目次
一歩後退二歩前進
シューマン論の計画
現状分析の意味
見とり図
転倒の方法 その一
芸術運動と機関誌 一八三〇年
芸術運動 一九七七年
雑誌メディアの批判
転倒の方法 その二
批評についてのおしえ
(ダビデ同盟偽書)
批評家の誕生
老キャプテン
訳者の注
知的貴族主義
クラインのつぼ
フロレスタンとクレールヒェン
墨テキにこたえて
むすび
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フロレスタンとクレールヒェン
一八三〇年に作曲家としての活動をはじめてから十年間、シューマンはピアノ曲だけを書いた。それは当時流行のサロン音楽としての、ピアノ協奏曲のたぐいではなかった。かれの愛人クララさえも、何か神秘的なものとみなして演奏したがらなかった。出版者は、シューマンが原稿の上に書きちらした意味不明の文章や記号をとりのぞいて、音符だけをのこした。
それらのピアノ曲の多くは、小曲をあつめた組曲のかたちをしていた。ひとつの曲がおわったところから、次の曲がそれに対立し、あるいはおぎなう思想をあらわす。それらは、独立した小品をあつめた曲集ではなく、全体構成のなかに配分されたみじかい場面のつながりで、ことばにはっきりあらわせない思想を表現していた。
この時期の前半には、それは仮面舞踏会のかたちをとる。仮面による解放、闇にまぎれての幻想の自由。作品二『パピヨン』(一八三一年)は、カール・マリア・フォン・ヴェーバー風の舞踏会への招待からはじまり、朝六時の鐘とともに解散する。作品九『カーニバル』(一八三五年)は、伝統的なイタリアのコメディア・デラルテの登場人物ピエロ、アルレキーノたちと、パガニニ、ショパン、クララのような音楽の前衛のあつまる幻想の舞踏会で、最後にダビデ同盟員の行進が、俗物どもを打ちたおす。
ここにある軽さ、はなやかさは、だんだんと消えてゆく。仮面は落ち、現実の闇があらわれる。ベートーヴェン記念碑基金計画のために構想された作品十七『幻想曲』(一八三六年)は、フリードリヒ・シュレーゲルの詩を引用する。「あらゆる音にまじって/色どりゆたかな大地のゆめのなかに/ひとつのかすかな音がひびきつづける/ひそかにききいるもののために。」
作品十五『子供の情景』(一八三八年)では、はるかな解放へのあこがれが、抑圧されたものの素朴なゆめへの共感としてあらわれる。子供のための音楽や、子供のゆめをえがいた音楽は、シューマンにとって重要な意味をもちつづけた。やがて、ドイツの民衆詩をあつめた『子供のふしぎな角笛』や、民謡の節まわしが、かれの歌曲につかわれるようになるだろう。それらは、ブラームスやマーラーの場合のように、うしなわれた過去をなげくためにつかわれるのではなく、もうすこし状況批判の意味をこめてあらわれる。
その直後に書かれた作品十六『クライスレリアナ』は、E・T・A・ホフマンの小説の人物をかりて、ドイツをおおう闇と、芸術家の個人的な反抗の悲劇的な終末をえがく。
作品二十六『ヴィーンのカーニバルさわぎ』(一八三九年)は、ヨーロッパの反動勢力の中心地ヴィーンにむけて、禁止された『ラ・マルセイエーズ』の一節をひびかせる。
シューマンの音楽語法は、この時期に確立された。ピアノ書法としては、ショパンが右手の旋律と左手の伴奏音型を基本とした古典的なものにとどまったのにくらべて、シューマンはベートーヴェンの後期のピアノ書法をうけつぎ、発展させた。内声部の充実、伴奏音型のなかに旋律をとけこませるやり方、リズムをずらしたり、六拍子の周期を二拍子と三拍子をくみあわせてつくるリズム、深みのあるひびき、他の声部のうごきをからませて旋律に複雑なかげをつくる書き方など。
属和音上ではじまる旋律が多い。主音上につくられた古典的な安定をさけ、たえず運動をつづける属音の機能にたよる和声構成は、フロレスタンの激情と、かなたへむけられたオイゼビウスの眼にふさわしい。
シューマンは、このような技術をつかいながら、個性的な音楽を構成した。それは私的な記号でつづられた個人の内面史であり、暗号に封じこめられた時代の要求とも言える。シューマンのつかった記号は三種類にわけられる。音名でつづられたことば、引用、象徴的音形。
