6月21日から1週間、HMPシアター・カンパニーを率いてインドネシアのソロに公演に行ってきた。今回はその公演について報告したい。
HMPは1999年に近畿大学の学生たちがハムレット・マシーンを上演するために結成した団体で、昨年からカンパニー制になっている。実は、私もHMPの2005年の公演「cage」(大阪現代演劇祭出品)に出演していて、そのときからHMPには注目していた。ちなみにこの「cage」が元になって、今回インドネシアに持って行った「traveler」が作られている。
今回の公演については、当初はインドネシアの3都市巡回公演にしたいと思っていた。それが予算の都合や私の都合で日程が短縮となり、渡航メンバーの数も減ったので、それならばいっそソロ(=スラカルタ)市だけの公演にして、その代わり現地の役者や音楽家とのコラボレーションに挑戦してみてはどうかと、私の方からけしかけたのだった。
ソロの人たちとであれば、私もコラボレーションの成果に予想がつく。おそらく近代以前の人間はこうだったのではないかなと思うのだが、ソロの人達は、その場の空気にとても適応していく。言葉を介する以前に、体感で伝わっていく感じなのだ。この感じをHMPの人に経験してもらいたいなあと思ったのだった。さらに、自分たちの描いた世界に向かって、舞台を作りこんでいくHMPの人たちが、コラボレーションによって生じる予想外の事態にどう反応するのか見たいなあ、という気持ちもあったりした。
インドネシア側で準備してくれる団体、マタヤ(ちなみに私が昨年島根に招聘したところ)に私がお願いしたのは、1つはプンドポで上演したいということだった。プンドポは屋根と柱と床だけからなる空間で、観客は三方から舞台を見る。プンドポは本来は舞台というより、さまざまな行事を行うホール空間である。会場候補は二転三転して、ドゥスン・マナハンという所に決定。私はまだ見たことがなかったが、マタヤは最近ここを借りて、何度か公演やワークショップなどをやっているらしい。さる実業家の邸宅にあるプンドポで(実際にここに住んでいる)、見るからにお金持ちの家らしい、立派な浮彫が印象的な建物だ。ただ柱が空間のわりにちょっと太すぎて、公演が見にくかったのは残念だったが。
共演してもらったのはムハマディア大学(=UMS)の学生たちが作るテアートル・アヤット・インドネシアの人たち5人と、芸大の舞踊科振付専攻の学生2人。テアートルの人たちの判断で、舞踊をやっている人たちにも声をかけたらしい。この劇団を選んだのはマタヤである。テアートル・アヤットの代表で演出のダニ君の話によれば、同じ大学の他の劇団がハムレット・マシーンをかつて上演したことがあり、インドネシアでも少しずつ知られてきているので、今回勉強できるのが楽しみだとのこと。本当にその言葉通り、2時から夜9時、10時まで続く練習に熱心に取り組んでくれた。
コラボレーションのやり方としては、作品のうち、この場面をインドネシアの人達にやってもらおうという場面を決めておき、一応やることは決まっているけれど、彼らの出来を見つつ、動きに関しては適度に任せて作りあげたという感じ。私の目から見ると、結果的に、任せる分量が絶妙に良かった気がする。これ以上多くなると、公演も入れて3日間のプロセスでは収拾がつかなくなっただろうし、HMPテイストが薄まったかも知れない。
音楽に関しては、私のブドヨ公演で音楽を担当してもらったダニス氏にお願いする。彼は伝統音楽も現代音楽もどちらもできる人なのだ。私もマタヤも、彼でなければ!ということで意見が一致。ただ問題は、彼がサルドノ・クスモ氏の公演でニューヨークに行っていて、帰国するのが6月17日か18日頃になること。しかしメールがあるおかげで、まだニューヨークにいる彼と連絡が取れて、OKが取れる。つくづく世の中は便利になったものだ。
HMPがCDで現代音楽や効果音(雨の音や飛行機の音など)を用意しているので、彼にはガムラン楽器などを使って指定した箇所に音楽を入れてもらう。結果、ルバーブ(胡弓)やグンデル(ビブラホーン)、歌の他、フィリピンの竹楽器などいろいろ用意してくれた。ガムランをお願いしたのは、HMPの人たちにガムランの音を聞いてもらいたかったから。観光客としてジャワに来て、ガムラン音楽を聞く機会はこの先あるかもしれないけれど、生のガムランの音にのって動く経験は貴重なものになると思ったのだ。HMP出演者の話によると、公演中、彼はじっと出演者の動きを見据えていて、その視線がとても鋭かったのだそうだ。
彼の音楽は、日本人にもインドネシア人にもものすごく好評だった。私も、想像した以上にダニス氏の間合いを測る勘の良さに驚く。彼がインドネシア人の演劇作品で音楽を担当していたら、ここまで気付かなかったかもしれない。私の日本人の友人も、私のインドネシア人の舞踊の師も「インドネシア人がこの日本の現代演劇と組んで、どこまでやれるのか見てやろうと思ったけれど、その能力の高さにあらためて驚いた」と感想をもらしたのだけれど、コラボレーションというのは、どこまでやれるのか、ということが試されるので面白い。
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さてここで作品に目を向けてみよう。作品の簡単なシノプシスと場面構成を紹介する。
「traveler(旅行者)」とは「見る側」と「見られる側」の境界線上に存在するもの。フランツ・カフカの短編小説『流刑地にて』を題材にしたフィジカルシアター。1人の旅行者を軸として、空間と時間の境界線を行き来する物語である。セリフが入っている箇所は12シーン中3シーンのみで、旅行者の物語の殆どが俳優の身体によって語られる。
