モーツァルトの「協奏交響曲」の楽譜を開くたびに思い出すのは、子供のころからモーツァルトに対して感じていた、不思議なときめきです。5番のヴァイオリン協奏曲の3楽章冒頭や、29番交響曲冒頭の係留音、39番交響曲2楽章の思いがけない転調のゼクエンツなど、モーツァルトの或る種の音型、緩徐楽章の終止や倚音の処理、偽終止やゼクエンツに伸ばされた係留音は、官能的な手触りすら覚えますが、「協奏交響曲」はそんな魅力に溢れていて、至福という言葉はこんな時のためにあるのだと思います。
ところで、今これを書いているのは、朝の4時くらいですが、駒留通りに面した三軒茶屋の家の窓から、鳥の啼く声が聞こえないのが少し寂しいのです。生まれ育った相模原でさえ、朝晩山鳩のほの暗く低い声が遠くまでよく通り、夕刻にはカラスの声に促されるまま、家に帰ったものでした。
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8月X日22:00 ミラノ中華街の中華料理屋にて
朝、散歩をしながらモーツァルトの楽譜を思い出すが、まだ雲をつかむような思い。今日中にDuo pour Brunoの書き込みは終わるかと思いきや、最後のコーダ前で眩暈。仕事は続けられないと思い、栄養をつけるべくここまで来た。わざわざ家から遠くへ出かけるのは、移動中にモーツァルトを読むため。そうでもしないと、切替えられない。
8月X日01:00 ミラノ自宅ベッド
今朝から電話もインターネットも使えなくなった。
In Cauda IIに楽器名を楽譜に書き入れていて、あまりのむつかしさに自暴自棄になるが、丁寧に読まなければいけない。急がば廻れと思うことにする。
日本は猛暑で町田の母が熱中症で軽い脱水症状になった。
同日17:30 ミラノ自宅ベッド
朝3時半からIn Cauda IIIを読みはじめ、それで何とか朝9時前まで縦合わせの見直しをして、1時間ほど寝る。この時期夏の臨時列車が家の横の引込線に何度も入線して入れ替え作業をしている。長距離列車1両目は赤十字マークの保健車。
今朝譜読みをしながら鳥の啼き声がとても表情豊かで感激する。庭の樹で一羽が啼くと、遠くの仲間がそれに応える。聴き終わってから、違った表情で庭の鳥がそれに応える。先日近所の公園を通りかかると、烏の番いが低木の植え込みの周りを歩いては、短く啼いている。明らかに何かに呼びかけていて、ひと声啼いては答えがないか耳を澄ます。子供が巣から落ちたのだろうか。
Promを譜読みしていて、全体の壮大なスケールに漸く体が馴染んできた。指定の速度よりよほど早く演奏することから、素材の音型を無意識下でも聞こえるようにしたい。曲尾の奇妙な半音階下降音型の和音にも、少しずつ慣れてきた。13年前余りの息の長さに耐えかねて書きつけた表情記号が、自らの役に立つとは思いもかけなかった。
同日20:45 ミラノ自宅ベッド
In Cauda II の強弱記号を附け終わって圧倒された。ドナトーニは真っ当な作曲をした作家だと改めて思うのは、まやかしもなく音の神秘など微塵もなく、無心で音符を書きつけただけだから。そうして、ここまで譜面を読みこんでから、最後に強弱を見直すと、食事の後でデザートを食べるような愉悦も覚えるのは、平面的だった音楽が突然3次元で姿を現わすから。
8月X日01:00 三軒茶屋ベッド
今日は親父に頼んで7歳になる息子を初めて釣りに連れていって貰う。若洲海浜公園でサッパばかり40尾。息子はサビキ、親父はイソメでエサ釣り。塩焼きにしたが、親父のようにフライにすれば、息子ももっと食べられたに違いない。
エミリオからメールが届き、In CaudaIIは少なくとも3つの違うテンポを入れ替えながら演奏すべきだという。気持ちは分かるが、In Cauda IIIと並べて演奏するのなら、IIIのように速度に変化をつけたくない。IIだって爽やかさや新鮮さが必要ではないかと書くと、彼の音楽は全ての音がしっかり合うことが第一で、爽やかさなど関係ないと頑なな答え。尤も、指定の速度は演奏不可能なので、寝てから改めて考えることにする。Prom。Pro〈肯定)とMor(死)という言葉が交じり合って、どうも否な感触。
