水牛的読書日記 2022年7月

アサノタカオ

7月某日 東京・下北沢の Bookshop Traveller へ。写真家の宮脇慎太郎と訪問。お店には彼の写真集『UWAKAI』ほか、サウダージ・ブックスの本が揃っていて、なんと面出しされている。そこに行けば感謝の念を込めて手を合わさずにはいられない、われらの「聖地」だ。

聖地としての本屋さんを巡礼する旅の道——。それは、オーストラリアの先住民、アボリジニの人びとが歩きながら天地創造の神話を学ぶという「ソングライン」みたいなものかもしれない。ぼくは、書店に限らず土地土地の「本のある場所」でさまざまな物語に出会い、知恵に出会い、それらをつなぎあわせるようにして歩いてきた。本の道、歌の道。自分の中にも、そんな魂のルートマップがあるのだと思う。

夜の下北沢では、古本カフェ・バーの気流舎に移って文化人類学者の今福龍太先生と宮脇くんの対談に参加。『UWAKAI』刊行記念のトークイベント。今福先生は、愛媛・宇和海と同じリアス式海岸の地、スペイン・ガリシアへの旅について語り、19世紀の女性詩人ロサリア・デ・カストロの「風」をテーマにしたガリシア語の詩を朗読。地図で見るとガリシアと宇和海の地形はほんとうにそっくりで、気候風土も似ているみたい。

7月某日 『徳島文學』4&5号をまとめて読む。久保訓子さんの小説は「枯野」も「夜の波」も大変読み応えがあった。ラテンアメリカ文学を彷彿とさせる幻想的な物語、文体のうねり。それらの力に激しく揺さぶられながら、最後の一行に辿り着く頃には途方もない世界へ心がさらわれていく。まさに徳島のマジックリアリズム! 作家の久保さんから直接お話を聞く機会があったのだが、メキシコの作家ファン・ルルフォや、アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルを愛読されているとのこと。深く納得。

5号所収の髙田友季子さん「ゼリーのようなくらげ」も強烈な小説。「地方」における女性に対する有形無形の暴力が主題で読後に重苦しいものを受け取ったが、これは感じることが必要な重苦しさだと思う。文芸誌『巣』で髙田さんは「好きな作家」として韓国の作家チョン・イヒョンを挙げていたが、たしかに「ゼリーのようなくらげ」には『優しい暴力の時代』(斎藤真理子訳、河出書房新社)と通じるものがある。

7月某日 以前、新潟の砂丘館で入手した『記録集 阪田清子展——対岸 循環する風景』(小舟舎)を再読。在日の詩人・金時鐘の長編詩「新潟」が問うものに応える美術家の作品や関連するトークの記録を集成した一冊。いつか阪田さんの作品をこの目でみたいと思う。

7月某日 鄭敬謨『歴史の不寝番(ねずのばん)——「亡命」韓国人の回想録』(鄭剛憲訳、藤原書店)を読みはじめる。日本の植民地支配からの解放後、朝鮮半島の激動の現代史における数々の画期的な現場に立ち会い、亡命者として日本から韓国民主化と祖国統一を訴えた評論家の回想録。翻訳は著者の息子の鄭剛憲さん。

7月某日 参議院選挙の応援演説中に安倍晋三が銃撃されたとの一報に驚いた。日々更新される報道によれば、事件の背後には、日韓の戦後政治史に巣食う「カルト」と反共イデオロギーの存在が見え隠れし、それゆえに鄭敬謨『歴史の不寝番』を読む意味が一段と重みを増す。

7月某日 文芸誌『すばる』8月号で、今福龍太先生の連載「仮面考」4回(金芝河論)、くぼたのぞみさんと斎藤真理子さんとの往復書簡「曇る眼鏡を拭きながら」7回を読む。

7月某日 斎藤真理子さん『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)読了。すばらしい本だった。大文字の歴史が、小さな個人の心身を擦過して行くときに残す具体の痕跡を描き出すのが「韓国文学」の力であれば、研究や評論の高みから傍観するのではなく、あくまでこの時代を生きるひとりの「個」という立場で真正面からそれを受け止めようとする。そんな斎藤さんの読解の姿勢に打たれた。

『韓国文学の中心にあるもの』の随所に「水」の比喩があらわれる。水面下、水圧、水底、波形、沈んでいるもの……。第2章のテーマであるセウォル号以後文学との関連を考えれば、これは単なる修辞ではなくこの本に一段深い意味の襞を刻んでいるように感じられた。

