作曲家・ピアニストの割り切れなさ

高橋悠治

子どもの頃から作曲したかったが なにも書けず 生活もできないので オペラの稽古ピアニストになり 数年後に偶然から前衛音楽のピアニストになった 1960年代ヨーロッパでもアメリカでもほかのピアニストが弾きたがらない曲を弾き それだけでは生活できなくなってしかたなく バッハを弾くことになった 作曲する時は ピアノを使わず ピアノ曲はあまり書かないようにしていた ピアニストの定番、19世紀音楽は弾く技術がなく 弾く気もなかった

 1990年代には 声のサンプリングを使ってコンピュータで即興していた頃があったが 電子音はどんなソフトウェアを使っても 設定した響きを越えられない 偶然もなく発見もないから飽きてしまった

その後は 年金では暮らせないし 作曲では生活できないから またピアノを弾いている 頼まれるコンサートにはできるだけ自分の作品を入れるようにする その結果ピアノ曲やピアノを使う曲ばかり書くことになる しかたのないことだ はたらきすぎれば 税金にとられ 国民保険の自己負担が増え 自由時間もなくなるから 人になじまず 人目につかないうごきがよい 

中心も行先もない 流れて消える音 構造や構成でもなく複雑さでもなく 楽譜に書けない僅かなリズムの崩れや翳りを行間ににじませる ピアノの演奏も ほんのちょっとの響きや間のとりかたで 流れが変わる その場では共感できても説明も分析もできない 可能性は自分のために できるだけ短く書きつけておく 

1990年代に三味線を習って楽器と手の接触を感じた時は 音はからだのうごきの結果のように思われた 音楽はリズムと音色(ねいろ) 音色は響きの空間で楽器だけでなく音律と音程 旋律と音形もすべて入る 岩波書店から『世界音楽の本』の編集の時はそういう論理だった いまはもっと細かくふるえる神経の束 三味線や経絡でいうツボとヒビキのように 論理で要約し分析して要素に還元するのではなく 区切るだけ 毎回の現れをちがうものとしてあつかう 現れの裏にはなにもない  偶然の瞬間がまばらに断続するだけ 毎日の生活のなかで食べて寝るのとおなじように とりたててなにごともなく起こる瞬間は 循環する時間 位置座標や方向のない空間 遠近だけがある 「方法や理論があっても使わない 人の先に立たない 遠くには行かない なにかが近く見えても そのままにしておく」(老子67章と80章を参考に)