石川さんとのアポは容易にとれた。彼は今や売れっ子の新進作家で、しかも雑誌は飛ぶ鳥落とす勢いの少年ジャンプ誌である。指定された練馬の喫茶店に赴くときは、少なからず緊張していた。いっきに書き上げた3〜4話分の原作とシノプシスは、読みやすさに留意して、何度か書き直したものを携えている。約束の時間前に到着し、彼が現われるまではと、何も注文せずにひたすら待つことにする。
やがて彼が姿を見せた。緊張はピークである。名刺を差し出して挨拶。注文を聞きに来たウエイトレスに、私が「コーヒーか何か?」と言うと、石川さんは軽く手を振り「いや、ボクはいいです」このとき背中にジワッと嫌な気配が漂ったが、すかさず世間話に切り替え、私が彼の「北の土龍」に注目していることなどを伝えた。彼は礼を言うと「あれ、もうすぐ終わるんで、次の打ち合わせに入っているんですよ」と言う。
そりゃ、そうだろう。ジャンプ誌としては、ここまで育て、目論見どおりのヒット作をものにした新人を放っておくわけがない。ここまでは想定内なのだ。こちらとしては1年でも2年でも待つつもりでいたから、「あなたの絵を思い描いて書いたものです。目を通していただけると幸いです」と原稿の入った封筒を手渡した。彼は無言で封筒を開くと、プリントアウトされた文面に目を落とすわけでもなく、ゆっくりと4つに畳んだ。
「このあと打ち合わせが入ってるんです」と、4つ折りにしたプリント用紙をヒラヒラさせながら、数メートル離れたテーブルに目をやる。振り返ると、そこには2人づれの編集者然とした男たちが座っていて、彼に呼応するように軽く手を挙げた。集英社だ…。目を戻すと彼はすでに中腰になっていて「これ、目を通しておきますんで」と私に告げると、軽く会釈をして席を立ち、そのテーブルに向かってスタスタと歩いて行く。
私は空になった封筒をバッグに戻し、明るい声で会話が始まったテーブルの面々に、ちょこんと頭を下げて喫茶店を後にした。胸にポッカリ穴が開いたような気がして、言い知れぬ虚脱感が漂う。まぁ、こんなもんだろう、という気分にはなれそうになかったので、オフィスには戻らず、その足で小学館に向かう。ヨソの会社なのに自分は何をしてるんだという思いもあるが、ひとりで考えてもどうなるものではない。
小学館の友人は笑いながら「そんなこと、オレたちはしょっちゅうだぜ」と言う。「最初のイメージとは違ってしまったろうけど、要はその作品が世に出るか否かってことじゃないか?」そりゃ、そうだけど…。「もう一度、(イメージを)組み立てるっきゃないぜ。じっくり行くことだよ」…わかったよ。ありがとう。また誰か、作家さんを紹介してもらえるかな?「うん、誰かいるよ。焦らないことだぜ」
その後、1カ月ほどブランクが続く。私はと言えば、小石くんに月刊オートバイ誌で連載してもらう作品の打ち合わせに忙殺されていた。作品の題名は「マギ〜!」に決まる。彼のイメージの中には「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャーがいて、内容は学園ものであり、破天荒だが憎めない男子生徒が主人公になる。マギーと名付けた鉄のバイクに彼がどう係わって行くのか、ここはお手並み拝見というところだった。
例の話はその後さっぱりで、小学館の友人から連絡もない。自分としても心が折れたようになって、続きの話をまとめる気にもなれなかった。考えてみれば、この作品が石川サブロウさんによってできあがるのだというイメージは、自分の中で勝手に大きく膨らんでいたのだろう。今になってみると、なんで? とも思えるのだが、そのときはそう思えたのだから仕方がない。半ば、あきらめかけている自分がいた。