音名は、アルファベットの文字を音の高さにおきかえることで、ドイツでは全音階(ピアノの白鍵)はAからHまでの字をつかってあらわされるから、あることばはこれらの音をつかってつづることができる。H以下の文字は省略される。Aはイ音、Cはハ音、Dはニ音というふうにつづき、ただしBは変ロ音、Hがロ音、これは中世以来の音階理論にもとづく。そのほかEsまたはSは変ホ音、Asは変イ音だが、AsはまたASだからイ音と変ホ音ともつづれる。このあそびの有名な例は、BACHの名で、これをつかった曲は、バッハ自身の『フーガの技法』以来、現代にいたるまで多くある。曲のなかに自分の名をきざみこむという行為は、まさに音楽家の個性のめざめを意味するが、『フーガの技法』では、BACHの音形があらわれると間もなく曲は中断する。バッハはこの曲を完成することができなかった。
シューマンの作品一は『ピアノのための、アベッグの名にもとづく主題の変奏曲、パラリーヌ・アベッグ伯爵令嬢にささげる』であり、ABEGGの名は、曲のはじめから音でつづられる。作品九『カーニバル』では、シューマンの婚約者だったことのあるエルネスティーネ・フォン・フリッケンの生まれたボヘミアの町の名ASCHと、それをおきかえたSCHAが全曲を統一する音列となる。SCHAとは、シューマンの名のなかにふくまれる音にほかならない。ASCHはAsCHともつづられる。
ABEGGも、ASCH、AsCH、SCHAも、和声音に不安定な音のうごきをしめす。それが革命的情熱と個人的動揺のまざった独特の気分をつくりだす。
音名あそび以外に、ある音楽家は音の数にこだわる。バッハが14という数にこだわったことは知られている。14はAを1とし、Bを2とし、というふうにアルファベットを数字になおした場合、BACHの名にふくまれる数を合計したものになる。シューマンは5という数にこだわった。5はCLARAの名をつくる文字の数であり、クララに関係する音形は五音でできている場合が多い。
音名や音数をそろえるのは知的なあそびにすぎないが、引用はそうではない。引用は芸術の根本的な技術だ。それは伝統と革命に同時にかかわる。すでに表現されたものをうけつぎ、その形をつかい、または変形してあたらしい思想を表現するのが引用の技術だ。芸術の伝統は、形をうけつぎ、変形することにあり、芸術の革命は、形の意味を反転するところにある。
詩の根本には本歌取りがあり、文章の成立には典拠が不可欠であり、思想書は語録につきる。歌は替え歌として発生し、器楽音楽はどんな文化でも、まず変奏曲だった。空間的・時間的造形の原理は、基本形の反復と変化しかない。おなじ形をくりかえし、つみかさね、くみあわせれば、すでにちがうものになる。もっと近代的な対比による構成原理も、その発展とかんがえられる一面をもつ。対比は反復と変化の弁証法的統一以外のものではない。変化するだけでなく、保存される要素との矛盾があるから、対比がなりたつ。対比が反復と変形をおしのけて主要な構成原理になるのは、音楽では十九世紀のことであり、抽象的・自律的な純粋音楽の成立に対応している。純粋音楽とは、音楽の資本主義的生産形態の別名にすぎない。
シューマンの場合、政治的な引用についてはほとんど知られていない。『ヴィーンのカーニバルさわぎ』のなかの『ラ・マルセイエーズ』を別とすれば、革命歌、学生歌、行進曲のスタイルをとる場合も、その典拠についての研究は一般にされていない。
他の音楽家からの引用は、ほとんど気づかないほど変形されて、曲の流れに自然にくみこまれている。カーニバルのひとごみのなかで見おぼえのある顔とすれちがう、あの感じがある。シューベルトが、ベートーヴェンが、ショパンが、パガニニが、もちろんクララ・ヴィークが、ききおぼえのある旋律やスタイルをまとって、通りすぎる。ここにあげた名前は、作曲家シューマンの前史を構成するひとたちのものだ。かれらの音楽はフロレスタンの激流におしながされ、時々表面に浮かびあがる。
