7月1日にインドネシアの劇団テアトル・ガラシが大阪で「南☆十字路」を公演した。私はその主催をしたので、少し前のことになるけれど、その顛末を記しておきたい。
「Je.ja.l.an/南☆十字路」公演
日時:2010年7月1日(木)15:30/19:30開演
会場:アトリエ・エスペース(大阪市)
演出・振付:ユディ・アフマッド・タジュディン
出演:テアトル・ガラシ
主催:ジャワ舞踊の会、エイチエムピー・シアターカンパニー
共催:アトリエ・エスペース
協力:(NPO)大阪現代舞台芸術協会、
助成:(財)大阪国際交流センター
※ むりやり堺筋線演劇祭参加
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テアトル・ガラシの来日の主目的は、静岡県舞台芸術センター(SPAC)が主催する「SHIZUOKA春の芸術祭2010」での公演である。けれど、関西でも公演したいということで、SPACの了承を得て、今年になってから友人を介して連絡をしてきた。この仲介してくれた友人というのが、この公演でもスタッフ出演していた横須賀さんである。以後、テアトル・ガラシ、SPAC、横須賀さんとの間で連絡をとりながら進めることになる。
テアトル・ガラシはジャワ島中部の古都、ジョグジャカルタに拠点を置いている。1993年に、ガジャ・マダ大学社会政治学部の学生が中心となって設立したが、今では様々なアーチストたちが関わっている。ダンス、武術などの伝統に学んだ身体表現、現代的でさまざまなイメージを喚起する舞台美術、日常生活の観察などを融合させる取り組みで設立以来注目されてきた。また、2001年にはNGO化し、若手演劇人に対するワークショップの開催や出版を通じて、インドネシア演劇界の芸術レベルの向上に積極的に取り組んんでいる。近年は国際的にも活動の場を広げていて、日本にも今回が4度目の来日となるのだが、関西公演は今回が初めてである。
私も留学中に2度ほど公演を見たことがあるが、伝統的な身体表現で育っていて存在感が確かだという以外にも、舞台道具が、たとえばブリキのバケツ一つとっても、絶妙の形と絶妙の配置でしっかり舞台に存在している劇団で、ずっと心に残っていた。
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公演内容は、インドネシアの大都市における生活を描いた、ダンスと演劇が融合したパフォーマンスである。近代的なものと伝統的なもの、コスモポリタンと田舎者、エリートと一般大衆、マジョリティとマイノリティの間で繰り広げられる、争いと駆け引きに満ちた生活や幾つもの物語を、ユーモアを交えながら描いた作品である。音響は録音を使用せず、すべて生演奏で、スタッフや音楽家も含めて計17名が来日+助っ人の横須賀さんである。「Je.ja.l.an」はインドネシアで2008年の初演以来計4回公演しており、今回の大阪で6回目の公演になる。
さてさて、今回の来日公演のタイトルは「Je.ja.l.an」。邦題は「南☆十字路」で、これはSPACの命名による。原題は、都市の裏通りというニュアンスを込めた造語だという。この邦題だと劇団四季のミュージカル「南十字星」と混同されて、第二次大戦中の話だと間違えられないだろうかと危惧したのだが、まあそういう心配はなかったようだ。
Je.ja.l.anというのは造語だと聞いていたのだが、jejalanという既存の語にピリオドを入れて造語っぽくしたらしい。演出のユディは、jejalanをジャワ語だと言っていたが、インドネシア語の辞書にもjejalの項目で出ていた(anは接尾語)。jejalというのは混雑したという意味で、jejalanで人だかりという意味になる、とある。ユディによるとjejalanにはインドネシア語のjalanの意味もあり(あまり使わない言い方らしいが)、混雑した通りというニュアンスを出したかったのだという。このことは、アフタートークが時間切れで終了した後に受けた個人的な質問の中で判明。このことを他の多くの人にも知ってもらいたかったなあと思ったので、ここに記しておく。
