8月お盆の時期に日本にいると、どうしても思いは墓を巡る…というわけで、今月はお墓に因むことについて書いてみる。
ジャワでは土曜日には墓参りをしないものなのよと、私は亡き舞踊の師匠に教わっていた。実際、亡き師匠のだんな様の法事は全部土曜日以外に当たっていたので、ジャワではそういうもんなんだと思っていたのだが、師匠本人の法事で、土曜日だったにも関わらずお墓参りをしたことがあったので、「土曜日にはお墓参りしないものだと聞いているんですが…」と遺族に聞いてみたら、師匠の子供たちは誰も、そのことは知らなかった。古いことをよく知っているのね〜、誰に聞いたの?と聞かれて、いえ、当の師匠に聞いたんですが…と言うと、子供たちは皆(1950年代生まれ)は驚いていた。日本でも戦後になると古い世代の知恵は親から子へと伝えられなくなるけれど、ジャワでも一緒なのかなあと思う。
墓参りとは話が違うが、ジャワでは昔は、退院日は土曜日を避けたものらしい。土曜日に退院すると、また病院に戻ってくることになるのだそうだ。私の知り合いの人が当初土曜日に退院する予定だったのを、そのことを知って別の日に変えたら、看護婦さんから、そんな古いことをよく知っているわねと言われたらしい。
イスラムでは金曜が集団礼拝の日なのだが、土曜にも特別の意味があるのだろうか、と思っていたところ、アラビア語の「土曜日」は「ヤウム・アッ・サブト」といい、その「サブト」はヘブライ語の「シャバット」(安息日の意)が語源なのだそうだ。金曜の日没から土曜の日没が安息日なのだそうである。だとすれば、土曜日に墓参りや退院がだめというのは、どちらも同じ理由――世俗のことはしてはいけない日――に拠るのだ。
閑話休題。
ジャワではイスラム教徒が圧倒的多数なので、まず普通は、遺体は埋葬される。お葬式の通知は、なぜか「告別式×時〜」ではなくて「埋葬×時〜」という形でされる。普通は埋葬は1時からで、逆算して、告別式はだいたい10時過ぎから始まる。これ以外の時間帯にするのを見たことがない。告別式が終わり出棺を見送って帰る人も少なくないが、意外に多くの人、50〜60人くらいは墓まで行って埋葬に立ち会う。その後の法事の日程は、日本のそれとよく似ている。亡くなる1日前から数えるというのも同じで、初七日、四十九日ならぬ四十日、100ヶ日、1年、2年(日本では3回忌と数えるけど)、千日忌があり、千日忌で墓石を建てて一区切りとなる。お墓参りは初七日や四十日に当たる日の午前中にして、法事はその前夜にする。普通、墓参りは午前中にするもののようだ。
ジャワで墓参りに持っていくものは、お花、お線香、聖水、そして自分たちのおやつ。日本のようにお花を立てるのではなくて、花びらだけを撒く。ジャワでは花市場(パッサール・クンバン)というのがあって、そこに行って墓参りに行くといえば、それ用の花びらをかごに詰合せてくれる。紅白、ピンクのバラがメインで、クノンゴkenangaという花やジャスミンを加える。法事のときだけでなく、断食明けにも一族で墓参りするので、断食明けにはバラの値段がいつもの倍くらいに高騰する。聖水は、他の家でも用意するものかどうかよくわからない。私の師匠のお葬式に来た人(親族でない)が、聖水の瓶を見て、あれは何なの? と聞いたので、聖水というのは必須アイテムではないのかもしれない。私の師匠の家では、ガラスの大きな聖水用の瓶があって、バラやクノンゴを入れて聖水(たぶんこの家の裏の井戸から汲んだ水、きちんと井戸を祀っている)を満たしたものを法事のときに用意し、翌朝それを墓へ抱えていく。そして、お墓に花びらを撒き、聖水を振りかけてお祈りを済ませたら、そこで持ってきたおやつを皆で食べるのである。お墓で物を食べてはいけないと、小さい頃から教えられてきた私は、当初、この風習に仰天したが、お墓で飲み食いする風習は沖縄にもあるらしい。そうやって先祖の霊をなぐさめているのだろう。
私の師匠の家の墓地はパク・ブウォノX世の王子の墓が中核にあり、それを囲むように関係者の墓がある。一族で墓参りをするときには、いつも前もって墓守に知らせておき、一向が到着したときには、もうお墓がきれいに清掃されている。その代わり、お墓を発つときには墓守の子供たちにお金をやる。今のレートだと子供1人に1000ルピアくらいやるのだが、お墓の入口の門には子供たちが20人くらいずらりと並んでいるから大変だ。これもイスラムの施しなのだが、こんな風習に慣れていない日本人には、こういうときに堂々ふるまうのが難しい。
一族の墓参りではなくて、著名な人のお墓参り――この場合は巡礼jialah(ジアラー)と言ったほうがよいかもしれない――に行くこともある。以前、ジャワに留学していたときに、大学の創立記念日のイベントとして、亡き元学長や芸大の発展に貢献した芸術家たちの墓参りというのがあって、参加したことがある。それは大学でも初めての試みだったらしく、教員や卒業生は多く集まったものの、現役生徒はなんと私1人だけだった。今どきの学生は、昔の偉い芸術家の墓参りなんて興味がないのかなあと思ったが、教員たちも軽くショックを受けていたようだ。それはともかく、この墓参りでは、行く先々の墓守りが芳名録を用意していた。後で、遺族にこんな人たちが来ていましたよと見せるのだろう。
そういえば、昨年、知り合いの研究者がスハルト大統領のお墓参りに行くと言うので、私もついて行った。スハルト夫人がマンクヌゴロ王家の親戚だというので、スハルトの墓もその近くにある。大統領の墓なのだが、夫人の両親の墓を中心に、夫人の兄弟姉妹一族の墓となっていて、これを見ると、スハルトは完全に入り婿だったんだと思う。私の師匠の一族のお墓のような、つつましげなお墓ではなくて、デカい大理石の墓石で、墓全体が巨大なプンドポの中にあり、床もきちんと貼られている。王宮のプンドポより大きい気がする。スハルトはまだ亡くなって千日経っていないので(今年の10月くらいに千日を迎えると思う)、墓石を建てる予定の場所の床が四角く切り取られ、土がまだ見えている。スハルトの墓参りをしたというと、何人かのジャワ人から、それは良いことをした、と褒められた。私たちが行ったときはガラ空きだったのだが、私の師匠の娘さんはスハルトの四十日だか百ヶ日だかの法事の日に合わせてお参りしたので、ものすごい長い行列で、中でお祈りする時間も制限されていたそうだ。最後は引きずり下ろされた大統領でも、巡礼するとご利益があるのだろうか。あるいは庶民にとっては、元大統領の墓参りというのも恰好の巡礼レクレーションなんだろうか。