引用は、象徴的機能をもって、ひとつの作品にだけではなく、何度もつかわれることがある。作品九『カーニバル』の第一曲は、シューベルトのレンドラー舞曲のひとつ、『あこがれ』とよばれるものの変形ではじまる。その次にでてくる五音から成る音形は、ベートーヴェンの作品九十四『エグモント序曲』のなかの旋律の引用であり、それはゲーテの悲劇『エグモント』にでてくるエグモントの愛人クレールヒェンのテーマであるとされている。クレールヒェン=クララ。
実際には、シューベルトの引用と、ベートーヴェンの引用は、音形の類似性から自然にむすびつく。一回上行し、三回下行することによって、えらばれた四個の音から五音の音形をつくる。下から音に番号をつけると、34321という列になる。クレールヒェンのテーマは作品十二『幻想小曲集』の最後の曲にもつかわれる。
クララの姿には、もうひとつ、作品十四『ソナタ(オーケストラなしのコンチェルト)』の第三楽章に引用される『クララ・ヴィーグのアンダンティノ』の連続下行する5音の音列がある。これは作品十四全曲を支配するだけでなく、作品十七『幻想曲』のはじめから登場する旋律でもある。この旋律は第一楽章の途中でいくらか変形され、上行する小さな曲線をそのまえにつけ加えられる。クララにあてたてがみで、シューマンは、この形がかれ自身のすきな旋律であると書いた。この変形は、第一楽章の最後にあらわれるベートーヴェンの歌曲集『はるかな恋人へ』からの引用と相似形をなしている。引用された個所の歌詞は、「では、これらの歌をもってゆけ」というよびかけであり、この『幻想曲』はもともとベートーヴェン記念のために書かれたのだから、ここでのよびかけはベートーヴェンとクララへ、二重に向けられていた。
上行し、下行する線の運動、それをささえる和声的機能とは独立に、似ているうごきに変形され、あたらしい旋律に生まれかわるそれらの音列や音形は、後にドビュッシーがアラベスクと名づけたものに近い。シューマンの旋律は、ベートーヴェンのように和声とむすびついて音程の力学を構成するものではない。それは音階の上をなだらかにうごきまわり、特徴的な音程による性格づけをもたない。おなじ旋律線が性格を変えて何回もあらわれることも多い。性格は仮面の上にあっても、顔の上にはない。クララのテーマも、線の運動が一定のかたちをとったときの彼の姿にすぎない。運動そのものは、さまざまな別の仮面をつけ、あるいは顔を知られずに出没している。シューマンの旋律が歌であり、シンフォニーのテーマになり得るだけの構成力をもたない、と非難されたのも、性格的な音程や和声関係の対比だけが構成原理と見なされた時代のことだった。線の変形によっても劇的な構成が可能だとはかんがえられなかった。
作品二『パピヨン』は、ヴェーバー風の舞踏会への招待にはじまる。つづいて音階をいそぎ足で上行し、いくらか速度をゆるめて下行する線があらわれる。1234567654321という、この線の運動は作品九『カーニバル』の『フロレスタン』と題する曲にそのままあらわれ、そのそばに「(パピヨン?)」と書きこまれている。これが舞踏会から舞踏会へとチョウのようにとびまわるフロレスタンの自画像だ。かれは『パピヨン』の終曲に群集にまじってあらわれ、笛を吹きながら消えてゆく。群集の音楽は、『カーニバル』にも俗物たちのテーマとしてつかわれる十七世紀の民謡の旋律であり、フロレスタンの音楽は、それを背景にしてつづくが、朝六時の鐘とともに、一音符ずつ消えてゆく。1234567、123456、12345、(鐘)、1234、(鐘)、123、(鐘)、12、(鐘)、1、(鐘)、……、(鐘)、という風に。
このフロレスタンは、シューマンの作品のいたるところに姿をあらわす。さまざまな音階の上で、いつもおちつかず、7度上行し、それから最初の音までもどってくる。
なぜ、これらの音形がつきまとうのか? 色とりどりの和音や音階は染められ、ちがうリズムにふちどられ、旋律のなかにぬいこまれたこれらの姿は何を意味するのか?
