しもた屋之噺(290)

杉山洋一

歳とともに涙脆くなってきたのかもしれません。30年前、イタリアに住み始めた頃は、美術館の名画の一つ一つや、教会のフレスコ画を見るたびに、身体の裡が躍るような鮮やかな感動を覚えたものですけれども、あれは知らなかったものを発見する喜びに近かった気がします。実に初々しく瑞々しく輝かしいものでした。最近心を動かされるものは新奇だからではなく、寧ろずっと以前からよく知っているもの、感じているもの、味わっているものばかりという気がします。当然の摂理と信じていたものは、実は氷河の天辺のようになっていて、下をのぞきこめば、無数の偶然がどこまでも堆く重なり合って顕れていたことに気づく、そんな齢になったのでしょうか。目に見えるもの一つ一つ、聴こえる音の一つ一つ、話す言葉の一つ一つ、綴る音の一つ一つ、全てが途方もなく掛け替えのないことに。

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2月某日 ミラノ自宅
無数の音の襞。心地悪く儚くそして夥しいもの。書きながら胸の詰まる思い。母曰く最近父が元気がないらしく、少し心配している。明日がオリンピック開幕だからか、夜半1時でも2時でも、ちょうど30分毎に列車が通る。それも保線車両ではなく普通の旅客車両のようだ。仕事をしていると、後ろで家人が明るい声で寝言。「ご縁がありますねえ!」。

2月某日 ミラノ自宅
学生時代から現在まで、ずっと加藤訓子さんや星谷伸太郎君のような友人をはじめ、さまざまな名前を数字に置き換えて作曲し続けていることに今頃になって気が付いた。「三つ子の魂某」である。確か、ゴルリが自作のレクイエムの分析レポートのコピーを呉れたのが切っ掛けだった。ゴルリは名前を数字に置き換えたのではなかったと思うが、どのように並べて音を作るかに関して言及していた。当時自分が何を考えていたのか知るために、機会があれば読み返してみたい気もする。
マッタレルラ大統領がミラノの路面電車に乗って、サンシーロのオリンピック開会式会場に駆けつける短い動画が人気を呼んでいる。開会式の国歌斉唱のあたり20分ほど、家族三人でテレビの前に座って静かに眺めた。

2月某日 ミラノ自宅
息子が音楽院で「白と黒で」を弾くのを聴きにでかける。演奏前、第2ピアノを担当するディエゴは、第一次世界大戦中に書かれた「白と黒」の愛国的側面について話した。以前と違い、世界全体がきな臭い毎日でそう聞くと思わず暗澹たる心地に駆られる。ドビュッシーも書かずにはいられなかったのだろう。自民党の歴史的大勝を伝えるラジオニュースの向こうで、息子がラヴェルの「トッカータ」を譜読みしているのが聞こえる。「クープランの墓」も、大戦の記憶の哀しみを紡いだ珠玉の組曲であった。

2月某日 ミラノ自宅
父90歳の誕生日。母が「90」と書かれた赤いケーキを買ってきて、二人でケーキを前に写真を撮って送ってくれる。お祝いにと二人で小田急の「天松」に出掛け、大好きな海老の天ぷらに舌鼓を打ったそうだ。両親ともに卒寿を迎え、未だ健康に過ごしている倖せは、僥倖と呼んでも許されるだろう。本人二人への感謝は言うまでもなく、両親二人を取り巻く全て、目に見えるもの、目に見えないもの全てに対して心を動かされ、深謝している。こればかりは、当人にも家族にもどうにもならない何かが作用して今日に至る、としか表現できない。古来、運命を一人の神として崇め奉っていた気持ちも、すこし理解できるようになった。それは「生かされている」という確信にも近い。無政府主義者の一団がオリンピック開催に合わせ、イタリアのあちこちで鉄道網を壊している。ラヴェンナ通りからほど近い旧市営市場も焼き討ちに遭った。

2月某日 ミラノ自宅
ひどく複雑に見えながら単純なこと。沢山あるようだけれど、言いたいことは限られていること。隣人が自分と違う行動をとっても、その隣人を否定する必要はないだろう。自分が正しくなければいけない、とまでは思わないが、自分が正しいと信じることをする必要に迫られているのかもしれない。自らの思う正しい行いを、出来るだけ他の人を巻き込まずに静かに行うこと。未だにのんびりアリストテレスを開いては、読んでは戻り読んでは戻りと徘徊しているが、ソクラテスや老子を読み返したい。真理とはなにか。実存するものは何か。バッハのように、歴史が我々に残してくれた「叡智」。

