散る/留まる

高橋悠治

風水ということば。「気乗風則散 界水則止 」(気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る)、東晋『葬書』より。

散る音と、ゆっくり変わる響き。

ととのって理論にならず、隙間の多い線の跡、飛白、未完成のまま。毛筆の書はできもしないが、石川九楊や、最近では篠田桃紅の本をよんだり、小松英雄の『平安古筆を読み解く--散らし書きの再発見』を拾い読みして、音の線を散らすやりかたを考えた。

寸松庵の分析も始めの三章を読んだきりだが、一句の途中で切って、筆先で「突き」、間を取って「返す」ことで、流れを堰き止めたり、流したりすること、「ことば」の区切りと筆の区切りをずらすこと、「分かち書き」と「連綿」、さらに、色紙の中央から書き出し、空いている場所に続ける「返し書き」や、わざと誤字を残し目立たせる「見せ消ち」など。

線は呼吸のように、一息で行けるところまで伸びていく。途中で曲がったり、ゆるんでは、また、残った勢いが尽きるまで辿りつく。ピアノでいうと、掌が空気を含んで、うごいているあいだ、指が散歩して、知らない音のつらなりに触れていく。他の楽器や声でも、指や喉、舌がうごいて、変えようとしなくても、どこかが変わると、そこから全体の方向が変わる。

一本の線に対して、もう一本の線がどのように絡むのか、もとの線が他の線を必要としなくても、もう一度書いたら、おなじ形にはならないというとき、時間が生まれる。

そして音楽も。