クララ=クレールヒェンの名は、あかるいもの、すみきった、純粋なものを意味する。シュレーゲルの「ひとつのかすかな音」、はるかな希望であり、五音の下行する線がそうであるように、かなたからやってくるものだ。それは、かならずおとずれる解放のイメージだ。
このクララはだれだろう? シューマンの一八三〇年代後半のピアノ作品は、愛人とあうことのできないいらだちのなかで、「はるかな恋人」への愛は純化され、その絶望と愛とを反映している、というのは本当か? どんなロマン主義だろうと、そんな私的な動機から作品が成立するわけはない。芸術活動は、まさにこの時代に非日常化した。現実の事件や感情は、非日常世界の光をあびて、はじめて意味をになう。のこされた記録から推定されるクララ・ヴィークは、十九世紀にはめずらしくなかった、作曲をする子供のピアニストで、親につきそわれて、旅まわりをしていた。サロンの節度をこえる音楽を理解することはできず、想像力はないかわりに、現実的な配慮にすぐれていた。かの女自身が「ひとつのかすかな音」としてあらわれる『幻想曲』の大胆な音楽語法をきらい、『クライスレリアナ』の「わかりにくい」和音の連絡ではなく、もっとやさしい音楽をシューマンが書くことを望んでいた。この女と、作品にあらわれるクララとが共有するのは、その名でしかない。クララ・ヴィークを愛したから作品のなかにその姿を写したのではなく、クレールヒェンであり、かなたの目標としてのクララであり、さらに音楽の守護神セシリアでもあるこの名を現実に投影したとかんがえる方が自然ではないだろうか? 実体に対する名の優位、この倒錯はシューマンの没落を予告する。
フロレスタンの名は、花をもとめるもの、チョウ(パピヨン)、かなたへかけのぼり、はるかな希望をもちかえるものだ。その能動性に対して、もうひとつの分身オイゼビウスは、敬虔なものを意味し、かなたからのおとずれを待ちのぞむ受動性をあらわす。
オイゼビウスをしめす音形も、シューマンの音楽のいたるところにある。多くの場合六度音程で大きく飛躍し、なだらかに下行するうごきがつづく。『カーニバル』のなかの『オイゼビウス』と題する曲にもあらわれるし、『子供の情景』のはじめにあらわれ、全曲を統一するものとなる旋律もそうだ。オイゼビウスは無邪気なもの、おとなしい子供なども意味することがある。
クララに対するフロレスタンとオイゼビウスの三角形が、基本的には叙情的なシューマンの音楽を、その性格をうしなわずに劇的なものにたかめる構造的原理となった。しかし、この三角形の三つの頂点は、一つのものの三つの姿でしかない。オイゼビウスの感じる目的への距離を、フロレスタンはあわただしい上行運動でうずめる。クララをしめす二つのかたちのなかで、クレールヒェンは、はじめによこたわる距離がほとんど存在しない場合に、この曲線がとる変化形にあたる。それはひとつの下行運動を準備する三つのやり方にすぎない。かなたからやってくるものに対する三つの態度だ。
この三角形を結婚で完成されるはずの私的な領域に限定するのではなく、社会的・芸術的・私的な領域を統一する力学とかんがえる方がよいだろう。かなたにあるものは、社会的領域ではフランスの市民革命、芸術の領域ではベートーヴェンの個人主義的完成の方向、私的な領域では自由な市民生活だった。最後のものを、シューマンはクララ・ヴィークとの、自由な芸術家同士のむすびつきによって実現するはずだった。クララは自由な人間でもなく、せいぜいサロン芸術家にすぎなかったから、この結婚は抑圧的なものに変ったと言えるだろう。以後の音楽史はクララの眼を通してシューマンをながめてきた。内気で、ゆめ見がちの、本質的に保守的な人間、室内音楽の作曲家、若い日のハメをはずした幻想をすてて、古典主義の節度をもとめ、様式の完成のしごとをブラームスにのこして死んだ失敗者のイメージだ。
この主要な三角形をめぐって、ほかにもいくつかの象徴的音形がある。一八四〇年代の歌曲集には、特定のことばがむすびつく音楽的形象がいくつかあり、それらはピアノ音楽にもすでに姿を見せていたことがおもいだされる。これらのうちあるものは意識的な転用だろうし、反対に、まったく意識せずに旋律をつかう場合もあったろう。クララ、フロレスタン、オイゼビウスの三角形をなす曲線群は、おそらくシューマンの意識することもなかった、音楽の深層構造にとどまっていたかもしれない。確実に言えるのは、シューマンが線的な運動に敏感な耳をもっていたことだ。それは自然なものと言うより、変革された感性であり、変革を通じてこのように深層から構造的に統一された感性をもたずに、社会と芸術と私生活の方向を統一する創造活動がどうして可能だろうか?
