思う。いつでも肯定的で開放的で、力強いエネルギーに満ちていた。いままでどれだけ励ましていただいたかわからないが、その言葉にどれだけお応えできたのか、不安にもなる。戸惑いばかりが先行して、何とも気持ちの踏ん切りがつかないまま、家路に着く。

9月某日 三軒茶屋自宅
明日リハーサル予定だった新作が漸く午後遅くに届いたので、慌てて譜読みをする。イタリア国営放送によると、現在のモロッコの地震の被害状況は2901人死亡、5530人負傷だという。昨日はリビアで大雨がダムを崩壊させたとの報道。世界は、どことなく世紀末的世相を呈している。

9月某日 三軒茶屋自宅
下北沢まで自転車ででかけ、代々木上原で邦楽アンサンブル、リハーサル。彼らの練習で愕くのは、練習の合間の休憩でもほぼ休みもとらず、個人練習に精を出すことだ。全く疲れ知らずとはこのことだ。こちらは邦楽などまるで分かっていないから、恐らく不適当な注文をつけているに違いないが、どんなリクエストにも、実に誠心誠意心を砕いて下さるので、申し訳ないほどだ。尤も、あまり限界を意識しすぎて無理も言わなければ、可能性も広がらないのかもしれない。
練習後そのまま町田に向かい、両親宅で夕食を食べて帰宅。先日の健康診断では尿酸がでているとかで、干物は食べないように言われてしまい、いよいよ日本で食べられる好物の幅が狭くなった。

9月某日 ミラノ自宅
久しぶりにミラノに帰宅。ローマ空港で口にしたイタリアパンに感動する。バターを使わないから硬いし塩味も強く、どちらかと言えばそっけない味のはずだが。
リビアの洪水被害者11300人死亡、1000人余り行方不明との報道。あまりの数字に、感覚が麻痺している。

9月某日 ミラノ自宅
ここしばらく首の付け根辺り、胸郭右上部の神経が少し鈍く感じている。左上部に比べて、薄皮一枚隔てている感覚があって、行きつけの整体療法士を訪ねた。施術前にまず身体の歪みなどを細かく確認してゆく。整体と言っても、マッサージも余りせず、時折肋骨や尾骶骨を少し押さえてゆるめる以外、ただ手を軽く当てて気を送っているように見える。そうして実際身体は確かに熱くなるし、身体の内部がゆるんだり重心が移動するのも実感できる。
興味深いのは、その施術の間、整体療法士が口の中で呪文だか祝詞のようなものを唱えていることだ。耳を澄ますと「天にまします処女マリア…云々…ハレルヤ」と言っているように聞こえる。てっきりマントラの真言でも呟いていると思いこんでいたから、カトリックの祝詞ならばそれはそれで興味深い。整体にまじないがどう役立つのか知らないが、実際身体は緩むし宗教団体に勧誘もされないので、マントラでもハレルヤでも構わない。部屋には小さなイコンはかけられているが、特にオカルトじみたものもない。

ところでミラノに帰宅すると、庭の樹に棲みついていたリス一家は転出していた。取敢えず、胡桃を置いて様子を見ていたところ、二日目どこからか一匹ひょいとやってきて、胡桃を熱心に食べていた。仲間への合図なのか、食事後、暫く頭を下にして木の幹にしがみつき、大きな尻尾を旗のように長い間振っていた。