ドナトーニの命日。お袋の血圧はどうも突然下がる。酷暑は高血圧には辛い。
8月X日16:35東フィル練習場
休憩中、各々がドナトーニのフレーズを思い思いに練習する音が聴こえて、まるでドナトーニがそこかしこに佇んでいる錯覚。作曲っていいものだと思う。朝気が付くとページが27になっていたり、練習中誰もいないところで突然椅子が倒れたり、こじつけに過ぎないが何となくドナトーニがいるようで楽しい。
Promは自分の裡に最後まで不完全さが残っていたが、全体に軽さを持って、素材の主題を浮き上がらせる努力を続ける。
同日22:00味とめにて
味とめでサンマ揚げとサザエの刺身。美味。疲れているときに味噌汁は身体に染みる。家に戻る世田谷線のなかで、ふと切ない気持ちがこみ上げてくる。練習中には感傷などまるで皆無だが、何かの拍子にふと思い出すほんの些末な出来事が、そんな効果をもたらすのか。
8月X日16:20自宅にて
練習最終日。演奏会の曲順でリハーサルをするが、思いがけずこれは演奏者にシビアだった。オーケストラの集中力と真摯な姿勢に脱帽。練習場に入ると、演奏者のほうから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
夜円山町の寿司屋でSさんから他の演奏会は練習をみっちり入れていると聞き、さっさと練習を終わらせる自分のいい加減さを反省。尤も必要以上に繰り返すことで、本番の演奏の質が上がるとも一概には言えないと独りごちて、相変わらずの自己正当化。
8月X日01:30自宅にて
サントリー演奏会本番。朝は部屋の片づけと、洗濯などするうちに時間が経ち、慌ててリハーサルに出かける。本番はオーケストラが驚くほどよく弾いてくれて、聴衆の反応も悪くなかった。あれならドナトーニも喜んでくれたに違いない。練習も演奏会も淡々とこなし家に戻り、夜半に近所のコンビニエンスストアに出かけた。
横断歩道を待っていると、突然涙が溢れだす。
8月X日23:30熱川にて
朝11時過ぎに息子と家を出て品川で駅弁を二つ購う。茅ヶ崎で降り、仏花と線香とライターを購入し、母方の祖父の墓を訪ねて西運時へ向かう。息子は生まれて初めての墓参りに大喜び。湯河原でも父方の祖父母の墓を訪ねて英潮院を訪れるが、どの季節に来てもこの寺は美しく、墓からの相模湾の眺望にも溜息が出る。
帰りに住職の奥さんに呼び止められて、
「吉浜の杉山の本家さんですか。似ていると思っていたのですよ」。
杉山の親戚の顔が似ていると思ったことはなかったので愕く。お上がんなさいといわれるのを固辞して熱川へ向かう。
8月X日04:30熱川
山の尾根が真っ赤に染まり、見事な朝焼けは海にまで波及している。
思いがけずドナトーニの演奏会に来てくださった悠治さんからメールが届いた。
「ドライな響きに甘美なメロディーが隠れている さらにその裏に暴力と喪失感がある 原型をとどめないほど煮詰めて発酵したジャムのようなマニエリズムでしょうか 明るさを装うメランコリーでしょうか」
ドナトーニをジェズアルドに喩え、その昔は数人の声で出来たことが、今は大オーケストラを必要とする、とある。成るほどと思い久しぶりにジェズアルドを聴き返してみる。
リハーサル中、オーケストラの団員から、ドナトーニ凄いねえと何度も声をかけられた。本番当日も、ホールの通用口へ向かいながらクラリネットのXさんと一緒になったとき、笑顔で「ドナトーニの構築力は物凄いねえ、数学でもやっていた人なの」と言われ、びっくりした。連日の練習で演奏者はドナトーニのドの字も聞きたくないと思い込んでいたせいもあるだろう。「数学はどうか知りませんが、経理士の資格はもっていたようです」と答えると大笑いされた。
演奏中に思い出すのは、何故かファシズム建築のミラノ中央駅のファサド。磨きあげられた石造りで巨大で古典的な美しさを湛える。鉄枠でできたプラットホームのほの暗さはイタリアのネオリアリズム映画にも通じる。
