南馬込近くの大森駅に降り立つと、日本考古学発祥の地、と書かれた銅像があって、なるほど、教科書で学んだ大森貝塚がほど近いのです。紀元前3000年くらい、箱根山や富士山の噴火が続き、気温は下がって植物も育たず、食料はいよいよ欠乏し、人口もすっかり減少した古代人のコミュニティがこの大森のあたりに集い、海産物で生き長らえたわけです。阪神淡路大震災を体験した義父が、南海トラフ地震、地下直下型地震が、富士山噴火を誘発する可能性だってあるわけでしょう、こわいよね、と話していたのを、思い出しました。
相変わらず世界中で諍いは絶えず、むしろ増えているように感じられるけれど、地球規模で考えれば、本来ちっぽけな蟻にも満たない我々の姿を、折に触れて思い起こしておく必要はあるかもしれません。その上で、自分はなぜ生きているのか、どう生きているのか、音楽は何をうたっているのか、なぜうたっているのか振返る時間も、或いは有意義なのかもしれません。
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8月某日 ミラノ自宅
原稿が書きあがって床に入ったのが朝の4時半。夕方から酷い嵐。漸く出版社からウンガレッティとデ・ヴィータの詩を印刷する許可が下りた。水牛に第二次世界大戦中のイタリア・ジャズ音楽事情を書いたが、ムッソリーニの四男、ロマーノ・ムッソリーニが、戦後、ジャズ・ピアニストとして活躍したことは日本でも知られているのだろうか。戦前は、ベニート・ムッソリーニのヴァイオリンをロマーノがピアノで伴奏していた話や、戦後、ロマーノは長く偽名を使って演奏活動をしなければならなかった話などを聞くと、戦争は誰も幸せにもしないと思う。スロベニアはイスラエルへの輸出禁止を発表。
8月某日 ミラノ自宅
野坂さんの「夢の鳥」演奏譜が送られてきた。久しぶりに聴き直すと、お母様の名前で作った調絃と娘さんの名前で作った調絃が重なりあう部分が妙に心に沁みるようであった。わたしも沢井さんのように、「夢の鳥」を弾きたい、とメッセージに書かれていた。
沢井さんの「待春賦」の録音を聴いたとき、初めて書いた17絃の曲から、復元五絃琴、七絃琴、色々と書かせていただいたものが、全て音に編みこまれていることに感嘆したものだ。
8月某日 ミラノ自宅
NHKのラジオニュースをつけると、静岡で42度を記録したと言っている。広島原爆投下から80年。テニアン島市長が、戦没者へ哀悼の意を評していた。「絶対に戦争をやってはいけない」という被爆者の声のあとに、ネタニヤフ首相、ガザを全面侵攻の構え、と報道している。米国、ウィルコフ特使がプーチン大統領と会談したとも伝えている。核爆弾など、この世界から無くしてほしいと思うけれど、今更核を手放す国が存在するのか、この現状を鑑みれば想像もできない。
8月某日 ミラノ自宅
小さな定食屋の店先の品書きのところで、1曲パラパラと譜読みをして、折角来たからと昼食に中に入る夢をみる。コの字形のカウンター席のみ、犇めく店内で女将さんの娘と思しき小児が、「おかあちゃん、あれなあ」と大阪弁で話しだしたところで目が覚めた。気が付けば、風呂場の窓の外、同じ声の女児が伊語で母親に話しかけていた。
ネタニヤフ首相、ガザ占領政策を正式発表。トランプ大統領、プーチン大統領とのアラスカ会談発表。勝てば官軍。核の廃絶など、どうすれば実現可能なのか。
8月某日 ミラノ自宅
高校時代好きだった、ナナ・カイミが5月に亡くなっていたと知る。4月に伊左治君の演奏に少しだけ参加したが、なるほど彼の打楽器パートは、ブラジル音楽のなつかしさに似ていた、と今頃になって気づく。ラヴェンナ通りの家を通りかかると、庭に黒虎猫が昼寝していた。その姿が、昔いなくなったチビに少しだけ似ている気がする。
フランスやイタリアの朝のラジオニュースは、まずアルジャジーラ記者ら5人イスラエル軍爆撃を受け死亡のニュースから始まった。オーストラリアがパレスチナ国家承認を発表。ニュージーランドも同じ意向だと伝えている。
8月某日 ミラノ自宅