ある日のこと。自分のオフィスにいても仕方がないので、小学館に出向く。ここは広大な1フロアに少年誌と青年誌が一堂に会していて、かの友人が在籍する編集部にたどり着く間に、いくつもの編集部を通り過ぎる。そもそも昼下がりに編集スタッフがいるわけはなく、どこも閑散としたものだ。売れている雑誌のスタッフの多くは夕方に出社して、また社外へと消えて行くのが常である。職業柄、仕方のないことだ。
そんな中でも最近タイトルが上昇中で、近く新しく発刊される雑誌の編集長候補である友人は、ちゃんと席に座っていた。彼は私の顔を見るなり「おー、来たか。まだ見つからないんだよ。あの話は背景やら小道具やらの描写が難しいからなぁ」と言う。こちらも気にしていなかったわけじゃないけど、すぐに作家さんが見つかるとも思っていなかった。そのことを彼に告げると、彼は席を立って私を編集部の一画に案内する。
そこには小学館の新人賞の応募作や、受賞作の生原稿がきちんと収められた棚があった。「この中でさー、これと思うやつ、あるかどうか見てみれば?」…いいの? 私はドギマギしながら言う。これらは小学館にとって貴重な資料であり、財産なのだ。部外者である私に閲覧などさせていいのだろうか? 幸か不幸か周囲に人影はないし、こちらを注視する視線も感じない。私はいくつかのファイルに手を伸ばした。
さすがに、どれもレベルは高かった。絵柄がこなれて来れば、すぐにでも第一線でデビューできそうなものばかりだ。と、その中で目に留まる作品があった。内容は太平洋戦争末期、捕獲した米軍のB17爆撃機を、帝国陸軍の航空隊が東京湾上空で飛行させるというものだ。ストーリーにインパクトのあるオチがないのが残念だったが、描写は巧みで申し分ない。私はそのファイルを手にして彼の席に戻った。
「あー、目が高いじゃないか。それ、スピリッツ誌の新人賞だよ」へぇ、そうなんだ。でもこの人…、吉原さんって言うの? まだデビューしてないよね?「ん? …う、うん。ちょっと問題があってね。彼、使えないんだ」と、友人が言う。「オリジナル誌の編集部に福田ってのがいるから、オレよりヤツから聞けばいいよ」珍しく、友人は顔を曇らせていた。なんだろう? それは後日、福田氏との話でわかることだった。
福田氏によると、吉原さんはかなりの有望新人であり、昨年に発刊されたスペリオール誌の第1号の巻頭でデビューするはずだったと言う。しかも作品の原作を担当するのは大御所中の大御所、Kさんだ。新人作家のデビューとしては、これほど恵まれた環境は稀に違いない。ヒットは約束されたようなものだからである。ところが、その打ち合わせに新宿のホテルでKさんと待ち合わせた吉原さんは、意外にもこの話を蹴ったというのだ。
怒り心頭のKさんは「アイツは使うな」と言い放ち、憤然として席を立ったという。その場には新生スペリオール誌を任される編集長と、担当を予定していた手練れの編集者も同席していたから、冗談では済まされない。小学館ばかりでなく、大手の出版社で数々の大ヒットを飛ばすメガヒットメーカーのKさんの言葉は重く、これで吉原さんの小学館でのデビューの道は、閉ざされてしまったことになる。
「でも、さ」福田氏は机の状差しからオリジナル誌を1冊取り出し、私に見せる。オリジナル誌なら毎号目を通しているので、見落とすはずはないのだけれど…。よく見ると本誌ではなく、増刊号だ。その巻末に「アラビアのロレンス」でおなじみのT・E・ロレンスを扱った作品が載せられていた。作者は…吉原昌宏。彼ではないか! ダイジョブなの? 福田氏は「Kさんも増刊号までは目が届かないね」と、ニヤリと笑ってみせた。
新人賞を獲得して以来、吉原さんに肩入れしていた福田氏は、彼を放っておけなかったのだろう。しかし吉原さんは小学館の扱いにいまだ憤っていて、福田氏以外の編集者とは会わないのだと言う。ボクでも会えないかしら? と言うと、福田氏は腕を組み、ちょっと考えてから「オレとしては、ヤツに描いてほしいんだよ。でも、年に2回の増刊号じゃ話にならん。一応、話は通しておくよ」ダメもとの、2回目のトライが始まった。