製本かい摘みましては(80)

四釜裕子

ほんものですかと聞いた。東京・駒込にある東洋文庫ミュージアム。2階に上がって薄暗い中に浮かび上がるのは、写真や映像でしか知らないイギリスやストックフォルムやウィーンの図書館や司馬遼太郎記念館を思わせる天井まで続く書架。「モリソン書庫」とある。北京に暮らしていたオーストラリア人のジャーナリスト、ジョージ・アーネスト・モリソンが集めたおよそ2万4千冊を1917年に岩崎久彌が一括購入、その後、自身の蔵書などと合わせて1924年に財団法人東洋文庫をたちあげた。2011年秋に建物の改築に伴ってミュージアムを併設し、展示室(といっても実際の出納もおこなう)としての「モリソン書庫」を完成している。

文庫全体の蔵書は現在およそ100万冊。ミュージアムができたことでさまざまな企画展として蔵書が公開されるようになり、研究者でなくても閲覧できるようになった。取材で貴重書のいくつかを見せていただく。温度湿度を自動管理された部屋ながら緊張してヘンな汗をかく。実際のところ、それぞれの資料のどこがどう貴重なのかほとんどわからない。でも、浮世絵の紺や赤のグラデーションのなんて鮮やかなこと、明の時代の漢籍の紙がなんて白く朱や墨のなんて艶っぽいこと。文庫の方が熱い思いを淡々と延々と話されるのを聞きながら、『東洋文庫の名品』(平成19年 東洋文庫)にあった、収集と保管、研究に寄せるたくさんのひとの執着や情熱を思い出して、ひとの一生では過ごしえない時間と知りえない世界を渡り歩いてきた本たちへの、ねたみみたいなものを覚えてしまった。

このミュージアムはフラッシュを使わなければどこで撮影してもかまわない。「モリソン書庫」をバックに自分撮りするひとが多いようだ。もちろんわたしも。どの1冊もまともに読んで理解することはできないのに、すべての本が”わたしのもの”でもあるように感じるのはどういうわけか。本は読んで理解できたら最高だが、理解できなくても読めなくてもそれでもいい。しあわせなやつだな、本って。