先日、ミラノの日本領事館から、中国人の反日デモが予定されているので注意するようメールが届きましたが、最近、道すがら出会う近所の中国人とのやりとりが、気のせいか少しぎこちなくなった気がします。ミラノですらそうですから、ずっと深刻な影響の出た場所もあってしかるべきでしょう。
終戦から67年間、大きな戦争に巻込まれず過ごせたというのは、近隣各国をながめても極めて恵まれた例でしょうし、胸を張って自慢すべき事実に違いありません。一度始めた戦争がやめられず、原爆や自爆攻撃にまで猛進した世界大戦を鑑みれば、今後いかなる状況下に置かれようとも、日本は武力行使への道を辿ってはならないと信じています。日本人の真面目さやストイックさには、計り知れない可能性があるとおもいます。戦争や虐めのためのものではないとおもうのです。
9月X日00:10三軒茶屋自宅
悠治さんから「小杉のイヴェントでシューマンを弾く」と聞き、家人と連れ立って竹橋の東京国立近代美術館へ出かけると、竹橋駅から美術館までの間に猛烈な夕立ですっかり濡れねずみになる。溢れんばかりの会場には岡部夫妻も居て一緒に床に座った。冒頭の悠治さんと小杉さんの掃除姿に抱腹絶倒したが、小杉武久さんのイヴェントを直接見たのは初めて。笑って構わない作品と理解したが、周りは一音も聞き漏らさぬよう真剣に聴き入っている。何の音かと辺りをしきりに見回す怪訝そうな顔と、仕掛けが解けたときの嬉しそうな顔。どの作品も音と遊び心が満ちていて、聴き手の眼は子供のように輝いていた。悠治さんのシューマンのソナタは、隣で小杉さんが縦横無尽に変調させるので原曲が聴こえない、というのは嘘で、ちゃんと聴こえる。ケージのラジオ・ミュージックさながら、ラジオのチャンネルを自在に往来するのに近い愉悦だ。単純で古臭いセットなのに、新しい作品より説得力がある不思議。機材や仕掛けよりパフォーマーの個性が強く、イヴェントに吞みこまれないからかも知れない。
ケージ自作自演の「想像の風景第一番」と「フォンタナ・ミックス」が憧れだった小学校高学年のころ、テープ音楽に熱中した。現代音楽からクラシックや民族音楽のレコードのターンテーブルを手で廻し、発生した奇妙な音響体を次々にカセットにコマ録音する素朴な手法でテープ作品を際限なく作ったが、何時しか電子音楽やライブエレクトロニクスに全く食指が動かなくなってしまった。あれから少し経って、ベルナルド・マーシュが太いオープンリールで具体音と楽音を雑ぜるのは魅力的だったが、今記憶に甦るのが彼の作品より太いオープンリールと特別なデッキなのは、当時「マルチトラック」なんて言葉が羨望の対象だったからかも知れない。
帰りしな、三軒茶屋のヤンヤンに寄り、温かい紹興酒と鶏肉の唐揚げで冷えた身体を温めた。手打ち麵は売切れていた。
9月X日00:20三軒茶屋自宅
味とめにて悠治さん夫妻、浜野さん、笹久保さん一家、家人と息子が集う。大人が泡盛をかたむけ四方山話に花を咲かせるあいだ、子供たちは別のテーブルでテレビを見ている。息子はここでは決まってラムネを頼み、ビー玉を取り出すのを愉しみにしている。下戸の笹久保さんもラムネを頼んだ。
小杉さんがシューマン好きで音楽にのめり込む話。小品集では変調をかけ続けると変調させる意味を成さなくなるのでソナタを選んだのだそうだ。美恵さん曰く、悠治さんは小杉さんとやるときが一番愉しそうだという。小杉さんはその昔セクトに追われ変装したことがあったが、誰が見てもすぐ見破られる風貌だったという話。
音色や音楽の個性より、正確に演奏が優先させられるべきか否かについて。当初「兵士の物語」は、軽々と弾きこなせる演奏をめざすより寧ろ限界に挑戦して音が裏返ったりする試みだった。
9月X日17:45三軒茶屋自宅
何度か演奏した「協奏交響曲」の楽譜。身体の中で何かがこなれず気分が悪い。本場直前にも関わらず、一ページ目から改めて譜表を書き入れ、アインザッツを決め直すと、自分が何も理解していなかったことに唖然とする。休符やリズム音程までも怪しい。何となく全てを分っているつもりのとき、実は何もわかっていない。頭のなかで音を塗りこめすぎて、音が呼吸できていない。今井さんは、冒頭の附点を3連符で演奏してみようと提案してくれた。フランス風ほどきつくなく、楽譜ほどゆるくならない。
