生き物としての本(下)

イリナ・グリゴレ

七歳の秋、小学校に上がるために、両親のもとで暮らすことになった。独裁者が殺害されて国の歴史が変わったのと同じ年、私の中の歴史も大きく変わった。それはカフカの小説に出てきそうな不条理な気分だった。社会主義の澱がよどんでいる、魂を失った人々の町に移ったのだ。秋の涼しい朝、母に連れられて、祖父と菊の花を売るために乗ったのと同じ始発に乗り込んだ。あの冷たい朝の悲しみは、死ぬまで忘れられない。それは死のように感じられたし、別れという言葉の真の意味をかみしめたのもその時だった。そのころ、母は週末にしか実家に立ち寄れず、祖父母が実の親のようなものだったから。

私は家から駅までの道をずっと泣き通し、喉がかれるほどの大きな声で叫び続けた。母の手に引っ張られて、朝まだ暗い駅へ向かった。この村にいつでも戻ることが出来ると言われても、どうして同じ私に還れるだろう。確かにあのとき、私の中の何かが完全に失われてしまった。その日、ともかく電車で森に囲まれた村を出て私は、世界に捨てられた気持ちで小学校の入学式を迎えた。

両親は鉄筋コンクリートの団地に住んでいたが、学校は一時間くらい歩いたところにあった。母と弟と三人で町の周辺を通って、一番貧しい地区にあった学校へ通った。道の途中には、まるでデスバレーのような深い穴が掘られたかなり広い空き地があって、ゴミに混ざって動物の死骸がたくさん投げ込まれていた。経済が混乱していたせいか、当時は病気らしい馬や犬がよく路上に倒れていた。なかには半死半生のまま野良犬に喰われる哀れな馬などもいたが、それが文字通り骨の状態になるまでを最初から最後までみた。毎朝見かけるこの死の光景は、地獄そのものだった。

想像してほしい。ある朝通りかかると、ひどく病んではいたが毛色の美しい白馬が穴に投げ込まれていた。最初は可愛そうなこの馬を助けたいと思う気持ちで心が痛んだが、毎朝それを観ていると次第に死の匂いが自分の皮膚に移りはじめる。どうしても消えない死の匂いとイメージが重苦しく残る。

小学校から帰るとアパートの四階の窓枠に腰掛けてじっと外を眺める。ゴミをあさる貧しそうな子供たちがいる。ゴミの山から顔をだしてパンをかじっている。その子たちが私より不幸せかどうかなど関係なかった。私には食べ物があったけど、あの子たちと同じ、この人工的に作られた工場とコンクリートの町に閉じ込められていた。

町に住む私たちの生活は、祖父母の食糧で支えられていたから、週末と夏休みは村で過ごした。菊の花を売り、ワイン作りの手伝いをした。毎朝動物の死骸を見る生活から解放され、金曜日の午後、電車から見える森や畑の景色と再会するたびに涙が出た。両親はワインのバケツと収穫物を運び、終わると私と弟を連れて町に帰る。そのたびに私は泣きわめいた。

町に住み始めた私の助けになったのは、読書だった。町にいるときはずっと本を読み続け、夏休みに村に帰っても図書館で借りて読み続けた。朝から晩まで懐かしいクルミの木陰で、桜の木に登って、本をむさぼり読んだ。村の図書館の蔵書は豊かで、夏休みが終わると祖父が大きなバッグに本を詰め込んで図書館に返しに行ってくれた。そして高校生になって庭の桜が枯れた頃、図書館の新着本の中に、ルーマニア語版『雪国』を発見した。読み始めたら止まらなかった。

それは列車だった。川端康成が書いた冒頭の有名なシーンは汽車だったが、私の中では、あの村と町を結ぶ列車のイメージとして再生された。車内の若い女が自分と重なりあい、忘れがたい感覚を呼び起こした。本の中で初めてこんなに自分と似ている人がいた。遠い日本の汽車なのに、私も乗っている気がした。ずっと列車に乗っていた。同じ車内に私もいたと叫びたいぐらい、自分の体が痛いぐらい懐かしかった。日本語を勉強し始めたきっかけは、そんな読書体験からだった。

その二年後、偶然遭った人から俳句の本をもらい、さらに二年後にまた列車に乗り、青森という雪国に向かった。「あなたは読んでいた本のところにいつも行けるなんて! この勇気はジプシーの乳を飲んだからじゃない?」と母は笑って言った。運命の妖精は踊りながら、きっとそこまで考えていたのだ。

私が育った村の家の通りを数軒行ったところに、ジェル・ナウムという名の老人が住んでいた。あまり見かけることはなかったけれど、どこかへ釣りに出かけるジェル・ナウムとすれ違った時のことは、はっきり覚えている。がっしりとして背が高く、オーバーオールを着て、肩に長い釣ざおを担いでいた。歩き方は踊りのようだった。汚い裸足の私は農夫の子供にしかみえなかったはずだが、一瞬だけ目が合った。空気が薄くなった気がした。

子供の私には知る由もなかったが、ジェル・ナウムはシュルレアリスム運動の主要メンバーで、パリで詩作をしていたこともある。ナウムの言葉に初めて触れた時、シュルレアリスムではありながら、否むしろそれだからこそ、私が生きた村の背景や、私が感じた目に見えない存在が凝縮されていると感じた。彼の本それ自体が生きた動物であるかのように。シュルレアリスムにはルーマニア人の血が流れているのだ。本を生かすのは踊りのような言葉にほかならない。本もまた身体の一部なのだ。私の肉が育った村を通して、それは世界の一部だった。

(「図書」2014年9月号)