製本かい摘みましては(117)

四釜裕子

縦横の道をどれだけ歩いたところでそれが決まって週末となれば、息づく町もこちらが会えるのは吸ったところか吐いたところかどちらかだ。近所に廃業を決めた紙器所があると聞いて向かうと、いつもシャッターが降りて静かな一角だった。細い道をはさんで徐々に敷地を増やしたのだろうか、二階建ての建物数軒に渡って社屋が連なっている。関係者じゃなかったらあえてこの道を選んで通るひとはいないだろう。名前だけ聞いていた約束のひとを受付にたずねると、南側全面の窓を背に長電話をしていた社長さんだった。あいさつもほどほどに「もう、ほとんど処分しちゃってね」と言いながら、これまで手がけてきた化粧品や文房具、食品などのパッケージを見せてくださった。がらんとした事務所は日射しがまぶしい。ブラインドはあげたままだ。

窓から見下ろすと道向かいの建物の入り口が大きく開いていて、「廃棄」の札が貼られた籠をめがけてひとが出入りしている。そちらに案内いただくと、奥に平版の自動打ち抜き機があった。抜き型に紙を押しつけ、切り抜き線や折り曲げ線をつける機械だ。気配はアマゾンのワニのよう。見たことはないけれど。この機械には「オートン」という愛称があって、実はそれは国産メーカーがもつ商標だ。改めて調べてみると、段ボール箱などの製造メーカー・タナベインターナショナル(1947年創業)と紙箱などを作る機械メーカー・菅野製作所(1946年創業)を2014年に吸収合併した日本紙工機械グループが所有していた。もともとお菓子を作る機械のメーカーだった菅野製作所が菓子箱製造機械も作るようになって、自動製函機「サックマシン」や日本初自動打ち抜き機「オートン」を生んだらしい。オートン機は現在もヴァージョン・アップを続けており、最新型は四角く覆い囲ったトーフ型である。この日見たのはゴムのベルトやチェーンがむき出し、小さな円形のハンドルは目が回るほどたくさんついていて、機械の途中には大きな鏡(紙を挿入する位置から作業の進捗を見られるようにしたんだろう)が、そしてほうぼうにガムテープで白い紙(どれもわけありなんだろう)が貼ってあり、昭和の香りを放っていた。この時代の機械を見ると、社会全体で試作品を作り続けてきたように感じる。「もはや鉄くず。でも十分、稼がせてもらった」。

オートンの反対側に小さな階段がある。上は事務所だろうか。スリッパが2つ。「見ますか? そのままでどうぞ」。土足のまま4人で2階にあがる。椅子に腰掛けて作業をしていた女性と目が合い、「おじゃまします」に「スリッパにはきかえて!」が重なった。「いい、いい」。社長が言う。ここにもまた大きな機械、サックマシンだ。打ち抜き機で入れた折り線にそって折り曲げたり、貼り作業もこなす機械だ。こちらも昭和の香りいっぱいで、ゴムバンドの水色やボタンやチューブの赤色は、もはやかわいいとしか言いようがなかった。結束のための機械や大きなホッチキス留め機械、作業のための椅子や踏み台、机などが散在している。どれもこれもやわらかな木で丈夫に手作りされている。奥に並ぶスチールロッカーを見る限り、ずいぶん多くの人がここを職場としたようだ。さっきの女性が仕事を終えて下に降りた。椅子には手編みの座布団がかけてある。

事務所のある建物の1階には、手前から、断裁機、スジ入れ機、打ち抜き機2台が並んでいた。いずれも昭和40年前後の、職人ひとりが向き合って操作する鉄のかたまりのような機械である。打ち抜き機は、切り取り線や折り曲げ線などをつけるための木型を固定して紙を1枚ずつはさんでプレスする。ビク抜き機という別名のほうがよく使われていて、これはイギリスのビクトリア社という機械メーカーの名称からきているそうだ。この作業自体を「ビク抜き」とも言う。壁面にはビク抜き用の型が、右から左へ、小さいものから順にたてかけてある。直近まで注文のあったものだろう。ビク抜きの職人さんが戻ってきた。「彼はね、優秀でね、次の仕事がすぐ決まったんだ。貴重ですよ。若いからね」。社長が言う。四十代だろうか。ここにある機械はすべて、この場所ごと同業他社に引き継がれる。

もう一度事務所に戻るとお客さんがいた。「だいぶ片付いたね」。長いつきあいの紙屋さんだという。くもりガラスで囲われた応接室兼休憩室のドアが開くと、さっき向かいの2階にいた女性が大学いもを小皿に分けていた。三時の休憩だ。「こんにちわ」と、また客。対応した別の女性が「社長、町会費だって」。「もうね、来月で廃業するんですよ。払わなきゃ、だめ? そうか。これで最後だ。お世話になりました」。私たちも礼を言って外に出た。オートンとサックマシンのあった建物の隣は倉庫か駐車場として使っていたのだろうか、真っ暗な中にものすごい数のビク抜き用の型がある。本来、それぞれが発注者のものである。のらりくらりと歩いていたら角のクリーニング屋で自転車に乗った社長さんに追い抜かれた。通りの向こうに銀行がある。