製本かい摘みましては(180)

四釜裕子

年末に若き日のヤミの日記帳や手帳をまとめて捨てた。昨夏父を見送って、その父にお願いすれば、日記に書かれたヤミのことごとが私に捨てられても寂しくはなかろうと思えたからだ。「お父さん、ヨロシク」とか言い添えて、読み返すこともなくいろんなノートをあっさり捨てた。これはいけるぞと思って、それまで実家から持ち越していたわずかなものも捨ててみた。大丈夫だった。自分も寂しくならなかった。年が明け、現役の日記帳も新しくした。コロナ以降は手帳と日記帳を年1冊にまとめている。ところがなんと早々にひと月ずれたところに書いていた。1月4日は水曜日、なのになぜか青いのだ。青は土曜、土曜の4日は2月の4日、そこで初めて気がついた。間違いに気づくのに4日もかかった。おめでたく、2023年がスタートした。

1月末の夕刊に「消えゆく県民手帳」という記事。高崎のコンビニでレジ前に積まれたぐんまちゃんが表紙の手帳を見つけ、店員さんに群馬県民手帳ですよと教えてもらったばかりだった。県民手帳の多くは統計を担当する部署が編集・発行している。2023年版を刊行したのは39県、平均して670円だそうだ。部数でいうと、例えば滋賀ではピーク時の2万5千部が2021年に7600部となり、2023年版が最後の刊行となるそうだ。ピーク時の3分の1に減ったとか1万部を割ったとか、そのあたりが存続を判断するラインの1つになるのだろうか。手帳はISBNがついて書店にも並ぶ書籍の扱いということをあえて考えると、全体的に減っているとはいえ、1950年代あたりから毎年40前後の版元の1つ1つが少なくとも1万部以上売り続けているのはすごいなと思うし、何よりも県民手帳が消えゆく理由を、紙手帳離れとか材料費や印刷代の高騰だけに収束して記事にしているのは甘すぎる。

ちくま文庫の『文庫手帳』は2023年版も健在。いつからあったのかなと筑摩書房のサイトを見ると1988年版が最初のようだ。今ざっと検索しても過去のものを扱っている古書店が結構ある。そこで売っているのは書き込みのないものだろうけど、あえて使用済みの『文庫手帳』を集めている人はきっといるに違いない。背の「文庫手帳 ○○○○年」の下に自分の名前を書いて、年々増えるのを楽しみにしている人もいるだろう。いとうせいこうさんのパーソナライズ小説『親愛なる』(2014  いとう出版)の場合は、『親愛なる 四釜裕子様』というふうに本の背にも注文者の名前が印刷されて届いたものだ。小説自体にも注文者の名前がさまざまに登場して、さらに注文者の自宅界隈が舞台の一つとなっている。申し込んだ時の住所から最寄り駅などを判断して挿入するしくみだろうけれども、同姓同名の人物がたまたま小説に出てきても驚きこそすれ不思議というほどではないかもしれないが、加えて自宅の近所が出てくると俄然恐怖が増す。今、久しぶりに読んでもぞくっとした。

『本だったノート』(2022  バリューブックス・パブリッシング)という、読むところはないが文庫本サイズのりっぱな本がある。バリューブックスはオンラインでの古本買取販売をメインとして本にまつわるさまざまな試みをしているが、毎日届く2万冊の古本のうち半分は古紙に回さざるをえない現状に、古紙回収が悪いことではないけれど別のかたちで価値を生みたいとアイデアを重ね、ノベルティ用に作ったら好評だったので、翌2022年、クラウドファンディングで資金を募り製品化したそうだ。本文紙は牛乳パックの再生パルプを3割加えたザラ紙で、ところどころに文字のかけらが混じっている。手元のものには小さな「日」とか「は」とか「る」が見える。インクは捨てられる予定だった「廃インク」を利用、表紙カバーのデザインには自然なグラデーションを採用し、それは、濃度調整をすることで無駄になってしまう用紙が極力出ないようにするためらしい。私のは淡い黄色のきれいなグラデ。シルバーの帯が付き、表紙カバーの袖にはQRコード。ここから「本だったノート」のストーリーを読むこともできる。880円。本文紙には何も印刷されていないけれど、読後感が確実に得られる本だ。

古書をそのまま本文紙にした『100 BOOKS 1907-2006』(2006 ひつじ工房)という本もある。古書店ユトレヒトの代表だった江口宏志さんが、1907年から2006年までに出版された本の中から、1年1冊、1ページづつ切り取って、新しいものから順番に綴じて100部限定で刊行したものだ。その23番を、表参道のギャラリー同潤会で開かれたAAC展で購入したのだった。『100 BOOKS 1907-2006』の判型より元の本が大きければ裁ち落としだが、小さいサイズの本も結構あるから背固めはさぞや慎重になされたことだろう。選ばれた本たちは和書・洋書、ジャンルもいろいろ、紙質もいろいろ。中には書き込まれたページもある。1910年の『尋常小学読本』にはきれいな鉛筆文字で、「拝借」の「借」に「シャク」などルビが振ってある。1974年の『考えるヒント2』(小林秀雄 文藝春秋)には、「世の中には、時をかけて、みんなと一緒に、暮してみなければ納得出来ない事柄に満ちている」の横に太い緑色の線が引いてある。1987年の『夢をみた ジョナサン・ボロフスキーの夢日記』(イッシ・プレス)は図版の一部だが、説明が裁ち落とされているのでそれが何かわからない。気になってうちの棚の『夢をみた』で探したところ、「夢」と「カウンティング」によるインスタレーション(1979  ボロフスキー)の一部とわかった。でもこの本はノンブルがないので、ここにそのページを記すことができない。製本後の検品は結構大変だったんじゃないだろうか。