6月5日 勅使河原宏の「おとし穴」を 渋谷シネマ・ヴェーラのスクリーンで ひさしぶりに見た 1962年草月会館で音楽録音に参加して以来だったか こみいったストーリーを追うより 印象に残ったのが 遠い尾根に野良犬が歩く風景 無人の通りを泣きながら走るこども 思い出すのは ねじや消しゴムを弦に挟み込んだ2台のプリペアド・ピアノ 武満徹がその1台の内部の余韻に聞き入っている 田中邦衛の帽子と一柳慧のオスティナート こちらの分担はモダン・チェンバロの無表情な崩しで いまになってルイ・クープランやフローベルガーを弾くと 数十年後に源流にめぐりあった感じもする 草月アートセンターでは1959年から63年までピアノを弾いたり テープ音楽を作ったりしていた 1987年にヨーロッパからもどってアメリカに行く前に たまたま行って見ると 草月シネマテークは造反作家たちに占拠され あまり意味のない批判討論会の最中だった それから1999年の熊野本宮で『すさのお異伝』 作者の高橋睦郎に誘われて行ったのだったか 音楽担当と言っても作曲はしなかった 神楽のひとたちの曲目から選び すこし変えたところもある 振付にサルドノ・クスモを推薦したのはよかったのかもしれない 最後に沼津の『瞬庵』 隙間の多い 曲がった竹の茶室で満月がかかっていた
6月13日 如月小春の『高い塔の歌』 1983年知り合ってまもなく 巻紙に書いてもらった50の日常会話断片を 水牛楽団の5人と如月小春自身の6人が読み上げ あいまにそれぞれが持参した音具を叩き そこに『杉並区の自動販売機」と『都市」という 如月小春の以前の芝居のなかの歌 もとの近藤達郎の音楽を聞き覚えで引用(盗用)した歌をピアノの即興もまじえて入れた 1984年にはそのメンバーで北海道に行ったはず 今度は新しい人たちの上演のあいだに すこしだけ ピアノでその音楽による即興演奏をした もうすこしかたちにしようと思ったが 楽譜は書けなかった
6月26日 フレデリック・ジェフスキが亡くなったニュース 1963年に当時の西ベルリンに行ったとき 最初のともだちだった それ以来 こちらがヨーロッパに行かなくなってからは 日本に演奏に来たこともあった それももう20年くらい前か 最後のメールは 昨年夏だったか
同じ日にジョン・ハッセルも亡くなった 1967年バッファローに行ったときの仲間 当時はヨーロッパ帰りの作曲家でトランペット奏者だった ブライアン・イーノと「第4世界」コンセプトを開発したのはずいぶん後のことだった そう言えば その時いたテリー・ライリーは コロナ騒ぎで帰れずに まだ長野のどこかにいるのか
いまは何もできず まるで「墓守」の気分だが 「待ち」の時間はいつまで続くかわからない 断片と断層 ある日それらが組み合わされてかたちになるまで と言うのもちがうかな 「散らし書き」のように 不安定で 隙間のある「くずし」と「はぐれ」 それだって「かたち」と技術になってしまわないか 偶然の発見が スタイルにならないように よけいな半歩を踏み出し あるいは落ちかかったまま ひっかかって止まる その時