読む日々

高橋悠治

気がつくと ゆっくりになっている からだのかんじ からだのうごき あるくこと かんがえること 気がつくと 朝が昼になり 夕方になり 暗くなっている 時間がすぎるのだけが速くなっている これが年齢ということか

待っていると思いつく そこでうごくと 次にすることができる はずだった その次につながらないで うごきの途中で止まってしまうことさえあるのは どうしたことか

コロナについて言われているさまざまな意見や主張を毎日のように読んでいると 日本のメディアが伝えないニュースがたくさんあることに気づく 英語で読めるサイトでは 中国・カタール・イラン・キューバのメディアがある ロシアの英語サイトは アメリカに住んでいるアメリカ人のジャーナリストがアメリカでは書いても どこにも載せられない意見を個人のサイトから転載している記事がある ツイッターで書けば たちまち削除され口座が閉鎖されてしまう ロシアの英語報道に転載されるが おなじロシアの報道でも 日本語のものには載らない それを見ると アメリカ・イギリス・日本のメディアは いまの政府や経済のなかでは 検閲され資金源を押さえられていて 反政府の言論の自由はもうなく メールもおそらく検閲されていることが なんとなく伝わってくる 日本のことについては 韓国のメディアが現実的かもしれない これも政権が変わるとどうなるかわからない イランのニュースは一時アメリカが閉鎖していた ニューヨーク・タイムズやガーディアンやル・モンドといった欧米のジャーナリズムも いまや政権の代弁機関になっているようだ 日本のテレビや新聞も とっくに監視されているのだろう いくつかの個人のサイトだけが残っているが 知られていないし無力だから 「民主主義と自由」のために残されているのだろうか

コロナ・ワクチンは免疫系を操作して 感染させやすくするという報道がある もう1,300人も死んでいると言われるが 報道はされない PCR検査も倍率をあげて 偽陽性を増やしているという記事もある 政治だけでなく 科学も信頼できないものになっていく ペストとコロナ 細菌とウィルス 近代は中世とはちがう終わり方をするのだろう