9月X日23:00三軒茶屋自宅
品川から京浜急行で堀ノ内に墓参。どこか昼食がとれないか見回すと、駅のすぐ脇に中国人がやっている中華料理屋があり美味。コンビニエンスストアで仏花などを買い信誠寺へ向かう。その昔道筋にあった雑貨店など軒並み店じまいしていて、文字通り「しもた屋」になっている。町田で落合った息子をつれ成城学園からつつじケ丘へ。半年振りにお会いしたA先生は少し痩せられていて、向かいの玄関先の階段に腰を降ろして話してくださる。日本に戻ってこられないのという言葉に、ただ頭を垂れることしかできなかった。
9月X日00:20三軒茶屋自宅
モーツァルトの練習直前。ふとしたきっかけでチェリビダッケの「ダフニス」を聴いてしまい、冒頭のクレッシェンド数小節で打ちのめされる。こんな風に音楽ができないから、安易に作り上げてしまう自分が情けないが、仕方がないと諦めるべきなのだろうか。冒頭のピッコロも、羽ばたく空気の振動がこちらにまで伝わるようだ。音楽は鼓舞されて沸き立つのではなく、自らの裡からふつふつと生まれる。「ダフニス」のようにモザイク模様のオーケストレーションと対峙するとき、力強く大きな筆で旋律線を描いてから、細かい音をはめこむのが普通なのだろうが、彼の音楽の作り方は正反対だ。全ての細かい音を聴き取りピントを合わせることから、旋律は信じられないほどの実感をもって、そこから立ち昇る。
真空管で光る電気のように、純正な輝きを放つさまは神々しい。
初台に「協奏交響曲」と「レクイエム」の練習に出掛け、練習の前に今井さんと岩田さんと蕎麦をたべる。岩田さんとは子供のころ功子先生のもとで一緒にヴァイオリンを習った仲で、何十年かぶりの再会。独奏、独唱の皆さんが上手なのは言うまでもないが、合唱の皆さんが前回よりずっと歌いこまれていることに感激する。
9月X日08:00 アルケスナン王立製塩所跡
モーツァルト本番の控室は合唱指揮の辻先生と同室。最初の合唱の練習で、「オザンナ・イネクス・チェルシス」ときれいなイタリア語発音にして下さって嬉しいなどと話し始めると話は尽きず、本番の出番直前まですっかり話しこむ。
美智子皇后がいらしたので進行は分刻み。演奏会が無事に終わりそのまま羽田空港から深夜便に乗り込んだ。
パリに朝6時に着くと寒くてたまらず、空港からリヨン駅行のバスに乗る前に、トランクからありったけの上着を出して重ね着する。パリ・リヨン駅のバールでブザンソン行きの列車まで3時間ほど時間を潰す。
ディジョン手前、乳牛が牧草を食む田園風景を車窓からぼうっと眺めながら、このTGVは原子力で発電された電気で走っていて、自分もそこに乗っているのだなと無意識に考えている。日本から着いたばかりだからか。この電力がイタリアにまで届けられているわけだ。
特急車内で「瀧の白糸」の映画を見ながら楽譜をチェックするが、流石に昨晩の演奏会の疲れと、演奏会後そのまま旅してきた疲れが重なり、何度か眠りこむ。
ブザンソンからアルケスナンまでフィリップが車で送ってくれるが、迂回路を探すうち道に迷い、思いがけずうつくしいルー川のほとりの田舎道を延々走ることになる。時差ぼけと旅疲れの頭で、人懐こく話しかけてくれるフィリップに馴れない仏語で相槌をうつのが精一杯。数週間前まで、一帯は大雨で洪水がひどかったと言う。旧王立製塩所跡で布団にありつくと、そのまま眠りこむ。晩御飯も食べずに朝まで寝込んだ。
9月X日0:20アルケスナン王立製塩所跡
パリから車窓を眺めていると、フランスはイタリアより池や沼が多いようだ。尤も、そこに印象派の絵画を思い出すのは、あまりに短絡的なのだろうが。
この周辺にはブドウ畑が広がっていて、乳牛が放牧されていて、チーズやワインの産地だという。
朝からゴーゴーと不思議な音がしていて目が覚める。外に出ると目の前に50機ほどの大きな気球が空を埋め尽くしていて、そのバーナーの音だった。