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大阪公演の会場は、空でも8m×12.5mの元倉庫、アトリエ・エスペースに決まる。壁にはりつくように、両側にベンチ席を設け、その真中の空間で上演してもらうことに決定。この公演のもともとの演出では、敢えてこんな風に観客席を作らないようにしているのだが、会場が狭いだけにそれは無理と判断。本来の演出では、開場して観客が中に入ると、物売りに扮するスタッフから飲み物を手渡されたりして、適当に左右に振り分けられて座っていくうちに、鼓笛隊が入ってきて、いきなりそこに都市の裏通りが出現し、観客は道路の両脇にいる人間に仕立てられて、いつの間にか劇が始まる、という風になっている。
ちなみに静岡公演では、静岡芸術劇場内カフェ「シンデレラ」にて上演された。このカフェを使って公演するのは同劇場オープン以来初めてらしい。このカフェは劇場の2階にあってガラス張りで、ゆるやかにC型にカーブする細長い空間になっている。実は静岡公演も見に行ったのだが、天井が高いことや、入口の方から奥の方まですっと見通せるわけでないところが、路上空間の広がりを感じさせて良かったように思う。
大阪ではもっと箱庭のような空間だから、どうなるのだろうかと心配だったのだが、同時多発的にいろんな光景が繰り広げられ、それが全部目に入ってしまうせいか、意外に広く感じられた。それは、十坪の更地よりも、家具がつまった十坪の家の中のほうが広く感じるということと同じなのかもしれない。
今回の公演では、天井高も問題だった。90m×2mのトタンが劇中のいろんなシーンで使われるのだが、これを筒型にして頭にすっぽり被った男が歩いてくるという場面がある。通りという、我々の目線の高さで展開する舞台空間の中で、このシーンは縦への線が強調される。静岡公演では天井が高かったから、私には、通りを見降ろすようにそびえる高層ビルの存在―それはトタンを被る男のように顔がなくて、無機的な―が感じられた。アトリエ・エスペースの天井高は3mだから、2mのトタンを被って立って歩くことはできない。どうするのだろうかと思っていたら、お尻を床ににじりつけながら、バトミントンのラケットを両手に持ってはずみをつけながら、這い出て来るという演出になっていた。立って歩いている姿もシュールだと思ったが、このほうが恐い。トタンの先端は天井に届かんばかりだ。高層ビルの存在をはるか上空に感じることはできなかったが、むしろ地上に這いつくばるほどまでに押さえつけられたという圧迫感が伝わってくる。ユディにしてみれば苦し紛れの代替案だったのかもしれないが、この演出は成功だったように思う。
会場については、もう1つ書いておかねばならない。この公演では、音楽家が舞台袖にいて、舞台の進行を見ながらナマ演奏する。けれど今回はスペースが狭いので、2階にキーボードを並べ、モニターで1階の舞台の進行を見ながら演奏することになった。ちなみに、この音楽は伝統音楽ではなくて、普通のバンド音楽である。それで、鼓笛隊などの役で舞台に登場しなければいけないときは、下に降りていくのである。この2階は宿泊兼楽屋スペースになっていて、私たちも実はここに泊まり込んでいた。せっかく全編ナマ演奏なのに、演奏している姿が見えなくて可哀想だと、終りの挨拶で紹介したのだが、やっぱりナマだとは思われていなかったようで、え〜という驚きの声が上がっていた。日本では演劇をナマ演奏で上演するというのは想定外のことなのかもしれない。
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もっとも印象的だったのは、スラマットのシーンと、最後の方で女二人が戦うシーンだろう。
