製本かい摘みましては(150)

四釜裕子

中世の製本をやっと体験できた。河本洋一さんによる「書物の歴史:トークと実作」の2回目、「地中海・ヨーロッパの綴じ、Student Bindingを作る」でのこと。糸の運びはごく簡単そうだけれども、表紙にする板に小さな穴を開ける必要があり、今回はその穴開けから材料の一切をご用意くださるというので、からだひとつで出かけた。本文紙をかがるのに芯となる「支持体」を用い、表紙の板に開けた穴にその支持体を通してつなぐ。このような方法が生まれたのは8世紀、カロリング朝でのことだったから、「カロリング製本」と呼ばれている。それまでの冊子はナグハマディ・コデックスに見られる中綴じや、コプト製本に見られるリンクステッチなどで、いわゆる支持体を用い始めたのがこの時期ということらしい。本文紙の天地の向きと直角に支持体が交わり、それがさらに硬い表紙につながるわけだから、比べてだいぶ丈夫だ。写本作りが盛んになるにつれ学僧も個人で持つようになり、その頃の形をMark Cockramさんが「Student Binding」と名付けたそうで、この日はそれを習うのだ。

会場は浅草寺のすぐそば。宮後優子さんが代表を務める出版社Book&Designのギャラリースペースで、周りは観光客が多いけれど窓の外の公園では子どもたちがおおいに遊んでいた。午前の講義のあと、近くで親子丼(+生黄身、さらに茶碗蒸しとつくね付……)を食べて戻ると、午後の実作の材料と道具が並んでいる。6折分の本文紙、表紙用の板2枚、背に貼るセーム革のほか、支持体用の太めの麻糸と綴じ用の細い麻糸、木釘数本、細い白い革、D環、木ネジ、曲がり針。今回、花切れは編まない。表紙用の板は東急ハンズなどで売っているハガキサイズ5mm厚の樫材とのこと。1枚あたり、綴じ用の穴開けは6箇所。表から裏に突き抜ける4つはいいとして、5mm厚の側面からおもて面に向かって斜めに開ける2つが、想像を絶する。なぜ当時のひとはこんなことをわざわざしたのか、いや、わざわざではなかったろう、こんなことをしてみようとするわずかのひとはこれをいとう気持ちもなかったろう、など思いながら、「支持体を差し込む穴は側面から開けるのがいちばんいい」に到る過程があったわけで、どんな試行錯誤があったのか、想像して試すのも楽しそうだ。

実際にやって難儀したのは麻紐や革紐を木の穴に差し込むことだった。ゆるくてはダメなのだ。なかなか入らなくてなんとかやっと入るくらいがいいのであって、しかしこの日のように複数の人間が同時に作業をするのに、「なかなか入らないけど入らなくはない」という程度に材料を準備するのはどれほど難儀だろうと思ってしまう。数本ずつ用意された木っ端みたいなごくちっちゃい木釘も、いったい何に使うのかと思っていたら、麻紐を穴に通した最後、ゆるんで抜けないように金槌で穴に叩き入れ、すきまを埋めるためのものだった。はみ出た木釘を切り落とし、背にセーム革を貼る。この日の本文紙は洋紙だけれど、パーチメント(獣皮紙)時代は乾燥するともとの形に戻ろうとして波打って開いてしまうので留め金を付けていた。この日も準じて留め金を付けて完成だ。こんなごくシンプルな綴じに慣れてくると、職人も学生も徐々に飾りを楽しむようになっていったことだろう。

河本さんは古い綴じの再現もさまざまにしておられる。『東京製本倶楽部20年、ルリユールのあゆみ』展の図録の冒頭、「工芸製本少史」にそえられた、ナグハマディ・コデックス、コプト製本、カロリング製本、ロマネスク製本、ゴシック製本などの復元見本は、河本さんの手によるものではないだろうか。ほかにもミニチュアの復元品を原寸大に作り変えたり、形や素材のみならず古い資料のモノクロ写真に見た紙や革の汚れなど分かりうる限りを再現したりして、事情を知れば「すごい!」に違いないのだけれども、一見すると笑ってしまうものもあった。その河本さんが「すごい人がいましてね……」と教えてくださったのが、『イリアス』巻子本を再現しているという、古代ギリシャマニアの藤村シシンさん。古代インクを調合し、パピルス紙に葦ペンで『イリアス』を書写、棒に巻き、革紐で結んでタイトルタグを付けたものを、三省堂書店池袋本店でも展示したようだ。

いまの本の基本のかたちは1000年以上前にできていた。そのいっぽうで、巻子本も中綴じも四つ目綴じも、世界中の誰かが常に関心を持ち続けてきて今にいたっているというのはやっぱりすごい。電子本とかあるいは音声でとか読み方が変わっても、人のからだの仕組みが別のものにならないかぎり、本のかたちはこの先も変わりようがないのだろう。世界の全てを転写しようとする本の陰謀っていうのは、やっぱりあると思うんだよなあ。