マンカのアンサンブル曲を読む。町田の実家にある箪笥の上には、マンカとピサーティ、田中吉史君と一緒に湖畔で微笑む写真が飾られていて、みな若い。25年前に田中君がミラノを訪れた時のもので、よく覚えていないが、マンカの車でピサーティのモンテイーゾラの別荘を訪れたのではなかったか。モンテイーゾラはイゼオ湖にうかぶ島だから、どこかから渡し舟で島に渡ったはずだ。ぼんやりした記憶が甦ってくる気もするが、想像力がつくりだした幻想かもしれない。彼がこの島で、兎を屠ったときのことだけはよく覚えている。本来は棍棒だかの一撃で仕留めなければいけないのを、うまく出来ずに兎を苦しめてしまった、もうやらない、と話していた。
写真に写っている4人の表情は瑞々しく、これから何でもできそうな顔にみえる。傲慢ではなく、自らの未来にむけて笑顔を向けているようだ。日中は酷暑なので、到底1階に上がれない。
8月某日 ミラノ自宅
自分を突き動かすもの。生きる喜びなのか、死の悲しみなのか。殺戮への怒りか、諦観か。
作曲でも譜読みでも、望むと望まざるに関わらず、全ての選択を決めてゆくということ。全てのエネルギーはそこに収斂されている。もちろん、生きる、という行為そのものが、全て選んでいくことで成立している。世界は、トランプ・プーチン会談に向けて激動している。イスラエル、ガザ市民移送を南スーダン等に打診との報道。
「夢の鳥」浄書をおくる。訂正稿の浄書を終えぬまま放ってあったので、先代操壽さんとの約束をずっとやり残している気がして、後ろ髪が引かれる思いであった。彼女は敬虔なカトリックだったから、聖母被昇天の祝日に浄書をしあげたら、天国できっと喜んでくださると信じたい。
8月某日 ミラノ・リナーテ空港
ドナトーニが25回目の命日。25年前の今日、暑い午後に一人でニグアルダ病院の霊安室へでかけて、亡骸と対面した。
その二日後だか三日後の午前が葬式だったのだが、その葬儀の時間にはエミリオと並んで飛行機に乗っていた。プロメテオのリハーサルのためボッフムへ向かっていて、ドルトムント行ルフトハンザだった気がする。
8月某日 南馬込
譜読みをしながら、気が付くと眠り込んでいる。ワシントンに、ウクライナ、伊仏独英、フィンランドとEU首脳が集い、トランプ大統領と会談。日本にいると世界の実感があまり湧かないのは、やはり極東の地政学的な問題なのか、島国だからか。
息子がユキちゃんのフルート・オーケストラで「禿山」を振る動画をみた。熱川の宏さんがとても喜んでいたと聞く。後から家人が宏さんに電話すると、「昔から踊りとか好きな子供だったから、指揮姿がうつくしいね。いつも演奏会を聴くホールじゃなくて練習場だと、目の前で臨場感もあって、演奏者が指揮者にひきこまれていくのが目の当たりにできるんだよ」。
8月某日 南馬込
家人のバースデーケーキを買いに、呑川沿いの洋菓子店に自転車を走らせる。ちょうどよい素敵なケーキが手に入ったのはよいが、自転車なので袋もいただけますか、と言うと、妙齢の店員の顔に多少当惑の色がみえて、なるほど支払い時、レジの傍らにわざわざ注意書きが立てかけてあって、「当店では自転車でのお持ち帰りは、おすすめしません」と記されている。まあその通りなので、ぐうの音もでない。ご近所の方が、かなり自転車でいらっしゃるものですから、とのこと。慎重に慎重に池上の坂を登って無事帰宅。ヨーコさんと息子と4人で切り分けていただく。美味。
8月某日 南馬込
高野邸にて家人のお祝い会。家人の歴年のお弟子さん16人ほどが高野三三男作の木製テーブルを囲んで、部屋全体がすっかり華やぐ。一人一人が一人前どころか八面六臂の活躍をしていて、改めて家人の指導の才にも、人材発掘の炯眼に感嘆する。家人が二日ほどかけて仕込んだカレーを食べてから、息子が家人の伴奏で466を披露した。息子が乳児から幼児の頃に、世話になったお弟子さんばかりだったので、皆、すっかり感慨深そうだ。終わりころ矢野くんも到着して、近況報告。
8月某日 南馬込