1 足跡 tapak kaki
2 駅 stasiun
3 バス bus
4 街(1日目) kota (hari pertama)
5 ホテル hotel
6 街(2日目)kota (hari kedua)
7 乳母車 kreta bayi
8 狐の嫁入り(虎の出産) hujan panas/pernikahan rubah (macan dilahirkan)
9 いま、ここ Saat ini, di sini
10 赤い家 penjara
11 壁 tembok
12 コーラス koor
ここで、準備や制作過程、あるいは公演本番で、私が面白く思った点を書いてみる。
2の駅のシーンでは、ホームで新聞を読んでいる人々を描いている。ただこれは、やっぱりとても日本的な気がする。インドネシアでも駅はあるけれど、ホームで新聞を読む人というのはいない(少なくとも私の経験では)。HMPの人たちはこのシーンのために日本から新聞を持ってきていたのだが、公演当日にジャワポス紙に練習風景の記事が掲載されたこともあって、公演当日は急きょジャワポス紙を広げていた。すると、ビデオ記録を撮る私の横でカメラを構えていた各新聞記者たちが一斉に「お〜、ラダール・ソロ(掲載面の名前)だ」と声を上げたので笑ってしまう。なんて目ざとい! しかし、新聞には反応しても、彼らはきっと、このシーンが駅のシーンだとは気づかなかっただろう…。
4と6の街のシーンでは、主人公をとりまいて、似たような状況が展開する。簡単に言ってしまうと、物売りと物を買う人、金持ちと乞食が出てきて、やりとりをしている内にお財布が入れ替わってしまう、それを主人公が目撃するというシーン。これらのシーンはセリフが全然なくて、パントマイムで状況が描かれるのだが、4は日本人チームで、6はインドネシア人チームで行う。これで面白いと思ったのが、インドネシア人チームの方が、登場人物のお金に対する執着がものすごく見えたこと。それは、インドネシア人の方が、演技がリアルにオーバーになる傾向があり、日本の方がより自分たちの型を持って演技した、というだけにとどまらない気がする。お金のことをあからさまに言わないくせに執着するジャワ人気質が、演技に収まりきれずにあふれ出たという感じ。
ホテルのシーンは、インドネシア人の女の子3人によるセリフのシーン。まず日本人チームが日本語でこのシーンをやってみせ、テンポ感を伝え、その後セリフをインドネシア語にしてやってもらう。彼らがどんな風に言葉を選ぶのかも知りたいと思って、あえて事前には先方にセリフを伝えていなかった。(私の怠慢も1/2くらいあるけど)簡単な会話なので、私がまずインドネシア語にしてみて、それをより自然な言い廻しに彼女たちにしてもらう。興味深かったのは、彼女たちがテアートル・アヤットの演出家であるダニ君に、わりと意見を求めていたこと。やはり演劇的な言い廻しがあるのだなと気づく。
「7 乳母車」のシーンで使う乳母車を、現地で用意してほしいと頼まれたのが、今回一番あわてたことだった。私はインドネシアで乳母車を押している人を見たことがない。マタヤは子供関係の団体に連絡して、乳母車を手配したらしいが、やはりメールでは乳母車という概念は通じなくて、電話で確認するはめになった。ジャワでは普通はカイン(ジャワ更紗)を抱っこ帯にして、赤ちゃんを抱えている。庶民は自分で抱っこするし、金持ちなら赤ちゃん付きのお手伝いさんが抱っこする。乳母車を使う階層というのはどの辺なのだろう。
「8 狐の嫁入り」は、日本人には言うまでもないと思うけれど、日が射しているのに雨が降っている状況のこと。それをインドネシア語では味気なくウジャン・パナス(熱い雨)と呼ぶけれど、こういうときにインドネシア人(?、またはジャワ人)は虎が仔供を生んでいると考えるのだそうだ。こういうときには普通ではないことが起きる、と考える点では日本と共通している。舞台では狐の面をつけ、花嫁・花婿の着物を着た2人と、それを先導する、リンを持った人が登場したけれど、全体としてまがまがしい感じがうまく伝わったかどうか、私にはよくわからない。
「9 いま、ここ」というのが、日イネ出演者が全部登場して、祭りみたいなシーンを繰り広げるところ。練習ではまずこのシーンから作っていったのだけれど、たぶんインドネシア人観客にとってはこのシーンが一番安心して見られるというか、一番見慣れた感があるだろうなと思う。逆に日本側の出演者にとっては、インドネシア人側の反応が予想外で面白かっただろうと思う。
本当は他にも説明したいことが多いが、とりあえずはこんなところだろうか。自分が出演するのと違って、第三者として作品づくりに関わってみると、双方の反応に新鮮な点がある。HMPはこう反応するだろう、という読みはある程度持っていたけれど、それでも思った以上に柔軟に対応していた。今後も交流を続けられたらと思っているが、少なくとも双方が、それぞれにこの経験を生かしてくれたら、コーディネートした方としてとても嬉しい。
●公演データ
日時:2009年6月24日20:00〜
場所:Dusun Manahan
作品:「traveler」(2005年初演)
出演:HMP Theater Company, Teatre Ayat Indonesia、Danis Sugiyanto(音楽)
日本側コーディネート:冨岡三智
インドネシア側コーディネート:Mataya art & heritage