『水牛』9月号でお知らせしていた公演が無事終わった。というわけで、恒例の主催当事者が主観を語る振り返り(弁解)である。9月号の記事「8月の渡航と11月の『幻視 in 堺』公演のお知らせ」も併せて読んでいただけると幸いである。
幻視 in 堺―日月に響き星辰に舞う―
日時:11月23日(土祝)15:00開演
会場:サンスクエア堺・サンスクエアホール
『幻視 in 堺』と銘打った公演は2021年、2023年に引き続き3回目である。いずれも2部制で、第2部でだいたい50分のスリンピ舞踊の完全版を1曲上演するというスタイルは共通する。今回、前半はイスラム歌唱サンティスワランを中心に歌を中心としたプログラムとし、背景の幕にプラネタリウムを投影した。演奏者は皆、黒の上着を着用。これは大自然の中、星空(つまり夜)に神秘的、瞑想的な歌が響く世界を作りたかったから。一方、第2部ではパステル調の明るく柔らかい色のクバヤに着替えてもらった。これは舞踊曲の音楽のイメージに合わせて、朝の柔らかな光に包まれた世界を作りたかったから。舞踊の衣装も白。
開場から開演までの30分間、ロビーにウジュンクロン(ジャワ島西端にある国立公園、ユネスコ世界遺産―自然遺産―に登録)で午前中にフィールド録音された自然音が流れる。ガムラン楽器は舞台の奥に並べられ、前半分は第2部の舞踊のために空けられている。ただ、サンティスワラン用のルバナ太鼓は置かれている。
第1部が始まると、背景は夕方の山の端となり、そして暗くなる。曲は最初が通常のガムラン曲「ロジョスウォロ」。通常のガムラン曲では楽器演奏だけの部分と、そこに歌が入ってくる部分が交互にくる。月や星や宇宙を歌った歌詞が展開していく中、山の端から視点は上空へ移って地球や月を見、さらに見ている人も宇宙空間に飛んで、太陽系の運行を俯瞰する。
次にサンティスワランと呼ばれる宮廷で発展したイスラム歌唱3曲のため、演奏者は小さなろうそく(LEDだけど)を手に、前の空いた空間に移動し、一重の円弧を描いて座る。サンティスワランの編成はアラブ由来のルバナ太鼓(大小4種類)、クマナ1対(バナナ型の青銅製打楽器、2人で分担してティン・トン・ティン…という単純なリズムを打つ)、チブロン太鼓、そして歌。ガムランセットにある楽器で使うのはチブロン太鼓と、3曲目だけで使うスレンテムとグンデルのみ。これらの人が一番円弧の奥になるようにして、歌う人、クマナを叩く人、ルバナを叩く人の顔がはっきり見えるように、左右対称になるように座る。夜、人々が寄り集まって宗教歌を歌う雰囲気になるように。実際にイスラム系の歌が歌われる時はルバナを叩く人は歌い手の後ろに座して前からあまり見えないのだが、日本では珍しい楽器なのでしっかり見せたいと考えた。この配置はパラボラアンテナみたいに見える。宇宙に放出した歌声をここで再びキャッチしてまた放出している風にも見えるかもしれない。
この配置に移動する途中はムラピ峡谷の竹笹のざわざわした音が流れ、見ている人の魂は再び大地に降りてくる。サンティスワランの歌3曲はあまり間を空けず続けて上演したが、星空は曲ごとに変えてもらった。1曲目では北極星を中心に満天の星空がゆっくりと回転するように、イスラムを伝えた人たちが星を頼りに航海してきた雰囲気が出るように。2曲目では、そのルートで見えてくる星座を強調し、回転していく星座をずっと追いかけて見ていくように。3曲目では月が昇り、一晩かけて運行していく様を見せるように。一瞬であまりわからなかったと思うが、実は合唱に先立つ独唱の部分では流星も沢山流れている。プラネタリウムは月が沈んで反対側から太陽が昇り(地上は朝になっていても空はずっと暗い)、天の川が太陽を追いかけてゆく様をずっと映し出してくれた。プラネタリウムとはリハーサルの時に初めて合わせたので、このプランで本当にうまくいくのかよく分からなかったが、星つむぎの村様が音楽にうまくのせてくれて、雄大な星の旅、その星を見上げる人の旅が描けたかなと感じている。
サンティスワランが終わって再び意識が地上に戻され、ウジュンクロンの虫の声が聞こえてくる。演奏者たちはここでろうそくを消して舞台の上手の方に寄って半弧を描くように座り直す。次は宮廷舞踊「アングリルムンドゥン」の前半(クマナ編成)。編成は大太鼓、クマナ1対、ゴングとクノンとクトゥという曲の節目に鳴らす鳴り物、そして歌で、クマナ以外はガムランセットの楽器である。この編成で演奏する宮廷舞踊は古くて重いとされる曲だけで、数は少ない。スラカルタ王家で王の即位式と即位記念日にのみ上演される舞踊曲「ブドヨ・クタワン」は1時間半の全編、この編成の音楽/歌が演奏される。それ以外にクマナを使う舞踊曲は、曲の前半か後半かの一方のみでクマナを使い、もう一方は普通のガムラン編成で演奏する。「アングリル・ムンドゥン」は「ブドヨ・クタワン」に次いで重いとされる曲である。元々マンクヌガラン(スラカルタ王家分家)の初代当主によって作られスラカルタ王家に献上された曲で、マンクヌガランではブドヨとして、スラカルタ王家ではスリンピとして上演される。