2月某日 ミラノ自宅
今日も書いていて不思議なことがあった。音に方向性をあたえ収斂点に向けて書き進めると、どうしても放物線になってしまう。そうしないためにはどうしたらよいか。3と4の間の数字を表現するのに、何が一番しっくりくるのか数日頭を悩ませていたが、結局334と3334を交ぜることにする。
ミュンヘン会議でメルツ独首相が欧米同盟は破綻と発言し波紋を呼んでいる。直後、ルビオ米国務長官がアメリカは欧州から生まれた子供と取り繕ってみせたが、一体これからどうなるのだろう。メローニ伊首相はエチオピアのサミットを理由にミュンヘンにすら出向かなかった。数年後、あの時自分は一体何を心配していたのかと笑い飛ばせる未来であってほしい。あんなことを書いたら、今は恥ずかしいでしょう、と皆に馬鹿にされたらいい、と考えるようになった。沢山考え、その殆どを忘れてゆく。そのまにまに僅かに掠め取ることのできた事象だけを書き残す。

2月某日 ミラノ自宅
生きると言うのは、毎日驚くほど沢山の出来事に曝されつつ、偶然の連鎖で事象が影響し合い、次の事象を生み出す「うねり」に自らを委ねること。つまり、音楽と酷似している。そこで幾ら櫂を漕いでも、海峡の流れから抜け出すのは容易ではない。
ほぼ無意味な言葉を毎日綴りつづける。それらが現在意味を持たないのは確かだが、将来万が一にも何かの役に立つかもしれないし、無意味なだけで塵芥になるかもしれないが、無意識に何かを信じて書く。仕上がりのイメージから出発し、少しずつ自分が望む姿へと変化させていくのが人口知能と我々の関係性なのであれば、可能な限り、先入観もイメージも排除して、ただ現実に手にしている情報だけを組み合わせていく。敢えて俯瞰せずに世界に目を向けると、見えてくるものはあるだろうか。一体どういう姿をあらわすのか。
三善先生は反戦三部作をどんな気持ちで書かれたのだろうか。音に没我していらしたのか、むしろ自らを厳しく律して自らを音楽に近づけないようになさっていたのか。スーダン内戦の被害者が双方合わせて死者6000人との報道。人が一人死ぬだけでもこれだけ辛いというのに。どうしたら諍いをせずに暮らしていけるようになるのだろうか。

2月某日 ミラノ自宅
庭の樹に設えた餌場に、割った胡桃を置いてやると、早速近くで見守っていた小鳥たちが飛んできて啄みはじめた。それを見て、慌ててリスたちが降りてくる姿は少し不格好。
朝、仲宗根さんのメールで沢井さんの訃報を受け取る。溜息しか出てこないのは何故だろう。もしかして鳥になったのかしら、とぼんやり思う。ご家族はもちろん、野坂さんや平井さん、真起子さんにも再会されたのだろうか、と折れた雑木の切り口に坐るリスを眺めながら思う。風見鶏ならぬ風見栗鼠。気が遠くなりながら作曲。気が付くと机に突っ伏して寝込んでいる。

2月某日 ミラノ自宅
トランプ大統領の平和評議会にイタリアはオブザーバーとして参加を表明。恐らく日本も同じだろう。艦隊を派遣して、米軍がイランの攻撃を準備している、と盛んに喧伝している。ウクライナとロシアとの停戦交渉もアメリカが調停役。
佐藤康子さんが信玄の菩提寺、乾徳山恵林寺の本堂で演奏した、「待春賦」25絃独奏版のヴィデオをみる。写っているのは、煙道の大地漠氏が焚く煙である。漆黒の背景に、ゆらめきながら様々な造形を紡ぐ白煙に光があてられ、浮きあがってみえる。不在の沢井さんがそこにいるのを実感できて、音楽はこういう時には都合が良い。こちらの単なる勝手な思い込みにしても、なんだか素敵ではないか。
元来沢井さんの17絃と佐藤さんの25絃のために書いた曲だったから、沢井さんの不在が殊更に際立つけれど、沢井さんの名前を使って紡いだ音は、白煙と絡み合いながら沢井さんの姿を立ち昇らせる。筝の衰弱音を聴き続けているだけなのに、消えてゆく響きが、沢井さんの輪郭をなぞっているように感じるのだ。以前、沢井さんの名前をどう使ってこの曲を書いたのか佐藤さんが興味を持ったことがあって、一度当時のスケッチを送ったことがある。佐藤さんはそれを解読して丹念に曲全体に分析を施してくださったのだ。ある時リハーサルの合間に佐藤さんがその説明を沢井さんにしたところ、「康子さん、それをちゃんとわかるようにしておいてね」と、殊の外面白がっていらしたのが印象的であった。尤も、作曲者がどう書いたのかすっかり忘れているのは、書く作業そのものが思考や記憶を吐き出す作業なのだから仕方がない。最早自分の裡には何も残っていない。