「発酵したジャムのようなマニエリズム」の下りを読んで、先日ヴェローナの記念墓地に訪ねたドナトーニの墓が眼前に浮かんだ。12年前の話では、場所がないので当座は集合墓地に入れてもらい10年後に骨を拾って立派な墓を作る筈だった。先月は目の前の墓で、すっかりくたくたに溶けて骨だけのドナトーニを想像しつつ、手を併せた。
8月X日22:30熱川
モーツァルトのレクイエムをひたすら読む。先月の大久保さんのコラムの、翻訳でつかえたときに書き出してみるという部分を読んで、音楽と同じだと膝を打った。
どんなに単純な作品でも、和音の機能分析だけでは、音の裏の空気の動きが見えない時もある。単純な和音であっても、楽譜に和音を書きこんでみると、音符の奥に見えるものが大きく変化する。書かなくても解っている積りなのが、書いてみると解っていないことが解る。調性の範囲と領域から、音楽の方向性と指向性を判断する上で、音そのものが見えていないのは致命的であって、相変わらずどうしてこうも楽譜が読めないのか。
モーツァルトのレクイエムに関しては、ヘミオラの処理について何箇所かどうも合点がゆかない。原典版を読んでも、わざわざヘミオラを演奏し難くするアーティキュレーションが書かれているのは何故だろう。
先に大ミサ曲を演奏したせいか、モーツァルトとジュスマイヤーの境界線は明快で、当初レクイエムが好きになれなかった。漸くここにきてレクイエムの美しさは、何世紀にも亙りさまざまな建築家の手にかけられて作り上げられる教会のような、或る普遍性をもった美しさに等しく感じられるようになった。大ミサ曲のような純粋な神々しさとは違っても、レクイエムに見出される様式の矛盾や歪さが少しずつ個性のように見えるようになり、それら全てを凌駕するモーツァルトの存在がとんでもないことがわかる。
8月X日23:30三軒茶屋自宅
熱川の帰り、湯河原で叔父さん宅に寄り四方山話。息子と二人、彼が釣ってきた鱚(きす)のフライを頂く。傍らに小さな鯒(こち)の稚魚の天ぷら。鯒は鱚の外道で釣れるけれども、叔父さんは普段は持って帰らずその場で放してしまう。鯒の稚魚は小さすぎて、陸にあげる前に息絶えてしまっていたので仕方なく持って帰ってきたそうだ。鯒は美味いので、自分なら持って帰ってくるだろうが、いつも釣っていれば違うのかもしれない。子供の頃は鱚より却って鯒のフライの方が好きだったので鯒が釣れると大喜びした。
そのまま息子を連れてケージのミュージサーカスへ出かける。すぐ飽きるかと思いきや、息子はカミナリ製造機と活け花が気に入り動かない。翌日クセナキス、シャリーノとラッヘンマンを聴きに出かけると、隣の席に思いがけず頼暁先生が座っていらした。
伊豆に出かけ懐かしくなって、駅の本屋で「伊豆の踊子」を買って電車で読む。
8月X日23:00自宅にて
レクイエムの独唱、合唱合わせ終了。モーツァルトのラテン語はイタリアならイタリア語読み、ドイツ語圏ならドイツ語読み、極論を言えばフランス語圏でフランス語読みしても分からないではないが、日本ならどうなるのか。バラバラなら直している時間はないと気にかけていると歌手の皆さんの方から何語読みですかと尋ねて下さった。合唱の皆さんにもイタリア語読みでお願いしますという一言で事は済んでしまう。さすが日本だ。自分だったらドイツ語読みでお願いしますと言われてもすぐに切替えられない。
イタリア人がラテン語を外国語として括ると妙な感じがすると言っていたが、確かに外国語と呼ぶにはイタリア語に近すぎる。フランス語やスペイン語、その他のラテン語族の言葉を話す人にとっても同じに違いない。
では、日本人や韓国人、中国人モンゴル人、フィリピン人、インドネシア人、アイヌ人やサハリンからシベリアあたりの民族が1000年くらい前まで同じ言葉を話していたとしたら、どうだろう。せめても強い影響力を持つ共通語が1000年間くらい存在していたら、歴史は随分違った発展を遂げたかも知れない。