その他、この本を読んで知ったこと。韓国現代美術館で開催された崔仁勲『広場』(1961)をテーマにした企画展。それに合わせて短編小説アンソロジーが編まれ、作家パク・ソルメが『広場』の主人公・李明俊と金時鐘、永山則夫を「密航者」として繋げる作品を寄せているらしい。これはいつか読みたい。また自分と同世代の韓国の文芸評論家シン・ヒョンチョルが、「人生の書ベスト5」で柴田翔『されど われらが日々——』を取り上げたエピソードにも興味を引かれた。1995年に読んだという。この年、自分はどう生きて何を読んでいたのだったか。

7月某日 東京・西荻窪の忘日舎で、韓国の児童&青少年文学の作家イ・グミの小説『そこに私が行ってもいいですか?』(里山社)の読書会に参加。韓国文学を愛読する人びととの出会いもうれしかったし、本書の翻訳者で日韓史研究者の神谷丹路さんによるレクチャーもすばらしかった。この小説については、水牛的読書日記番外編「私たちは読みつづけている」に、2022年5月15日の熊本日日新聞に寄稿したこの本の書評を転載している。

https://suigyu.com/2022/06#post-8276

行き帰りの電車で、韓国のグラフィックノベル作家パク・ゴヌンの『ウジョとソナ——独立運動家夫婦の子育て日記』を再読。こちらも神谷丹路さんの翻訳、里山社刊。イベントのあとに、里山社の清田麻衣子さんから移住した福岡での暮らしに関する話もいろいろと。

7月某日 旅仕度をしていると郵便がどっさり届く。エッセイを寄稿した掲載誌など。『CUON BOOK CATALOG』Vol.3には、「金石範『満月の下の赤い海』について」。こちらは、先月クオンから刊行され、編集を担当した小説集の紹介。そして『現代詩手帖』2022年8月号、特集「わたし/たちの声 詩、ジェンダー、フェミニズム」には、「『女性』と『詩』に関わる本の編集を通じて」。ペリーヌ・ル・ケレック『真っ赤な口紅をぬって』(相川千尋訳、新泉社)のことなど。特集は非常に充実した内容で、旅から戻ったらしっかり読みたい。

7月某日 早朝、自宅の最寄駅からバスで羽田空港へ行き、飛行機で山口宇部空港へ。JALの機内誌『スカイワード』をぱらぱらみていたら、リトルプレス『ライフ 本とわたし』の写真家・疋田千里さんのごはんの写真を見つけた。

山口・阿東の農場で取材をした後、湯田温泉の中原中也記念館へ。家族宛の中也の手紙を鑑賞。《さあこれから郵便局に行ってそれから本屋に行きます。ああ、本を買うことは嬉しい!》。本好きの人間がやることと考えることは、昔からたいして変わらないんだな、と思った。

暑いけど、吹く風が気持ちいい。湯田温泉の駅前をぶらぶらしていると、《本当の出会いのなかで人は何度も新しい自分を発見します》というメッセージとシュールな絵画を看板として掲げるポラーノ文庫を発見。扉をひらいて店内に入ると、雑多な書物と雑貨のラビリンス! ここはかなりすごい古本屋なのではないだろうか……。心の準備ができていなくてあまり本を買えなかったのが悔やまれる。購入した柴田翔『されど われらが日々——』(文春文庫)を旅先の宿で読みはじめる。

7月某日 柴田翔の小説「ロクタル管の話」(『されど われらが日々——』所収)、これがなかなか興味深い。のっけから臆面なく開陳されるラジオ工作少年《ぼく》のオタク語りにひるんだが、この難所(?)を越えると、物語の世界にひたひたと押し寄せる「不穏な歴史」の影の方へ引き込まれていく。

不穏な歴史というのは、朝鮮戦争のこと。1960年初出の柴田翔の小説「ロクタル管の話」への関心は、最近読み続けている斎藤真理子さん『韓国文学の中心にあるもの』より。朝鮮戦争と日本語文学の関係を語る文脈の中で、この小説のことが紹介されていた。

そして斎藤さんの『韓国文学の中心にあるもの』を介して、ロクタル管=真空管をめぐる想像は、時代と場所をこえて韓国の作家ファン・ジョンウンの小説「d」につながってゆく。セウォル号事故以後の現代、主人公のdがさまよう暗い路地「世運商街」にも真空管があった。こちらは、ファン・ジョンウンの作品集『ディディの傘』(斎藤真理子訳、亜紀書房)に収録。