9月某日 ロッポロ民宿
朝、庭を眺めると、小鳥たちも烏の番も庭に戻ってきて賑やかである。盛んに尻尾を振っていたサインが伝わったのか、早速リスは2匹に増えている。動物の気配がない時より、庭の樹も何だか嬉しそうに見える。
昼過ぎ、中央駅発トリノ行き列車で生徒たちと落ち合い、サンティア駅に迎えにきたトンマーゾの車で、ロッポロへむかう。
トンマーゾ曰くこの辺りは信仰心に篤い人が多いという。だから黒マリア像や黒イエス像なども多いし、土着の風習も未だに強く残っていて魔女も沢山住んでいる、と事も無げに言う。
後部座席に座っていたフェデリコも、「ピエモンテのマスケ(魔女)」でしょう、と楽しそうに話に加わってきた。フェデリコは、大学でキリスト教理学を専攻している。彼らの話を黙って聞いていると、白魔術はどうで黒魔術はどう、この辺りでは悪魔祓いも盛んだという。トンマーゾによれば、元来この地方の魔女は、男性に依存しない独立心の強い女性の象徴でもあって、その場合は悪者扱いもされなかった、というが、事情はよく分からない。
頭の中で、高校生くらいの頃に読んだ、黒魔術や錬金術あたりの逸話が書かれた澁澤の著書の記憶を必死に引っ繰り返していた。
ピエモンテの中心トリノと言えば、白魔術の三角地帯、黒魔術の三角地帯の重要地点らしいし、どこからか魔女も集まっているのだろうか。魔女が集まれば、悪魔祓いも必要となるだろうから、当然祓霊師も沢山いるのかもしれない。
そんなロッポロの古城は小高い丘の上にあって、一見無味乾燥な要塞のようだが、内部は思いの外絢爛であった。オーケストラ・リハーサルの広間の壁は、一面明るい水色に塗られており古めかしい沢山の肖像画がかかっている。天井からは美しいシャンデリアが垂れていた。
学生とディスカッションする中庭の軒先には、剥製の巨大な水牛の頭部が並び、いつもこちらを見下ろしている。少し顔を上げるたびに、薄目を開けてこちらを眺める水牛と目が合ってしまい勝手が悪い。

9月某日 ロッポロ民宿
朝起きると家人から連絡があって、息子の具合が悪いという。39度近い熱が3日続いていて、脱水症状も酷く、食事も摂れないらしい。救急病院に駆け込むよう促すが、家人自身も体調を崩していて、動けないと言う。すわコロナかとも思ったが、息子が食あたりと言い張るので、ともかく消化器科医に往診を頼むと、週初めに食した生肉が原因らしいと分かる。あと3日ほどで治ると言われたが、絶食で息子は4キロほど痩せたと言っている。尤も、この状態で救急病院に駆け込んでコロナを罹患するより、正しい選択をしましたね、と医者に褒められたらしい。

9月某日 ミラノ自宅
起床後、夜明け前のB&Bの共同台所で、自分でコーヒーを沸かす。冷蔵庫には、地元産チーズとマスカットなどが入っていて、トースターでパンを焼き、地産の栗蜂蜜とチーズを併せて、暗がりの中、一人で食す。シンプルながら絶品で、実に贅沢な味わいだ。
今朝はどうしても散歩に出掛けたかったので、ヴィヴェローネ湖とは反対方向に向かって丘を登り、ベルティニャーノの小さな湖を一周する。湖というよりむしろ池と呼ぶのが相応しい、宝石のように美しい小さな湖だが、その湖手前の祠には小さな白い祭壇があって、黒いイエス像を抱く黒いマリアが飾られていた。フェデリコ曰く、ヨーロッパ各地に残る黒マリア像の生まれた背景は諸説あって分からないが、パレスチナに暮らしたマリアの肌は本来褐色だった筈であることと、中世末期、退廃したカトリック宗教界に抗って、純粋な宗教心復興を求めた信者の願いでもあったという。
そう言われて、改めて黒マリア像、黒イエス像を眺めると、不思議と純朴な純粋な宗教心に溢れる顔つきに見えるから不思議だ。
昨日はオーケストラのリハーサル後、トンマーゾが車でヴィヴェローネ湖に連れていってくれた。夕日の映える湖面には、珍しい鳥も沢山集っていた。首から先だけが黒いクロエリハクチョウが悠々と泳いでいて、眺めていると鴨たちにちょっかいを出していて、性格はあまり良さそうには見えなかった。
対岸は渡り鳥が巣を作るため、人間の居住が禁止された鳥獣保護区となっていて、そこから少し離れて鳥獣観察所もある。その辺りには白鳥だけでなく、黒鳥も集っているという。
湖面の向こうに目をやると、遠く、アルプスはアオスタの辺りから伸びる古代の氷河跡が、一本の長い丘になって続く。雄大で奇怪な地形が眼前一杯に広がる。巨大な谷状に抉れた地形の突端にあたる薄い縁が夕日の逆光に耀いていて、その下に深く翳も延びているから、実に繊細な趣を醸し出す。ヴィヴェローネ湖に注ぎこむ川はなく、その昔ここに張っていた氷河の水が溶け湖のとなり、地底からの湧水が足されて現在の姿を保っている。

