3月某日 快晴の午後、神奈川・横浜の本屋 象の旅で文芸評論家・エッセイストの宮崎智之さんのトークイベント「『随筆復興宣言』をめぐって」が開催され、ぼくが聞き手を務めた。満員御礼。日本文学の随筆の歴史から、近年の文学フリマやnoteなどでのインディ・エッセイシーンの盛り上がりまで、宮崎さんの「エッセイ論」にたっぷり学ぶ充実の時間になった。
「随筆復興宣言」の話題からは少し外れるが、「趣味は人間観察」と言う宮崎智之さんがかねて注目する「駅のホームで抱き合い、海藻のように揺れているカップル」のことなどおもしろい話もいろいろ聞けて大満足。トークの最後、宮崎さんのエッセイ集『増補 平熱のまま、この世界に熱狂したい』(ちくま文庫)を読んで感じた「ポエジー」について伝えることもできてよかった。同書の表題作「平熱のまま、この世界に熱狂したい」は、昨年読んだもののなかで最も感銘を受けた美しい文章のひとつだ(特に「なぎ」の話)。
「ここから新しいシーンが立ち上がります」。イベント中、宮崎智之さんが3月末創刊予定、随筆・エッセイをテーマにした文芸誌『随風』(書肆imasu)を熱っぽく紹介。巻頭随筆を寄稿しているとのことで、大いに期待したい。
象の旅では、選書フェア「随筆復興宣言」も開催中だった。監修者の宮崎智之さんの他、早乙女ぐりこさん、オルタナ旧市街さん、友田とんさん、小林えみさんの各氏、そして不肖アサノがエッセイ作家としておすすめ本を紹介。フェアコーナーから、宮崎さんが推薦する今井楓『九階のオバケとラジオと文学』(よはく舎)を購入した。会場に著者の今井さんがいらっしゃったので、きらきらの金色のマーカーでサインをもらう。トーク終了後、数名の参加者と、エッセイや書くことについて語り合うことができてうれしかった。
3月某日 埼玉・川越方面に所用があり、鎌倉からの往復の電車内で今井楓『九階のオバケとラジオと文学』を読む。タイトルも水色の装丁もかっこいい。そして文章が想像以上にすばらしかった。
放送局の仕事と東京での暮らし、親しい人との対話、そして日本語や英語の本の読書(ウルフ、谷崎、ソロー……)。著者は記憶の風景をさすらい、息せき切るように意識の流れを綴る。「言葉」への独特の関心がそれらをつらぬく一本の糸になっている。とりわけ、「消えない夜に、遮断機は降りない」という一編には心を奪われた。
夕方、帰路の途中でジュンク堂書店池袋本店に立ち寄り、海外文学のコーナーを駆け足でチェックした。
3月某日 ファン・ジョンウン『誰でもない』(河出文庫)、パク・ミンギュ『ピンポン』(白水Uブックス)、パク・ソルメ『影犬は時間の約束を破らない』(河出書房新社)が一気に届く。いずれも韓国文学、斎藤真理子さんの翻訳だ。
3月某日 昼過ぎ、東京の梅屋敷ブックフェスタへ。小規模の出版社と書店が一堂に会し本を販売するイベントで、本屋の葉々社と仙六カフェが共催している。朝から冷たい雨が降る中にもかかわらず、お客さんの足が途絶えない。葉々社の小谷輝之さんが会場に集う人たちに声をかけて回り、なごやかな空気が流れていた。編集者・文筆家の仲俣暁生さんの姿もあった(ちょうど、仲俣さんの出版論エッセイ集『本の町は、アマゾンより強い』(破船房)を読んでいたところ)。
会場では、徳島で本屋まるとしかくを営むうちだみくさんと会えてよかった。サウダージ・ブックスの本を販売してもらっていることもあり、近い将来訪ねたいと考えている。まるとしかくの他、つまずく本屋ホォル、瀾書店などのブースで本たちをじっくり眺め、買い物をした。山元伸子『ある日 3』(ヒロイヨミ社)、井上奈那『母親になりたくなった私の育児日記』、木耳『トレーニング』(シリーズ人間1、新世界)、『あわい』Vol.2、そして笹井譚さんの詩のカード。
出版社の春秋社のブースでは、以前から気になっていたアジア文芸ライブラリーの1冊、チベットの作家ツェリン・ヤンキーの小説『花と夢』(星泉訳)を購入し、編集を担当した荒木駿さんからこのシリーズに関していろいろ興味深い話を聞かせてもらった。そして本の雑誌社のブースでは、先行発売の『本の雑誌』2025年4月号を。目当ては特集「令和のエッセイビッグバン!」だったのだが、目次に津野海太郎さんの連載「久保覚という人 その1」を見つけて、アッ!と声が出る。
帰りの電車で『ある日 3』から読み始め(ブックデザイナー山元伸子さんのすばらしい日記エッセイ!)、ページからふと目をあげると車窓の外はすっかり雪景色だった。
3月某日 朝、部屋の窓を開けて外を見ると、昨晩の雪が嘘のようなおだやかな陽気。ならば出かけようかと、本屋 象の旅へ。今月2回目の訪問だ。店主の加茂和弘さんに、宮崎智之さん監修の選書フェア「随筆復興宣言」の様子をうかがい、売れ行き好調のタイトルを教えてもらった。最近の読者はこういう本を求めるのか、と独立系書店でのエッセイの人気ぶりを確認する。
象の旅の近くにある喫茶店で、浅井音楽『しゅうまつのやわらかな』(KADOKAWA)を読む。臨床心理士である浅井さんのエッセイ集。詩の引用が随所に入り、風通しの良い文章が流れていく。「静けさをおそれないこと」は胸に染み入るよい話だった。続くフェルナンド・ペソアの話はクスッと笑える。まさかペソアの詩が「煮物」に化けるとは!
