『ロベルト・シューマン』 高橋悠治

目次    


一歩後退二歩前進


シューマン論の計画

現状分析の意味

見とり図

転倒の方法 その一

芸術運動と機関誌 一八三〇年

芸術運動 一九七七年

雑誌メディアの批判

転倒の方法 その二

批評についてのおしえ
(ダビデ同盟偽書)


批評家の誕生

老キャプテン

訳者の注

知的貴族主義

クラインのつぼ

フロレスタンとクレールヒェン

墨テキにこたえて

むすび

    現状分析の意味


質問を分析すれば、こたえもそのなかにある。こう考えれば世界に謎はない。では、徹底的な現状分析のなかに運動の方向を見つけることは可能か?

この考えはまちがっている。何を徹底的な分析と呼ぶのか? 問題の底はどこにあるのか?

分析の結果、あたらしい立場や方法が生まれるのではない。あたらしい立場や方法が生まれるから分析がはじめて可能になるのだ。

では、あたらしい立場はどこにあるのか? アルキメデスがこたえたように、地球を動かすためには地球の外に足場をもとめなければならないだろう。それまでの領域を脱出するために必要なのは、持続する志とゆとりだ。

意志については言うまでもない。どうしてもたたかうのだという意志をもちつづけることなく、自己解放はない。ゆとりは意志の存在条件だ。一息ついて自分を客体化することのできない意志は、孤立のなかにとじこもって枠からでられない。自己解放は自己からの解放でもある

現在は動乱の世界であり、状況がわるくなればなるほど、そこからの脱出は必要になる、ということは一般に言える。しかし、だれがそれをはじめるのか? 現状批判はくりかえされた、いつもその最後に現状をのりこえる必然性が主張される。では、どうすればよいのか?

一九六八年の学生反乱の年の敗北以来、組織と理論は不信の眼を向けられてきた。理論は空虚なイデオロギー、実践をともなわない大言壮語であり、組織は抑圧機関の別名と考えられ、大衆の自力更生、自然発生的な立ち上りが起こるまで待機するのが(そうはっきり言わないにしろ)上策で、エリートの代行主義と見られるのをおそれて組織や理論をさけた心情的な批判に終始する。こうして保証された言論の自由のなかで、運動は死んだ。

このけっこうな自由はそんなにつづかないだろう。潮流は変りはじめた。現在の段階で具体的な方法論・組織論を打ちださなければ、転向と協力の道が待っているだろう。



『ロベルト・シューマン』(青土社 1978年6月5日初版発行)より




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