2月某日 ミラノ自宅
現実と見紛う人工知能が盛んに話題へ上っている。コンピュータが正しいものを正しく作りあげるのに秀でているのは当然だ。こうなると、我々が正しいと認知するものが正しいのかすら判然としない。我々は不可思議な仮想現実に、最早無意識に染まりつつある。そうした日常における真理とは何を意味するのか。消えゆく音の陰に、たとえば誰かの姿が見えた気がするのであれば、それは既に一つの真理を形成しているのかもしれない。
スコットランドのエディンバラで、沢井さんへ捧げる追悼演奏しました、と長谷川将山さんから「望潮」の録音が届く。「望潮」は沢井さんを介して生まれた。慟哭が貫かれた前回と異なる解釈による演奏に、おもわず魂が震えた。長谷川さんの初演の解釈を楽譜に書き入れようと思っていたが、このように全く違う演奏解釈も成立するのなら、作曲者が余計な茶々を入れない方が良いかもしれない。
アメリカ連邦最高裁判所は9人の判事のうち、6人の多数意見により、トランプ政権の相互関税政策を違憲と判断。ロシアのウクライナ侵攻5年目に突入。

2月某日 ミラノ自宅
義父の宏さん誕生日。宏さんは高校の頃に英語の教科書で読んだ、ヘッセの「Como Lake」がとても印象に残っているという。コモ湖にはヘッセ博物館があるくらいだから、ヘッセがコモ湖に触れた文章は多く残されているはずだが、教科書に採用されるくらいだから、よほど知られているものに違いない。とすれば、ヘッセが1913年に書いた随筆 Spaziergang am Comer Seeの英訳と考えて間違いないだろう。
尾崎喜八の名訳で「コモ湖の散策」として日本語にもなっているが、尾崎の文章は実際のコモ湖畔の風景をそのまま彷彿とさせる、見事なものだ。ルガーノからやってきたヘッセは、コモから汽船に飛び乗り、トルノを経て、対岸のモルタージオまで足を延ばした。
「…そういう集落の一つでトルノと呼ばれるのが、或る綺麗な岬の上にじつに優美に孤立して載っているので、私はあやうく船を下りようとした程だった。船は陽気な入江の岸に沿って走っていた。若いぶなの木の薄緑をした林のうしろには、このあたりでは今まで見たこともないような一すじの長い音もない滝が、人目につかずひっそりと、神秘的に白く薄絹のように懸かっていた。トルノの集落そのものは小ぢんまりとして軽やかに岬の丘を登りながら、湖水の方へその愛らしい清らかな感じのする正面を向けていた。幅のひろい平たい石の段々をならべて、水際にボートをつないだ船着き場兼洗濯場、弓がたの門と小さい露台のある緑に被われた家、静かに明るい石敷きの広場と、その背後に見える美しい教会堂の正面と尖塔、若木を植えた優しい半円形の防波壁、それはまさに完璧な、よく調和のとれた一幅の画であって、しまいには、事によると自分が悩殺されてしまいはしないかと心配したほど可憐な一角だった。私は座席にすわったまま、この小さい宝石が通りすぎ、だんだん位置を変えて小さくなってゆくのに任せながら、感謝の心で会釈をし、かろく別れの挨拶を送った。いわゆる『一目惚れ』である」。
最後の「いわゆる一目惚れである」は、コモ湖やトルノの村を形容するのに現在もしばしば使われる名文句だ。トルノを過ぎて少しゆくとネッソの集落があり、そこから山を登って行ったところがエルノになる。この文章を義父に送ったところ「数年前に故人となった無二の親友も、この一文に魅惑されて晩年コモ湖を旅したようです」と返事をいただく。

2月某日 ミラノ自宅
突然息子が代役でプラネタリウムで弾くことになったとかで、日がな一日、学校で試験をしてから、自転車でパレストロの市立オエプリ・プラネタリウムに出かける。「このプラネタリウムは1930年に完成したので、もうすぐ100年になります。現存するプラネタリウムとしては最も古いものの一つで、あなた方が座っているその木製の回転椅子は、なんと100年前のままなんです。あなた方が見上げている直径20メートルの白いこの穹窿も、プラネタリウムとしては最も大きなものの一つですが、よく見るとこの円天井の下の端に、360度、全景が黒く細かく街の影を切り絵で細工しているのがわかりますね。これは、1930年当時の、この地点から見えた本物のミラノの街の風景です。今のように背の高い建物もありませんでした。このプラネタリウムを訪れて、ここの椅子に腰かけているあなた方も、この建物が刻む、歴史の一端を担っているのですよ」。
300人収容のプラネタリウムは7割方埋まっていて、地味ながら根強い人気があるに違いない。一度訪れるとまた来たくなる、不思議な場所である。校外授業と思しき高校生の一団も熱心に聴き入っている。
天井一杯に映し出された無数の星を眺めていて、ベートーヴェン「狩」のメヌエットが始まったところで、不覚にも涙がこぼれた。変ホ調の寒色系の響きは確かに夜空と確かに親和性があるけれど、ベートーヴェンが音を通して伝える人の手触りや温もり、それらがそっと我々に語りかける言葉に、思わず胸が一杯になってしまったのだ。死んだら星になるというのは、あながち間違いではない気がする。

(2月26日 ミラノにて)