「ものを見てかく手の仕事」

高橋悠治

このタイトルは平野甲賀の字(『平野甲賀と』p.14)を見て、同じ題の文章もあるが、それは「ものをみて描く手の仕事」(『僕の描き文字』p.80)になっている。

般若佳子に頼まれた無伴奏ヴィオラの曲『スミレ』を書き、山根孝司も加わったクラリネット・ヴィオラ・ピアノの『移動、Iōn』を書いて、金沢市民芸術村で演奏しに行ったのが4月のこと。

先月の「水牛のように」に書いた、デイヴィッド・ホックニーのジョイナーから思いついた作業、1枚の楽譜を見返して、その時眼に留まった音符から思いつく別な音の流れを書き留めながら作曲して、この2曲を作った。元にしたのは、般若佳子に昨年頼まれたが間に合わなかった『イオーン』というヴィオラ曲の下書き。その都度見えたフレーズをちがう楽器にあてがい、他の楽器をそこにあしらう。

今年亡くなった小松英雄(1929-2022)の『平安古筆を読み解く 散らし書きの再発見』(二玄社 、2011)で読んだ「散らし書き」の、分かち書きと続け書き(連綿)を単語の切れ目と一致させない技法、雅楽にもそれと似た方法で句や呼吸を越えて続く流れがある、それと音の長短や順序を変えながら限られた音から途切れがちの流れを作り出して、書き進める。

17世紀フランスで non-mesuré というリュートやクラヴサンの、自由リズムの前奏、style brisé(崩し)と言われた、不規則に和音を分散させるスタイルで、メロディと和音の対立を和らげながら、いくつかの線が、対位法ではなく、対話でもなく、壁の向こうから聞こえるようにして、あいまいに絡まり縺れた状態。音はお互いに避け、離れ、彷徨い、絡まり、揺らぎ、分散と支え合いのバランスが絶えず崩れて変化する。線の偶然の出会いと緩やかな見計らい。小さな変化と、弱い音の焦点を変えながら…