音楽を習い始めてから、1950年代 と1960年代までは、一つの「普遍」を目指した「方法」を見つけようとしていた。一つの中心があれば、その他の「周辺」は、中心との距離で測られ、分類されて、位置が決まる。
中心がなく、断片の集まりとしか言えない場合は、それらをすこしずつ組み合わせて、そこでおもしろく聞こえない組み合わせを取り除いていき、残った組み合わせをある順番に並べてみる。
組み合わせのそれぞれが違う色で聞き分けられ、一つの厚い表面ではなく、それぞれの色の短い線の動きの集まりが動き、変化するリズムが感じとれ、半透明に波立つままにあるように。
と書いている今も、過去から持ち続けている何かに思い当たらないでいる。
いつか東京のどこかにあったスリランカ・カリーの店で見た、スプーンで数種類のカリーを混ぜて食べるやり方、それと「オデュッセイア」で、留守を守るペーネロペーの織物、毎日解いてはまた編み続ける作業、その二つを思いながら、音の演奏と仮留めの実験を続けてきた、と自分では思う時もある。
こうして思っていることも、言い訳に過ぎないかもしれない、とすれば、自分でも思い出せないような作曲を、他人が覚えているわけがあろうか。と言って、他にできることもなし、習いおぼえたわずかな技術も、すり減っていくばかり、と言っても、他人の作品を演奏すること、即興でピアノを弾くこと、そこで起こるちょっとした偏りが影を落とす時間を、さまざまに感じるひととき。
作曲・演奏・即興という記憶の長さは、価値とは違うが、いつの間にか、この順番に慣れている。この順序、だけでなく、こんな分類でもなく、瞬間の動きをそのままに聞かせ、解釈したり、意味づけを許す時間を持たないままに過ぎる、動きと変化の織物を続けるだけの場所を開いて、その流れに揺られている日々が、すぐそばにあるかもしれない。それは見えなくても、聞こえなくても、手触りだけで感じられるだろうか。