沈黙と憂鬱、または在りし日のファースト・レディの微笑それとも

北村周一

旧友のU君がこの春に他界した。

朝なかなか起きて来ないので、家人がようすを見に行ったら、すでに息も絶え絶えの状態だった。
それから三日後に亡くなった。

カラフルな釣り具のわきに釣り師いて寡黙なり雨の江尻埠頭に

思い起こせば、2016年の6月の夜に、清水のまちのとある飲み屋で会ったのがさいごとなった。
そのときの出来事は、なんとなく気になったので、ノートに書き留めて置いた。
そのメモのようなものが、こんさーとという一片の文章になるとは思いもよらなかった。
清水銀座の花屋の2階にある古ぼけたバーでの一夜は、印象深いものだった。
もう一人の高校時代の友人Ⅰ君は、残念ながらすでに酒を断っていたのだけれど、つきあいは頗る良いほうだったから、夜の更けるまで一緒だった。
つぎの日の朝、ぼくは宿を出て、清水のまちをぶらついた。
巴川べりから歩き始めて、カトリック教会を外から眺めたのち、清水港に向かった。
梅雨の時期だったから、少しだけ雨がぱらついていた。
それでも江尻埠頭には、なんにんもの釣り人が岸壁にならんでいた。
さきの一首は、そのときの光景をうたったものなのだけれど、いま読むと、まるで釣り好きなU君の後ろ姿をほうふつとさせているような、妙な感覚にとらわれる。
いつもの寡黙で(ふだんは饒舌なのに)猫背の後ろ姿が目に浮かぶのだった。

高校に入学して間もなくの頃だった。
ぼくとU君は連れ立ってとなり町の静岡に遊びに行った。
ある人(名前は忘れてしまった)の個展を見るためである。
静岡の繁華街の一角に、その会場はあった。
着いてみると、そこは喫茶店だった。
ぼくらはたんにコーヒーの店と呼んでいたような気がしないでもないのだが。
高校一年生には、喫茶店は敷居が高かったのである。
それでもドアを開けて店の中に入ると、コーヒーの匂いがして、たぶんタバコのけむりの臭いも混じっていて、真新しい学生服姿のぼくらはちょっと怖気づいた。
階段を昇りながら、二階へ上がった。
額縁入りの小さな絵が、壁ぞいにならんでいたから、おのずとそれを見ながらさきへ進んだ。
個展を見るのは、はじめてではなかったが、やっぱり緊張するなあと思いつつ、階段を昇った。
Sさんが、奥の方からやって来た。
高校のクラスメートの女子である。
Sさんは、美術部でもある。
そしてU君とは小学校の同級生でもあった。
彼女がぼくらを個展に誘ってくれたのだった。
Sさんの知り合い(親戚?)が絵を描くらしいことを聞きながら、ぼくらは喫茶店のイスに座った。
彼女は、ほんとうに来てくれたんだあとうれしさを隠し切れないようすで、絵について語り始めた。
なんどか抽象という言葉をつかった。
ほんとうは抽象を描きたいんだともいっていた。
主語は、個展の主なのか、それともSさん自身なのか、わからなかったけれど、ただすごいな、そんなこと考えているんだと感心しつつ話を聞いた。
話が途切れると、絵を見るために再び三度階段を昇り降りした。
Sさんがお礼にといって、アイスクリームをご馳走してくれた。
金属のお皿に乗ったアイスクリームとウエハースを、ぼくらはゆっくりと食べた。
口が冷たくなったら、ウエハースを食べるのよといいながら、まるでファースト・レディのようにSさんは微笑んだ。

それからU君とぼくはコーヒーの店を後にして、七間町の映画街に向かった。
『ミクロの決死圏』を観るためである。
事故にあって脳内出血を起こした科学者を救うために、医療チームをミクロ化して体内に送り込むストーリーなのだけれど、映像というか、視覚効果がすばらしく、しばらくはその影響をまともに受けていたように思う。

その後、Sさんは美術部を止めて、弓道部に入り直した。
高校三年になった頃だったろうか、Sさんから絵が一枚欲しいといわれて、とてもうれしく思った記憶がある。
でもその約束(?)は果たされることなく、卒業し、もう50年が経ってしまった。

この町から抜け落ちてゆくさまざまの思い閉ざしてシャッター開かず


*U君と、Ⅰ君は、はざーどまっぷという一文にも顔を出しています。清水の桜の名所、船越堤での花見の箇所です。2021年4月号に書きました。