芥川作曲賞のリハーサルも、ずいぶん形が見えてくる。向井作品は、歌手陣、ソリスト陣の迸る情熱に、オーケストラがすっかり惹きこまれていて、とても純粋な音楽だとおもう。松本作品も、初めてソリスト陣を増幅して聴くと、臨場感が以前と全く違って感じられる。廣庭作品のソリストとアンサンブルとの関係性も、リハーサルを重ねるごとにより如実に視覚化できるようになった。斉藤作品は、エレクトロニクスも照明も入って、ずっと音楽の深みが変わった。エレクトロニクスの今井慎太郎さんと再会を喜ぶ。ベルリンで会ってから20年は経っていますよ、と今井さんは声を弾ませるが、彼はちっとも老け込んでいない。
エミリオが振るアぺルギスやクルタークを聴いた。一音一音への慈しみが演奏からひしひしと伝わってくる。信じられないのは、それが持続の帯となって、20分以上もの大曲全体をすっかり覆い尽くすこと。音の深みが際立たせる美しさに、あらためて感動する。どの音も、オーケストラが納得した上で大切に発音しているのがわかる。この芸術を自分が曲がりなりにも受け継いでいるのか、どうなんだろう、と自問自答しながら、聴く。
8月某日 南馬込
昨日の演奏会後エミリオを訪ねた楽屋に、今日はエミリオやヴァレンティーナがやってきた。明日から5日間、北海道を巡るという。17年、もしかすると18年ぶりの息子の姿に、エミリオの息子のロレンツォも感慨深い様子であった。18年前、ロレンツォの見立てで、息子は木製の小さなプラレールをプレゼントしてもらった。現在、ロレンツォはミャンマーに派遣されているという。家人曰く、エミリオは今日の演奏会をみて、プロメテオ公演を思い出したそうだが、きっと演奏者がバルコニー席などに四方に散らばって配置されていたからに違いない。早晩指揮はやめて、作曲に専念したいと言っていたが、そんなことができるのだろうか。浦部くんは、エミリオに芥川作品を聴いてもらえたのが嬉しいと言っていた。9月の演奏会の勉強に明け暮れている、と打ち明けてくれる。頼もしい、とこちらも嬉しくなる。
夜、家人とふたり、桜新町のファミリーレストランに駆けつけ、美恵さんと悠治さんに会う。
めしが天です
天がひとりのものでないように
めしはたがいにわかち食うもの
悠治さんと並んで、フライドポテトをつまみにビールを嘗めていた美恵さんの口から、金芝河の「めしは天」を聴いてみたい、という言葉を聞いたとき、美恵さんの眼がするどく耀いたようにみえて、思わず「そうだ、これだ」と内心快哉を叫ぶ。
現代は互いに慮る、とても思慮深い社会。めくらを視覚障碍者と呼んだり、一見社会的弱者に心を砕く社会。そんな風に柔らかな手触りでコーティングされている反面、われわれの裡はどれだけアップデートされたのか。そんな言葉さえも、優しい言葉で伝えなければいけない。誰も傷つけてはいけないから、角が取れた言葉で表現しつつ、われわれの本質は変わっていないから、現代社会に漂う淀んだ空気は、どこか空虚だ。誰もが自らの言葉に責任を取らなくなって、さまざまな矛盾が空気中を無数に浮遊し飛散する。
誰かを傷つける言葉を言ってはいけない、そう規定しなければならない時点で、根本的に社会構造が機能していないことがわかる。われわれは今でも誰かを傷つけているし、隙あらば傷つけたいのだ。
トランプ政権、アッバス議長はじめ80人のパレスチナ自治政府関係者、パレスチナ解放機構関係者へのビザ発給拒否。9月の国連総会への出席阻止の意向、との報道。
8月某日 南馬込
家人と連立って10時過ぎの新幹線で熱海へむかう。宏さんは、マイヤー=フェルスターの「アルト・ハイデルベルグ」を若いころに読んで、どんな美しい街なのだろう、と憧れていたという。ずっと後年になって、出張で二日間ハイデルベルクに滞在した際、その街並みの美しさに魅了されたそうだ。宏さんは、暫く前から食べたいと思っていたコロッケを、「スコット」でとても美味しそうに食べた。
コンピュータの設定などを直しにいった町田の実家では、見事な秋刀魚をいただく。なんでも今年は秋刀魚が豊漁ということだ。なるほど、口にした秋刀魚も、よく肥えていてしっかりした身であった。
プーチン大統領、モディ首相らを習首席が天津に招き、「上海協力機構」首脳会議開催。「上海協力機構」に参加する中国、ロシア、インド、パキスタン、イラン、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンだけで、既に世界全体の人口の4割を占める。
(8月31日南馬込)