7月某日 湯田温泉から新山口まで、平日午前中のローカル線がのんびりしていていい感じ。地元の高校生や大学生がちらほらと。新幹線に乗り換えて新大阪へ。そのまま緑地公園の blackbird books を訪問し、画家のマメイケダさん『ふうけい3』(iTtohen Press)を購入。旅の風景画をまとめた冊子で、移動中の気持ちにしっくりきた。店主の吉川祥一郎さんのメッセージを印刷した紙片も挟んである。

7月某日 神戸・栄町の本屋 1003 へ。移転後のお店をようやく訪ねることができてうれしい。以前に増して、ゆったりとした気持ちのよい本の空間に。文芸誌『オフショア』を主宰する山本佳奈子さんのエッセイ『個人メディアを十年やってわかったこととわからなかったこと——オルタナティブ・ネット・音楽シーン』(オフショア)を購入。これはおもしろそう。

元町から阪急の王子公園駅へ移動し、古本屋ワールドエンズ・ガーデンへ。こちらもひさしぶりの訪問。『翻訳文学紀行Ⅲ』(ことばのたび社)と、編集者の故・安原顯の著書(古本)などを購入。「スーパーエディター」を自称したヤスケンのことが、あらためて気になりはじめている。店主の小沢悠介さんと一緒に近所のゲストハウス萬屋に挨拶。オーナーの朴徹雄さんらが、韓国文学の読書会を開催しているそう。

7月某日 大阪・松原にある阪南大学の総合教養講座でゲスト講義をおこなう。国際コミュニケーション学部の教授で、ノンフィクション『歌は分断を越えて』(新泉社)の著者である坪井兵輔さんのお誘い。テーマは「編集とフィールドワーク——「つたえる」の意義を考える」。夏休み前の最後の授業ということで、だらだらしゃべらないようにし1時間ほどでスパッと切り上げた。

それにしても、大都市の灼熱地獄のような暑さはひどい。影のない歩道を数分歩いているだけで、焼き殺されるような気持ちに。

7月某日 大阪・淀屋橋のCalo Booksop & Cafe で2冊本を買って店主の石川あき子さんとおしゃべり、おいしいスパイスチキンカレーをいただいたあと、歩いて北浜のFolk old book storeへ。昨年末、代表の吉村祥さんがお店のとなりに子どもの本屋「ぽてと」をオープン、こちらははじめての訪問。「ぽてと」でFolk が発行するブックガイド『肝腎』を入手。暑い。

7月某日 大阪から京都へ移動し、古書・善行堂へ。店主の山本善行さんと久しぶりにゆっくり話すことができた。これからの本作りのことなど。京都から新幹線に乗り、帰路につく。車内で、善行さんが編集した『文と本と旅と——上林曉精選随筆集』(中公文庫)を読む。「人」をテーマにした随筆がすばらしい。おみやげにもらったフリーペーパー『かげ日なた』もよかった。

7月某日 旅先で訃報に接した。尊敬する出版者・編集者・詩人でトランジスタ・プレスを主宰する佐藤由美子さん。旅から戻り、佐藤さんがオーナーをつとめた新宿のカフェ・ラバンデリアへお別れの挨拶をしにいった。本当はお別れでない挨拶をしたかったのに……。サウダージ・ブックスを最初期から応援してくれて、本作りについていろいろなことを教えてくれた恩人。佐藤さんと旅の話を、本の話をもっともっとしたかった。

1950年代のアメリカ発、ビートニクの精神を継承し表現するトランジスタ・プレスの本はどれも最高にかっこいい。京都・誠光社店主の堀部篤史さんが、ヤリタ・ミサコさん『ギンズバーグが教えてくれたこと——詩で政治を考える』を絶賛している。《著者翻訳による5編の詩とその細部に及ぶ解説を添えたポケットサイズの非常に美しい上製本》

https://www.bookbang.jp/review/article/528146

7月某日 昨晩につづいて、カフェ・ラバンデリアへ。今日という日で、佐藤由美子さんとほんとうのお別れ。美しい人は、美しい野の花に囲まれて、最後まで美しい人だった。棺には、彼女が心を込めて作ったビート文学の本たちも。佐藤さん、本当にありがとうございました。長い長い旅の道、どうか安らかに歩いていってください。涙がとまらなかった。