演奏者の配置を円弧から半弧に変えたのは、実はサプライズで踊り手が2人登場するからである。第2部で完全なスリンピを上演するので、この部分での舞踊はきちんとした舞踊を見せることが趣意ではない。この舞踊にある振付を使って踊っているけれど半ば即興的で、クマナの音に惹かれていつの間にか幽霊が出て来て、浮遊して、曲が終わる前にいつの間にかいなくなる…という風に見えるようにしたかったのである。ネタバレしたくなかったのでプログラムに名前を書いていないが、踊ったのは私と岡戸香里さんである。
この幽霊が退場し、曲もまだ終わらないうちに雨が降り始め雷が鳴り響く。これもウジュンクロンで録音された音。「アングリルムンドゥン」は雨をもたらすと言われているので、その雨雲にのって龍が現れ、舞台を巡ったのち昇天していくようにしようと考えた。これもネタバレしたくなかったのでプログラムに名前を書かなかったが、この龍のワヤン人形を操作したのはナナン・アナント・ウィチャクソノさんである。実は、今年(龍年)の正月に、SNSでナナンさんがこの龍のワヤンを操る写真がアップされていたのを見て思いついた演出。その写真ではスポットライトを浴びて昇天していく龍のきらきらした姿が映っていた。ホールの照明の制約もあって同じ用には演出できなかったので、影絵として映し出してくれた。今年が龍年でなかったら、この演出は思いついていなかった。
ここで第1部終わり。休憩中、ウジュンクロンの夜明けのさわやかな空気の中を、虫や鳥の鳴き声が響き渡る。演奏の女性陣はパステルカラーの色合いのクバヤ(上着)に着替え、明るい光をまとう。
第2部は舞踊「スリンピ・ガンビルサウィット」。踊り手の衣装は白色のドドット・アグン(昨年の衣装に同じ)、髪型はカダル・メネック(逆立ちトカゲの意味。後頭部で束ねた髪を下から持ち上げ、頭頂右側でくるんと丸め立ち上げる)。サンプールと髪飾りの羽の色は水色。ちなみに第1部の幽霊シーンでは、このドドットの上に白いクバヤを重ねて着て、また頭の水色の羽飾りも取り、この第2部と全く同じ衣装にならないようにしている。
昨年のフェニーチェホールではスリンピ用の照明プランをかなり厳密に作ったが、このホールの照明では似た感じにできなかったのと、「ガンビルサウィット」の振付構成が昨年の曲「スカルセ」ほどドラマチックになっていないこともあって、わりとあっさり目にする(とはいえ、だいぶ合図を出す舞台監督の手を煩わせたが)。基本的にプラネタリウムは使わないが、戦いの後に続いて負けた2人が座るシーン(シルップと言う、2回ある)では、プラネタリウムでオーロラを出してもらった。これは、私の師匠と同世代で、芸大教員として宮廷舞踊の継承や短縮に取り組んだ故タスマン氏が、このシルップはあの世の世界を描いているという話も聞いたことがあるよと話していたことを覚えていたから。舞踊の解釈は古来いろんな人がいろんなことを言ってきたことと思うが、テンポが落ち、音量も静かになるシルップの場面で、異世界/霊界が立ちあがるのは良いなと思ったのだった。異世界というと緑の世界というイメージが私にはあって(夜間に撮影すると緑がかって写る)、それがオーロラと結びついた次第。
ジャワの宮廷舞踊も、通常のガムラン曲と違って初めから終わりまで斉唱で歌いづめである。その意味で宗教歌と宮廷舞踊の歌はよく似ている。歌が主役なのだ。こういう演目だったので、ジャワから招いた音楽家は芸大教員で宮廷舞踊曲の演奏を指導してきたスラジ氏(楽器はルバーブ、メロディを主導する楽器)と、歌とくにサンティスワランを専門とするワルヨ氏、そして卒業生で在野の芸術家として活動するクリスティアン・ハリヤント氏。クリスティアン氏にはガムラン演奏ではガンバン(木琴)を演奏してもらった。これはなかなか大変なパートである。
最後に内輪褒めになるのだけれど、スリンピの完全版演奏に日本で真剣に取り組み、今のレベルでできたことをスラジ氏には評価してもらえた。今の出演メンバーとは岸城神社で10年間続けた公演(2009年~)以来、不完全な長さであっても宮廷舞踊曲に取り組んできたので、この間に積み重ねたことは小さくなかったのだなあと思う。また、サンティスワランに関しては、ワルヨ氏が「ジャワでも指導しているけれど、日本で一番成功した!」と言ってくれたのが嬉しい。私たちはワルヨ氏が送ってくれた録音を基に練習を重ねていたけれど、リハーサルの前日に(しかも日本に到着した日)にいきなり新たな演出が加わったのである。たぶん、私達の出来を見て、これならイケる!と踏んでくれたのだが、いきなりの展開に面食らってしまった…。というわけで、これにて3部作『幻視 in 堺』も無事終了である。