多様性・迷い・不安定

高橋悠治

バルトーク「5つの歌」Op. 16 (1916) と ピアノ曲「スケッチ」Op. 9 を演奏する機会に、傷つきやすい(傷ついた)、壊れやすい(儚い)印象について思いめぐらし・・・

一つの中心を持ち、組織され、構成された硬い表面が押し付けてくる主張・表現の重み、強さ、バランス、運動が隠している弱さ、不完全、未完成、不均等、不純が表側に出て、中心のない散らばり、かけら、言いさし、言いなおし、揺らぎ、ぶれ、ずれ、一つひとつがそっぽを向いた小さな線の集まり、その不安定な集まりが、まだそこにない変化を呼び出すように・・・

19世紀の民族主義、20世紀の民族国家の独立、束の間の自律と従属、短い平和と長い戦争、そのなかで「無用なあそび」、「精神」や「思想」に還元されない「よけいなもの」である音、その振動の「触り」と離れていく「響き」と、消えてしまっても残る痕跡(余韻)・・・

ある村で民謡を採集し、それに基づいて作品を創るというしごとは、村の人ではない「よそもの」のすることで、それをしながら村から離れていくと気づけば、風景はひろがり、歩みはさらに遠ざかる。ハプスブルグ帝国が解体した時代に、国境線を引き直してその内側に落ち着くのではなく、起源や影響を追って国境から外に眼を向ければ、バルトークのようにハンガリーからルーマニア民謡を採集しただけで双方から非難されたり、さらにブルガリア、トルコ、アラブまで足を向けていくほどに、どこからも「よそもの」になってゆく。民謡にピアノの和音を付けるだけでも、同じメロディーに毎回ちがう和音の彩りを添えて、それはことばの意味やニュアンスを描くのかもしれないが、象徴としての機能をどこか外れて、メロディーとことばの関係を不安定にしていくのではないだろうか? これは仮のもの、ここに置かれていても、いつかは、なくなっているだろう。

バルトークの音楽の影響ではなく、「異質」で「外側」にいるという位置の取りかた、心をひらくのではなく、謎のまま、扉の向こうの闇、理解を拒む澄んだ水を、別な位置から感じること・・・

「異邦人の眼差し」を向けることは、確実な成熟や発展とはちがって、正統性や権威をまとうことはないだろう。そのかわり見えていたものは見えなくなり、見えなかった染みや影が浮き出してくる。風景は暗い。道は見え隠れ、垣間見えるだけ。

それでも、この不安定が誘う、「まだない」変化には仄かな光がさしている。迷いが呼ぶ、ことばにならないうごめき、安定しないから変化をやめない、ひとつにまとまることなく、組合せを絶えず変えながら、そのたびにすこしだけ折り合いをつけ、でも違いを失うことなく、流れ・・・