圧巻の光景だが、あまりに多すぎて、互いにぶつかったりしないのか見ていて不安になる。乗せてもらうと一回200ユーロ。ヴァイオリンのアニエスが、昼食中さかんに明日誰か一緒に気球に乗ろうよと誘っていた。
久しぶりに後藤さんやハリーと再会。元気そうだ。そういえば、昨夜遠くから尺八を練習する音が聴こえて、ああハリーがついたのだなと夢心地に思っていた。今日は午後から、夜は23時まで練習とあり、映画の投影装置のことで昼過ぎから会場に出入りする。練習は15時からはじまり、夜はさっそく映画を合わせながら練習をはじめたが、こちらは目を開けているだけで精一杯で申し訳ない思い。外は秋祭りで、静まり返った音楽を練習している傍で、ロックのライブをやっている。やれやれ漸く終わったかと思いきや、映画のクライマックス、「白糸」が公判中に自害するあたりで、盛大に花火大会がはじまり、場違いな祝賀ムードで練習が終わる。
9月X日22:20ブザンソン・ホテル
朝、ハリーと辻さんと後藤さんとルー川まで散歩。途中、エスカルゴと山羊のチーズ直売店があり、庭にたくさん山羊が飼われていて、あたりに山羊臭がただよう。どうして羊は神の子羊で、山羊はサタンの山羊なのか。思わずレクイエムの歌詞をおもいだす。「Inter oves, locum praesta, et ab haedis me sequestra. 羊たちのなかにわたしの場所をみつけてください。わたしを山羊から遠ざけてください」。これだけチーズをさんざん作らせておいて、あんまりじゃないかと思う。ここにいるのも、いわゆる黒山羊だった。
今日は聴衆をいれて公開リハーサル。何しろ全体の段取りに馴れる必要があるので、細かい練習ばかり続けることはこの曲に関してはあまり意味をなさない。否が応にも人前で通すと、その後で演奏が楽になる。殆ど拍子がないので演奏は簡単ではない。特に指揮は最初はどうしたものか悩んだ。公開リハーサルと聞いていたが、会場には演奏会と宣伝文句が書いてあり、演奏者一同動揺する。ここまでお客さんなど誰も来ないだろうと高を括っていると、そういう時に限って観客多数で再度動揺。夕食後ブザンソンに移動。
9月X日23:00ブザンソン・ホテル
朝食をとっていると、会場にすぐに来てほしいと電話。会場セッティングの相談で、打楽器とハープ以外を舞台のひな壇の上に載せるという。指揮者はどこに坐るか、実はいつも問題になる。どこでも劇場つきの裏方のおじさんたちと話し込むのは愉しい。よく笑い、明るくて気さくな人たち。結局舞台の張り出しあたりに坐ることになるが、最初は椅子が低くて2時間弱ものあいだ、手を掲げて指揮できそうもないので、もう少し高い椅子を探してくるが、やはりものすごく肩が凝った。映画と音声ファイルのタイミングが合わないとかで、午後の中学生対象のワークショップは、偶然持参のDVDを使う。中学生たちは明るい。男湯の銭湯の脱衣所のシーンでは割れんばかりの拍手。ふんどし姿なのが愉快なのだろう。
9月X日09:55ミラノ自宅
ブザンソンの本番が無事に終わり、TGVでチューリッヒへ向かう。途中ミュールーズからドイツ語と英語でアナウンスが入る。演奏会後食事をしていて、ハープのヴィルジニイが載っているボルボが、思いがけず恩師の車だと知り感慨をおぼえる。エミリオがパリに引越してから、あの旧い大きな車は使いにくくなり、彼女が住んでいるディジョンに、エミリオの息子、ロレンツォが住み始めてから、あのボルボを使っていたが、ロレンツォがウィーンに引っ越すことになり、ハープ運搬に向いているからとヴィルジニイに無償で譲渡したという。そのむかし何度となく同乗させてもらった。
チューリッヒからキアッソ行の列車に乗り換えゴッタルド峠へむかう。山が深くなり、列車は山腹をつたっていき、人家がみるみる減ってゆくと、いつしか懐かしいアルプスの風景にいた。ゴッタルド峠を越して、アイローロとイタリア語表記に変わる。「トンネルを抜けると」という文句のままで、不思議なほどの感動をおぼえる。イタリアからのぼってくると、ティチーノは殺風景に見えてしかたがないが、チューリッヒから降りてくると、ティチーノの風景は、イタリアのようにすら見えるほど美しい。
(9月30日ミラノにて)