象徴的音形はアラベスクのかたちをとり、くりかえされ、変形されて、音楽の基本構造になる。あるときは形の類似は、全曲を統一する主題的要素となる。大きな器楽作品を潜在的に統一する要素は、ベルリオーズの
idee fixe、リストの循環主題、ヴァーグナーの示導動機など、さまざまのくふうがこらされた。ベルリオーズやリストの場合は、おなじ和声構造をともなうフレーズが、せいぜいリズム的に変化するか装飾される、「旋律的変奏」という古典的なかたちをとるにすぎない。ヴァーグナーの場合は、もっと小さな単位であり、特徴的な音程とリズムで区別され、登場人物や特定の心理状態とむすびつけてつかわれる。
シューマンの場合は、ヴァーグナーの舞台に英雄が登場するごとにオーケストラ・ボックスからとどろきわたる英雄のテーマや、何事かがおこるたびに心理状態を解説する示導動機、という風には、あからさまな挿絵をつくるわけではない。ヴァーグナーにしろ、ベルリオーズやリストにしろ、さまざまの装飾をほどこされたテーマがそれと認識されるところに意味がある。シューマンのアラベスクは、さまざまま心理状態をくぐりぬけ、さまざまな仮面をつける。それは出会いの瞬間にはほとんど見わけることができない。これは、シェーンベルクの音列の概念のなかにある潜在的統一の原理を先どりしたように見えるかもしれないが、シェーンベルクの音列は、音程関係の総体であり、シューマンのアラベスクは線のりんかくにすぎない。それは代数と幾何のちがいだ。群論の位相空間のちがいかもしれない。しかし、どちらもテーマや動機のように構成の機能をになう一歩まえの、構造を規定する音楽的形象であるのは、共通している。
そこから出発して作品を構成するためには、次元のちがう原理が必要になるだろう。シューマンの場合、それはまず仮面舞踏会だった。みじかい場面のモンタージュからできている『パピヨン』、『カーニバル』はその例だ。さまざまな人物が通りすぎる。場面の対比による表面的構成の下に、深層構造の一貫した流れがある。一八三〇年代の後半の作品では、ソナタ形式の図式にもとづきながら、初期の並列的モンタージュではなく、からまりあった複雑な構成がこころみられている。ソナタの第一テーマと第二テーマの対比のように、フロレスタンとオイゼビウスの性格的対立や統一が、劇的発展を約束する。ここでの、構成要素としてのフロレスタンとオイゼビウスは、線のアラベスクとしてのかれらとは別な次元にあり、独立している。フロレスタンの音楽がオイゼビウスの性格をまとうこともあるし、オイゼビウスの形象がフロレスタンの場面を支配することもある。
作品六『ダビデ同盟員の舞曲集』(一八三八年)では、クララ・ヴィークの作品六からとられたモットーを導入として、全十八曲はフロレスタン、オイゼビウス、あるいは二人同時の舞曲に分配されている。ちょうど中心になる第九曲には「フロレスタンは沈黙した、唇が何か言いたげにケイレンした」としるされ、そこにあらわれる音楽は、ふるえる曲線にふちどられた例の下行音列だ。第十七曲は事実上の終曲であり、子守歌の平和なゆめのなかに、第二曲でオイゼビウスがはじめてゆめみたクララの形象が再現される。第十八曲には、「まったくよけいなことだが、オイゼビウスは次のようにかんがえた。眼は幸福の光にかがやいた」としるされ、『パピヨン』の最後にあらわれる、上の方にしだいに消え去る和音につづいて、レンドラー舞曲がかすかにひびき、すべては闇にのまれてゆく。フロレスタンが表現することができず、沈黙の身ぶりでさししめすだけだった観念を、無邪気なものオイゼビウスは、ゆめと平和のなかでかちとる。作品十五『子供の情景』に共通する主題だ。
それに対して、作品十六『クライスレリアナ』を構成する全八曲は、おなじようにフロレスタンとオイゼビウスの性格的対比を軸にして二曲ずつの組になっているが、対立は激化し、第六曲のオイゼビウスは不安なリズムにさえぎられる。第七曲の絶望的なあがきはやがてたち切られ、賛美歌のひびきに送られて完結する。最後の第八曲は、暗黒のうずまく疾走のなかにあざ笑いをのこして消えてしまう。
音楽的形象は、ここでは特定の情念や心理をになうものではない。それは音の基本的な身ぶりであり、モンタージュによって政治的な意味をもつにいたる。
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