東日本大震災から、5年がたつ。早いものだ。
最初の3、4カ月は、時間の経過がひどく遅く感じられ、何年もたった気がしたものだ。あれはどうしてだったのだろう。あまりにいろんな信じ難いことが起きたからか。いま、もう5年たったんだ、という思いで眺める被災地は、決していい状況とはいえない。ボタンを掛け違ったまま見直すことなく事業は進められ、大きな間違いをすることになるのではないかという不安がつきまとう。特に、三陸は。
でも、仙台だって、災害復興住宅が立ち、平成27年度で復興事業は打ち切られのだけれど、そこで置き去りにされていく人や課題は山ほどある。むしろこれからの方が、課題や問題があらわになっていくような気がしている。
3月11日が、まためぐってくる。そう感じるのは、1年で最も寒さのきびしい1月末から2月をしのいだあと、すこしずつ高度を増し明るくなっていく日差しの中でだ。カレンダーをめくり頭で感知するのではなくて、あたたかくなっていく気温や日の光に体が感応する。季節のめぐり、つまりは天体の動きに、生きものとして反応しているということなのかもしれない。天文好きだったら、夜空の星の動きに3月11日を思うだろう。あの日の夜は、満天の星。あんなに美しい星空はあとにも先にも見たことがない。
4月に入って、道端の雑草が花をつけ始め、桜が咲き始めたときは、ひどく不思議な気持ちで眺めていた。オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ…春になると真っ先に開く小さな花が、約束を破ることなく変わらない姿を見せ、そして桜が満開になった。こんなにひどいことがあっても、花は咲くんだ。そんな気持ちで枝先の桜を見上げた。植物の存在に感じ入ったし、なぐさめられもした。草も樹々もすごいなあ。それは、人をなぐさめるだけでなくて力を与えてくれるものなのだ。
大きな被害を受けた仙台の沿岸部には田畑が広がり、いまは専業農家ではなくても代々、米や野菜をつくってきたという人たちがほとんどだ。震災から3カ月を過ぎたころからいままで、集落をまわりいろいろな方たちから話を聞いてきたのだけれど、そこで出会った人たちは生きる証を求めるように畑に向かっていた。
仙台市の東南部、藤塚に暮らしてきたWさんは、大津波で自宅を失ったというのに、3か月が過ぎ避難所を出て借り上げ住宅に入ると、住まいのあった場所にジャガイモの種をまいた。土ではなく、大津波が運んだ海砂の上で、かたわらには貝殻が落ちていた。驚いたことに、ジャガイモは芽を吹いた。「砂だし塩害もあると思ったけど、出てきたんだよ」と指差す先には20株ほどのジャガイモが青々と育ち、伸びた茎の先に花もつけている。少し離れた砂地の上には、ハマボウフウが蘇っていた。「俺の家の跡だってわかるのは、この丸い井戸枠があるからなんだ」といいながら、Wさんは小さな花を見つめていた。
同じ集落のMさんは、やはり同じようにすべてを流されたあと、畑の土の天地替えをして野菜づくりを再開し、夏にはトウモロコシ、トマト、ナス、秋にはキャベツや小松菜をつくっていた。「借り上げ住宅にいるんだけど、マンションのちっちゃい部屋に何もしねでいるって、おかしくなりそうになるんだよ。だから、がれき撤去されたあと、すぐに通い始めて畑やるようになったんだ。塩でだめかと思ったけど、案外いいんだ。直売所に持っていったりしてんだよ」。あの日、乗って逃げたという軽トラ1台だけが手元に残った。その軽トラが暮らしを支えていた。
Mさんのように話す人は少なくない。「狭い部屋でおかしくなりそうだ」「仮設にこもってたら、気が違いそうだ」ということばを、何人から聞かされただろう。中には「毎日やることがなくて、狂いそうだ」という人もいた。多くは年配の男性だった。サラリーマンとして生きてきた人でも、沿岸部の人たちは土に親しんできている。そして作物を育ててきている。土から離れることの不安感、その切羽詰まった感情が、おかしくなる、気が違う、気が狂うということばにあらわれていた。
Mさんは見事に育ったキャベツやブロッコリーを持たせてくれた。青々とした見事な実りは、へし折れた電柱や家の土台を多いつくす雑草や倒れた石碑が広がる荒れた風景の中で、とてもあたたかでなぐさめに満ちているように思えた。
いつだったか、山形県の最上地方の専業農家の男性が「百姓やってて何がいちばんうれしいかって、種まいて日がたって、土の中からぽっと小さい芽が出たときなんだ」といっていたのを思い起こす。土に働きかけ、手間ひま惜しんで手入れをし、そうすれば必ず応えてくれる作物の愛おしさ。何もしゃべってはくれないけれど、手をかければかけただけ必ず返してくれる健気さ。
あらゆるものを失って、中には家族の命まで失ってしまった人たちは、畑の中の小さな、でも力を潜ませている緑に向かいながら、じぶんを取り戻そうとしているのかもしれない。
いま沿岸部では、農地の集約化、大規模化、法人化が進められ、砂ぼこりを上げるトラックが引きも切らない。私に気が違いそうだともらしてくれた人たちは、そこでは埒外にいる。小さな畑はつぶされていく。農業を産業としてだけとらえると、人が土に向かって働きかけて生きてきた初源の感情や多面的な価値はたぶん失われていくだろう。小さな畑をあちこちに、生み出すことはできないのだろうか。