3月某日 文月悠光詩集『大人をお休みする日』(角川春樹事務所)、鈴木召平作品集『昭和史幻燈』(古小烏舎)が届く。鈴木氏は1928年朝鮮半島釜山生まれで戦後は福岡で活動した詩人、2023年にお亡くなりになった。
3月某日 今日は本を読む日と決めて、近所のくまざわ書店大船店に行って本を買い、喫茶店にこもって読む。選んだ一冊は、福尾匠『ひとごと クリティカル・エッセイズ』(河出書房新社)。最近、エッセイについてあれこれ考えているので手にとってみたのだが、大変刺戟的な内容だった。「まえがき」に記された「エッセイ/クリティック、あるいは内面なきプライバシー」をめぐるいくつかの問いに目を見開かされ、現代美術などを論じる個々の批評的エッセイの作品も読み応えがあった。
「クリティカル・エッセイ(ズ)」という用語は、むかし読んだロラン・バルトの本(『エッセ・クリティック(批評をめぐる試み)』)で知った。帰宅して、石川美子『ロラン・バルト 言語を愛し恐れつづけた批評家』(中公新書)も読んだ。
3月某日 東京駅発中央線の列車が奥多摩に入り、車窓からの眺めが街の風景から山のそれに変わるといつも気持ちが落ち着く。山梨県立大学のワークショップ「関係学へのお誘い」に取材をかねて参加するため甲府へ。子どもの頃、富士吉田に住む祖父の甲府行きについていったことが何度もあり、なつかしさを感じる土地だ。
朝から大学ではじまるワークショップの主旨は、「他者理解をテーマに取り上げ、私たちが普段縛られがちな一定の理解や物の見方について幅を広げる」というものだった。講師はダンサー・振付家の砂連尾理さん、臨床哲学者の西川勝さん、一般社団法人torindo代表の豊平豪さん、認知科学者の藤波努さん、映像作家の久保田テツさん。主催は同大学特任准教授の山﨑スコウ竜二さん。
まずは、砂連尾さんによるワークショップでからだを動かすところから。5メートルを5分かけてゆっくり歩く。赤いちり紙を、手を使わないで隣の人に受け渡す。その後、砂連尾さんたちが各地の高齢者施設でお年寄りやスタッフ、地域住民と続けるダンスワークショップ「とつとつダンス」をひとつの事例にして、それぞれの講師がケアとダンス、言語と身体、見えるものと見えないもの、人間とロボットなどのテーマをめぐって発表を行なった。
看護学部や人間福祉学部の学生が比較的多く参加していたようで、特に西川勝さんが精神科病棟や高齢者施設での看護・ケア経験について語ることばに何度もうなずき、熱心にノートを取る姿が印象に残った。ワークショップ終了後、夕方から雨がザザーッと降ってきた。傘をさして繁華街を少し歩き、古めかしいコーヒーショップなどをのぞく。
翌朝、甲府駅前の商業ビルに入るくまざわ書店に立ち寄ると、文庫本コーナーの前で杖をつく西川勝さんの姿があった。静岡経由で大阪に向かうとのことで、ぼくも東京経由の旅程を変更して静岡まで同行することに。西川さんは疲れた様子も見せず、車内でエネルギッシュに語り続けた。恩師である鷲田清一さん、植島啓司さんと出会った若い日々のこと、自身の哲学エッセイの新しい文体を模索するために沢木耕太郎『人の砂漠』を読み返し、ニュージャーナリズムの方法に学んでいること。
3月某日 届いたばかりの『韓国・朝鮮の心を読む』(クオン)の見本とともに江ノ島の海辺を散歩した。風がやや強い。この本は日韓の執筆者122名によるブックガイドで、ずっしりとした重みを感じる。野間秀樹先生・白永瑞先生が編者を務める「知・美・心」3部作の完結編だ。ぼくは「李良枝と「ことばの杖」」と題したエッセイを寄稿した。相模湾の前でぱらぱらとページをめくって、本に潮風を通す。
3月某日 夜、世界文学の読書会にオンラインで参加。課題図書は韓国の作家ハン・ガンの小説『少年が来る』(井手俊作訳、クオン)。
3月某日 3月某日 三重・津のブックハウスひびうたで自分が主宰する自主読書ゼミにオンラインで参加。課題図書は石牟礼道子『苦海浄土』(講談社文庫)の第5章。水俣の自然について、公害の苦しみについて、沈黙について、怒りについて。読む人それぞれが暮らしの中で抱える思いが、おのずと声になってあらわれる時間に立ち会い、静かな感動を味わった。先人の書物を読むことで、自分のことばが開かれる場所がここにある。そう、これを実現したかったのだ。
3月某日 ひびうたではおよそ1年かけて作文講座も行なっており、第2期受講生の原稿添削をすべて終えた(いずれも小説だった)。あとは各自が原稿を吟味し、作品を完成させるのを待ちたい。もうひとつ、チェッコリ翻訳スクールの作文講座での課題文(こちらは架空の訳者あとがき)の添削もほぼ終えた。人生の中でいまここでしか書けない文章の誕生を目撃すること。その緊張と幸福を噛み締めている。
ここ数日、沢木耕太郎『人の砂漠』(新潮文庫)と管啓次郎『コロンブスの犬』(河出文庫)を読み続けている。ぼく自身、若い頃に大いに影響を受けた80年代のはじめとおわりに出た旅の本(ルポルタージュ/トラヴェローグ)で、何度読み返したかわからない。これらの本のどこに憧れを感じたのか、あらためて考えている。