組継ぎ本で綴じた同人誌の2号目刊行のうわさを聞いて注文した。2号目を待ったのは、組継ぎ本ならば各号がつなげるようになっているだろうと思ったから。まもなく、トキとニホンジカとキタキツネの切手がいっぱい貼ってある透明の袋で愛らしく届いた。季刊で発行するロシア詩の翻訳とエッセイの『ぐらごおる』(鐵線書林)、B 6判、創刊号は全36ページ、2号のノンブルはもくじの裏の40から始まり、全52ページ。とるものもとりあえず、つないでみる。
そのへんにあったB5サイズの紙の中から、本文紙に似ていてややかための紙を選び半分に折る。天地からそれぞれ20ミリに目打ちで軽く穴を2つ。間にカッターを入れてスリットを作る。ここに、創刊号の最終ページと2号の最初のページを差し込んで合体する。2つ目を入れ込むのがむずかしい。つなぎの折丁のスリットの端が破けてしまった。やり直す。紙は変えない。紙の問題ではないだろう。ちょっとしたタイミングでスーッと入るはず。そこのところに遭遇したい。同様にしてあけたスリットに、舌を縦に丸めるように紙を巻いて差し込む。何かのタイミングで奴凧が腕を伸ばすようにスッと広がった。あっという間でコツがわからない。うまくいくとそれで終ってしまって寂しい。
『ぐらごおる』1と『ぐらごおる』2が一冊になったところで『ぐらごうる』1+2合体号(創刊号の表紙の前に、総タイトルを入れた一折がやがて欲しくなるね)を開く。創刊号の巻頭で澤直哉さんが書いている。3人が集まってロシア詩の翻訳をしていたが、まもなく縦に組んでみたくなり、ならば、〈とにかくあこがれに忠実に〉、内田明さんのOranda明朝を用い、前田年昭さん考案の組継ぎ本で冊子に仕立てることにしたと。メンバーは7人に増え、皆で作るという理想を持って翻訳も冊子作りもするけれど、〈はじめるからにははじめから、ひとりでも続けられるように作ってある〉。
私にはどなたも初めてのロシア詩人の作品を、同人の方が一つずつ訳しては覚書を書くスタイルで、創刊号に3篇、2号に5篇が並ぶ。ヴァレーリィ・ヤーコヴレヴィチ・ブリューソフの「南十字星」を訳した西辻亜以子さんの覚書「ブリューソフと南極と冷凍食品のはなし」に、勉強会の匂いがちょっとだけする。まずは読み知った作家と時代のこと。それで自分が感じたイメージ。作品の舞台が南極であることから南極という巨大な冷蔵庫に運ばれた冷凍食品でとにかくウマい飯を作る料理人・西村淳さんのこと。そして、この詩が書かれたのはアムンセンが初めて南極点に到達した年と同じだねという同人の指摘を受けての考察。西辻さんの実感が実感されて、ヴァレーリィ・ヤーコヴレヴィチ・ブリューソフさんの名前を繰り返し言ってみる。
2号の編集後記は、澤さんが「文字間から文字空間へ」と題して書いている。本屋でノドの広い本を見ると、〈あられもなくばっくりと開く〉様子に切なくなるらしい。なんか心当たりあるなぁと思ってキュンとなる。右ページと左ページにあっちとそっちを向かれて居心地というか読み心地の悪い本――、私は拒絶されたように感じたけれども、澤さんはそこに、あられもなく開かされた切なさを感じておられる。『ぐらごおる』は組継ぎ本なのでページが180度開く。限りなく本文の行間のままでノドをまたぐこともできるから、組版設計には苦慮されたようだ。最後は〈ノドにある、折丁と折丁との隙間から漏れた光に目を射られて、残すと決め〉て、6ミリにしたそうだ。そして、〈今号からは、虚の折丁をひとつ付けることにした〉。何だって?!
実は創刊号と2号のあいだにB6サイズのトレーシングペーパーがはさんであったのだけれど、単なる間仕切りと思ってあわや捨てるところであった。見ればぴっちり2つ折りされていて、開くとスリットまで入れてある。つなぐための一折りが用意されていたのだ。さっそく「虚の折丁」でつなぎ直す。ほどよい厚さのトレペで扱いもたやすい。読みもしないで手を動かしたのがいけないのだけれど、ここまで万端用意するのなら「虚の折丁」とでも書いた付箋をはっといてくれればいいのに、とひとりごちつつ後記を読み進むと、〈使いたい者だけが使えばよく、不要な紙切れならば破り捨てればよい。虚というものは、見ようとする者にしか見えてこない〉。ならばむしろ「虚の折丁」という物体を準備しなくていいだろう。あるいはこう書くために、そう名付けて用意する必要があったのだろうか。楽しい読書だった。