製本かい摘みましては(186)

四釜裕子

正面に窓、窓辺に花。窓は大きく外に開いて海鳥が2羽飛んでいる。窓に向いた椅子に男が腰掛けていて、左手で本を広げて読んでいる。右手にタバコ、飲みかけの紅茶。花瓶が窓枠の外に描かれているからか、浜辺にそのままつながっているようで不安定だ。部屋は半地下かもしれない――実はこれは野村悠里さんの『或る英国俳優の書棚』(水声社 2023)で見た蔵書票にある絵だ。野村さんは製本・ルリユール・装幀の専門家で、前著に『書物と製本術――ルリユール/綴じの文化史』(みすず書房 2017)がある。400年前に出版されたイタリア史の英訳本の、マーブル紙の見返しにこの蔵書票を見つけたそうだ。絵の上には「誰も死ぬまで幸福ではない」、下には「セシル・F・クロフトンの蔵書」の文字。その名前を頼りに野村さんはかつての所有者探しに英国に向かう。『或る英国俳優の書棚』はいわばその探偵記だ。

その人はセシル・フレデリック・クロフトン(1859-1935)という元俳優で、俳優業を30代で引退していた。その後アンティーク・ショップを経営するなどしたようだが、手のひらサイズの本を集め続けて1932年に500冊をロンドン大学に寄贈している。自ら「リトル・ブック」と呼んだ小型本の大きさはおよそ縦12cm×横8cm。対象にしたのはイギリスやフランスで16世紀から19世紀に出版された古典や近世期のテキストで、アンティークの革装本を好んで集めた。見た感じは18世紀後半以降にまず女性たちの間で流行った「ポケット・ブック」に似ているそうだ。マナーや占星術や詩句が印刷され、19世紀になると革のカバーをつけて持ち歩く人が増えたという。

リトル・ブックというのはチャップブックの超豪華版みたいにとらえればいいのかなと思ったが、〈庶民の読み書きの普及を伝えるチャップブックのような廉価本でもなければ、ましてやテキストは初版本ではない。古典文学、小説、詩集、随筆等を再版したものの小型本〉だという。『或る英国俳優の書棚』にはロンドン大学に寄贈されたリトル・ブックのカラー写真もたくさんあって、これを見ると特別豪華な装幀ではない。とはいえ革装だしサイズが小さいともなると趣味性が高いのかなと思ったが、〈革装本としては、リトル・ブックは造本も装飾も一流とはいえない、個性派の脇役者のような装い〉で、〈名の知れた職人による装幀であれば、美術工芸品としてミュージアムに寄贈することもできたかもしれない〉けれどそうではなく、〈ある一定の階層にとっては日用品にしかすぎない類の本〉というのだ。実際、クロフトンはそれをよく読んでいたようで、〈舞台衣装の一部と思われるピンクや黄色の羽毛の飾りが、ふわふわと挟まっている本もある。外に行くときや地方ツアーに出かけるときは、小ぶりのシェイクスピアの本を持参することもあったのかもしれない〉と野村さんは書いておられる。

一定の階層にとって日用品にしかすぎない類の、というのがつかめない。アン王女をモデルにした映画『女王陛下のお気に入り』の中でエマ・ストーンがオフの日に馬で出かけて木陰で本を読むシーンがあったけど、ああいうときに持っていく感じなのかな。と思い見なおしてみたがよくわからなかった。投げ出したあの本は拾ったんだろうか。後にレイチェル・ワイズに「盗んだわね」と迫られたドライデンの詩集がこれだったりして。レイチェルの巨大な本棚はいろいろなサイズの革装本でぎっしりだった。暗闇に浮かぶ背や帳簿の表紙やエマが自分の顔を殴るのに使った本の小口の金箔がキラキラだった。エマがオーバースカートを前中央から左右にめくり上げたようなたわみに隠していた”毒”をレイチェルの紅茶に入れていたけど、そもそもあそこはポケットとして使う場所なんだろうか。別のシーンではエマがブランデーか何か飲みながら片手をそこに突っ込んでいて、そのふてくされぶりもよかった。常に本物の分解からスタートする衣装標本家・長谷川彰良さんなら、この映画の”ポケット”をどう解説されるだろう。