夜の演奏会後、城主のパトリックに城が収蔵する絵画のコレクションが見事だと話したところ、絵が好きなのかい、と非公開の収蔵作品を見せてくれる。
数枚のラファエルロは言うに及ばず、ジョット、ルーベンス、ダヴィンチも1枚あって、ヴァン・ダイクなどのフランドル派も数多く収蔵されている。ダヴィンチの個人収蔵作品は、世界に数点しか存在しないが、その貴重な一枚だと胸を張った。俄かには自分の眼が信じられず、無造作に壁に掛けられているこれらの絵画は本物かと尋ねると、パトリックは大笑いして、もちろん全てオリジナルだと言う。尤も、少しでも異常があればすぐに警察がかけつけるようになっている。
突如、パトリックは16、7世紀作とおぼしき聖母子像の裏にサインをしたかと思うと、お前の今回のロッポロ訪問の記念に、是非これを持ち帰ってくれ、と渡してくれた。

9月某日 ミラノ自宅
漸く、夏の間放置されていた庭の芝刈りをする。3カ月近く放ってあったので、雑草も延び放題だったが、8月の大嵐で庭の枝が散々折れてしまっていたから、まずそれらを搔き集めるところから始めた。
アゼルバイジャンのアルツァフ共和国、つまりナゴルノカラバフ共和国が、24年元旦をもって消滅との報道。「自画像」を書く上で知った、現在も続く国際紛争の多くが、結局、平和的解決を見出さぬまま、強制的、力学的解消へ向かう事実に、ただ無力感を覚える。戦いだけは、どんなに文明が進化しても変わらない。
政治背景はさておき、ハチャトリアンが作曲したソ連邦のアルメニア国歌は、個性的な響きが印象的に残る佳作だと思う。

9月某日 ミラノ自宅
ミラノ郊外のバッジョまで、家人とYさんと連立って息子のピアノを聴きにでかけた。スカルラッティ2曲に水の戯れ、ベートーヴェンの変奏曲にリスト2曲。先週の食中毒騒ぎで、元来痩せていた息子の躰は、いよいよ痩せ細っていたから心配したが、結局杞憂におわって感心している。
シャリーノが作曲した「ローエングリン」最初の録音は、シャリーノ自身が指揮しディズィー・ルミニがエルサを演じている。録音されたルミニの声や喉の使い方は、シャリーノとルミニが二人で研究したものだ。「ローエングリン」では、精神病院に収容されたエルサの妄想、妄言が、一人二役を演じながら、主要人格が曖昧模糊としたまま演じられる。あのルミニの録音で思い出したのは、カトリックの悪魔祓いの情景であった。
ディ・ジャコモ監督のドキュメンタリー映画「liberami」で、祓霊する神父が悪魔と携帯電話で話す場面などが有名になった。神父の言葉にぎゃあぎゃあ答える悪魔の姿は、まるで喜劇のようだ。カトリックの霊祓師は、精神科医と協力しながら悪霊祓いすることもあって、神経衰弱とか統合失調症の憑依状態は、見分けるのも難しい、とどこかで読んだ。
祓霊の儀式がまやかしか否かはさておき、ルミニ演じる精神病院患者のエルサの声は、憑依状態の患者の声を思わせるもので、案外統合失調症の声にも似ているかもしれない。
悪魔祓いが茶番なのか、現代の魔女が悪魔に何を誓っているのか、知る由もないが、自ら不可解な呪文で整体の施術を受けていたのを思い出し、あながち遠い世界の話ではないと知った。

(9月30日ミラノにて)