前者は、路上でテンペ揚げなどを売る貧しい青年スラマットが自殺するという詩が語られる中、スラマットに扮する役者が無言で演じるシーンである。このシーンだけ字幕が使われる。暗い舞台でスポットライトを浴びたスラマットは、その光に押しつぶされそうに抑制された動きをする。このシーンを見ると、私はジャワ舞踊を見ているような気になる。宮廷舞踊にも通じる静けさがあるのだ。そして、こんな雰囲気を醸し出すシーンは、演劇であれ、コンテンポラリ・ダンスであれ、ジャワでは稀なことではない。ともかく、その身体の動きと同じくらいの重みを持って、詩の言葉が語られる。テアトル・ガラシの公演は、演劇というよりダンスに近いと言えるのだが、それだけにこのシーンの言葉の重さが際立っている。
それから女二人が戦うシーン。ちょうど舞踊の戦いのシーンのように、様式的な動きで構成されている。この女二人のうちの一人は客演で、ワンギさんというインドラマユ(西ジャワ)出身の人である。実は、彼女はこの地域を代表する仮面舞踊の名手であり、父親は影絵のダラン(人形遣い)である。この戦いのシーンの前には歌うシーンもあるのだが、彼女の表現には鳥肌が立つような凄みがある。テアトル・ガラシのメンバーのそれぞれにも伝統的な身体表現が素養としてあることが感じられるのだが、彼女を見ていると、生まれてからずっと伝統の中で育ってきた人は違うということが嫌が上にも痛感されるのだ。彼女が歌う伝統詩はインドラマユのもので、言語も違うため、演出のユディ自身も意味は知らなかったらしい(笑)が、どうしても彼女の歌を入れたかったのだという。こういう伝統舞踊の人が、コンテンポラリ演劇(ジャワの伝統演劇とは全く異なる形式なのだから、コンテンポラリと言ってよいだろう)にも起用されるところに、インドネシアのパフォーミング・アーツ全体の力強さがあるのだと思う。
蛇足だが、今回の公演ではPRで苦労した。それは日本ではジャンルの住み分けがうるさいからなのだ。演劇愛好者やインドネシア愛好者以外にも、コンテンポラリ・ダンス関係者には非常にためになる公演だと思ったのだが、日本のコンテンポラリ・ダンス情報を掲載する掲示板への書き込みは削除されてしまった。テアトル・ガラシはダンス・シアターと名乗ることも多いのだが、シアターとつくと駄目なようである。かつて、私はここの関係者に、伝統とかコンテンポラリとかのレッテルがはっきりしないのは駄目だと言われた経験がある。またインドネシア芸術の情報を掲載しているところからも、最初は伝統芸術ではないからという理由で掲載を断られた。伝統楽器を使用する現代ものであれば良いのだが…という返事だった。最終的には、ワンギさんのような伝統芸術家が出演しているということで掲載が認められたのだが。インドネシアの伝統芸術が好きな人には、こういう現代演劇の中にも潜む伝統芸術の根っこに気づいてもらいたいと思うのだが、それがなかなか難しい。インドネシアに留学した経験のある人には、インドネシアの伝統芸術も現代芸術も楽しめる人が多いのに、日本でインドネシアの伝統芸術に親しむ人はファナティックになってしまうのだろうか。
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最後に、大阪での皆の生活ぶりを紹介。6月27日(日)に静岡公演を終えた彼らは、翌28日(月)夕方に貸し切りバスで大阪入り。上で書いたように、私たちは節約のため劇場の宿泊施設に住み込み、夜は徒歩10分くらいの所にある銭湯に毎日通った。アトリエ・エスペースは京阪電車の線路沿いにあって、周囲は静かなアパートや住宅地である。けれど大手スーパーやホームセンターが表通りにはあり、またコンビニも徒歩圏内に数圏あって、意外にも、みな時間が空くと散歩に出てしまう。また、お湯につかる習慣のないジャワ人は銭湯に抵抗があるのではないかとも思ったが、それも杞憂で、私よりよっぽど長風呂をする。彼らは静岡ではSPAC内の出演者用宿泊施設に泊まっていて、写真を見せてもらうと、うらやましいくらい充実した施設なので、こんな所に泊まっていたら、大阪での生活はさぞつらい思いをするかもしれないと思ったが、全然環境が違ったせいか、かえってその違いを楽しめたみたいだ。でも、一番ポイントが高かったのは、アトリエ・エスペースでは喫煙し放題という点だったかも…。