『或る英国俳優の書棚』は、クロフトンのコレクションの分解解説書と言ってもいいかもしれない。野村さんはロンドン大学に寄贈されたコレクションの調査結果を「書棚」と題した一連のコラムで俯瞰して、その意義を検証している。中で特に「本を綴じること」という章立てが2つあり、クロフトンの友人でジャーナリストのフランク・ハードのエッセー「本を綴じること」も紹介している。『ガールズ・オウン・ペーパー』(1897年)に寄せられたもので、個人で営む製本工房で見た作業工程なども詳しく記している。『ガールズ・オウン・ペーパー』は女性のための教養や職業などを紹介する1880年創刊の週刊誌で、1部1ペニーで売られていたそうだ。他にフランク・ハードは、美しい本の文化の中心はずっとフランスにあり、イギリスには製本職人が少ない、というようなことも書いている。

このあたりを野村さんの記述から補ってみる。フランスでは17世紀に王令によって書籍販売と製本の兼業が禁止され、〈国王の庇護のもとに高度な金箔押しとその治世を代表する装幀様式が発展〉したために、〈革装幀の歴史は王室製本師とともに語られてきた〉が、イギリスでは〈まさにアノニマスでその歴史は曖昧〉。したがって〈金箔押しの歴史を取り上げようとすると、多くはフランスの装幀様式を説明するところからはじまっている〉。しかし19世紀末になるとフランスでは画家や版画家との協働で表紙を飾るような試みが増え、一方イギリスでは技術的にはフランスの伝統を踏襲するものの、〈高度に発達したクロス装の方に、そうした具象的な表現が次々と取り入れられていった〉。1820年代以降はクロス装が普及して徐々に機械化が進んだというから、クロフトンのコレクションは〈そのはざまの手仕事の変化を伝える資料群〉になっていて、さらにフランス革命前後の出版物を含んでいることもこのコレクションをユニークなものにしているのだそうだ。

野村さんはクロフトンの人物像にもせまった。コレクションの1冊ずつの紙や革・箔などの素材のこと、製本や装幀の技術やデザインのこと、版元や書店・流通のこと、働き方のこと、所有者変遷にまつわること等々が、どんな時代背景のもとでクロフトンの生涯にクロスしたのかを書いている。人となりを調べるにあたっては、クロフトン自作のスクラップブックが大いに参考になったそうだ。細かくジャンル分けしてこれまた大量に作り続けていたようで、ロンドン大学やブリストル大学などに4冊だけ残っているそうだ。クロフトンは、公爵家の私生児という出自を隠していたのではないかと野村さんは推測している。小さい革装本を好んだ理由については、〈家柄に気兼ねなく、群衆にまぎれこむためのツールだったようにも思える〉。匿名で座礁事故を記録してライフ・セービンングの重要性を説いたり、アンティークを寄贈したり慈善活動をさまざましていたのは、〈ノブレス・オブリージュを果たしていたとも考えられる〉。

さらに蔵書票の絵の元になったと思われる自室の写真や風景画もつきとめていて、「誰も死ぬまで幸福ではない」という格言にも触れている。ヘロドトスの『歴史』に出てくるソロンの言葉だそうで、ソロンは「世界で一番幸福なのは誰か」と王に問われたときに、王の名前ではなく一庶民の名前を示したのだそうだ。私はこの絵について、冒頭で「部屋は半地下かもしれない」と言ったけれども、事情はわからぬが案外そう思ってもいいのかも。窓辺の花をクロフトンが外の”世間”へ手向けたものだと考えてみるならば、当時の世間からおよそ100年後の世間にいる私はその花越しにクロフトンをのぞいているようなものだろう。その部屋は浜辺にひそむ穴ぐらかポケットか。ズボンのポケットのすみにいつか拾った貝の破片が糸くずやほこりにまみれて固まっているのをしつこくまさぐるようにして、誰も認識できないアンタッチャブルな幸福をのぞき見る。

今年1月に刊行された羽良多平吉さんの『断章集 二角形』(港の人)の判型は、編集した郡淳一郎によると「芸大生の頃、右のポッケに岩波文庫の『地獄の季節』、左のポッケにピー缶だったんだ」という羽良多さんの言葉からおよそ縦18cm×横11cmに決めたという。東京での刊行記念トークイベントで話されたようだが、予約したのに行けなくなってしまったのが残念だった。実物を手にするまで、大きな本と思い込んでいたのはなぜだろう。そしてこの本は”別名 Pocketful of Rainbows”、というのも郡さんのXで見た。 ♪ポケットにいっぱい虹をつめて……愛・愛・愛・愛~♪  YMOが歌う「Pocketful of Rainbows」がプレスリーのカバーと知ったのはだいぶ後のことだった。本でも毒でも貝でも虹でも幸福でも、ポケットとは離れがたきものの隠し場所であり住処である。