ミラノで暮らしていて、周りから、ニュースを見なくなった、新聞を読まなくなった友人の話を幾たびも聞きました。
クルツィオ・ルーフォ、クルティウス・ルーフスの格言「歴史は繰り返す」を、反芻するばかりの毎日にあって、時間さえ作れれば、今は本を、特に歴史書を読みたくなります。読み返せば、今だからこそ合点がゆく史実がそこここに散見されるはずですから。
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4月某日 ミラノ自宅
ミーラとズームごしに会った。フランコが亡くなり7年になるけれど、片時も忘れられなくて辛い、と絞り出すように話す。滞在問題を抱えた貧しい外国人の面倒をみるボランティアをしているが、悲惨な身の上話ばかり聴いていて、すっかり気が滅入って堪らないと言う。もちろん担当の精神分析医もいるそうだが、少し鬱気味に見える。連絡くれて本当に有難う。助かったわ、とつぶやいた。
新感染者数21932人で、陽性率は6,6%。死亡者数501人。
4月某日 ミラノ自宅
夜明け前、アブダビ空港でトランジット中の家人より連絡あり。ミラノ便は定刻出発予定とのこと。息子は12月末から4か月以上家人に会っていないので、あと何日でお母さんは帰って来ると、小さな子供のように指折り数えて待っていた。
ジョルジアで復活祭の「鳩ケーキ」を購った帰り道、サボナ通りを歩いていると、マンションの一角に「ここは家です。学校ではありません」と大きく書かれた垂れ幕が下がっているのに気づいた。きっと中には中高生の子供がいて、目を皿のようにして毎日授業を受けているに違いない。
新感染者数21261人で、陽性率は5,9%。死亡者数376人。
4月某日 ミラノ自宅
復活祭の連休前に、ティートへ「河のほとりで」の音列表を届けたいと思った。
地下鉄2番線でミラノ市からチェルヌスコ市まで行くのだが、もし途中警察の検問があって、友達にこれを届けなければならないので、とA2版スコアにびっしり書かれた音群を見せたところで、果たして通行が許されるだろうかとぼんやり思う。恐らく罰金対象になるだろう。
果たして、検問もなく無事チェルヌスコに着いた。駅前には小さな市が立っていて、ポルケッタを焼く匂いが辺りに充満している。
駅の裏の公園でティートと15分くらい話す。出し抜けに、何故ト長調が好きなの、と尋ねられ、言葉に窮する。言われてみればそうかもしれない。考えたこともなかった。
自分には絶対音感がないので、どの調性も同じに聴こえるのだけれど、絶対音感があると、振動とか色彩とか違ってみえるものかね。彼が少し遠くを眺めてそう呟いたところで、公園の木々に風が渡ってゆき、目に眩しい新緑が心地良い音を立てた。
彼の父親は、生前、自分の葬式ではぜひリストの「夕鐘・守護天使への祈り」を弾くようティートに頼んでいた。あちこちの教会の鐘楼がからからと鳴り響く「夕鐘」は、息子が毎日練習している「婚礼」と表裏一体だ。「婚礼」は天から降り注ぐ祝いの鐘。「夕鐘」は天に昇りゆく願いの鐘。
携えていった音列表は、ピアノの傍らに似合いの空間があるから、そこに飾るという。もうすぐ日本に帰ると言うと、何故日本は誰もワクチンを打たないのかと不思議そうに尋ねられた。
新感染者数18025人で、陽性率は7,1%。死亡者数326人。
4月某日 ミラノ自宅
レプーブリカ紙によれば、2019年に比べて今年の復活祭消費は40%減の見込みという。ロンバルディアは4月18日までレッドゾーンの予定で、相変わらず演奏会も開催できない。
ジャンべッリーノ通りの大型スーパー前を通りかかると、二十歳前後と思しき小ざっぱりとしたジャージ姿の妙齢が、「お腹が空いています」と書かれたカードを手に、何とも言えぬ顔でこちらを見つめている。そこに立つ物乞いも初めてだし、ジプシーでもないごく普通のイタリア人女性のようだ。そんな姿は余りに珍しく目を引くのか、道行く人も一様に驚き、気の毒そうに眼を伏せる。
イタリア国内の80歳以上のワクチン接種率は現在56,76%。70歳から79歳までは11,11%。学校関係者は68,17%。ロンバルディア州は、それぞれ57,32%、4,40% 、76,85%と書かれている。学校関係者に限ればモリーゼでは100%。フリウリ・ベネチア・ジュリアでは90,11%とあり、思いの外進んでいるようだ。
新感染者数17567人で、陽性率は5,4%。死亡者数344人。
4月某日 ミラノ自宅
学校より教員枠ワクチン接種一時中止の連絡が届く。70歳代の接種優先のためだそうだが、尤もだと思う。先日も玄関先で久しぶりにサンドロに会うと、未だ接種を受けていなくてねと困ったように笑っていた。隣でナディアが、恥ずべきことよと憤慨していたが、彼女は放射線医だから接種を終えているのだろう。
今日の休暇明けのレッスンに、マッテラは帰郷先のサレルノから、電車でかけつけた。15日から走り始めたあのcovid free特急で帰ってきたのかと尋ねると、あれはローマ-ミラノ間のみの運行で、ナポリまで通っていませんと笑った。
covid free特急とは、乗車の際PCR検査の陰性証明を提出するか、その場で簡易検査を受けて陰性でないと乗車できない特急のこと。ピアノの前に座っていたマルコが、何て馬鹿げた生活よ、と嘆きの声を上げた。
新感染者数15943人で、陽性率は4,86%。死亡者数429人。
4月某日 ミラノ自宅
毎朝、家人と散歩のたびに見上げていた建設現場の巨大なクレーンがあって、こちらの10階分の高さがあるから、日本で言えば15、16階分は優にあるだろう。鉄骨で組まれた櫓の天辺に小さな運転室がついていて、作業員はそこで操作しているように見える。どうやって作業員があの運転室まで上るのか夫婦とも興味深々である。
櫓の中央には地上から運転室まで梯子が組んであるのだが、それ以外登る手立てがないように見える。あんな高所まで、まさか梯子で登るとは思えない。
家人は運転台後部の小さな籠で昇降するに違いないと言うが、それにしても心許ない小さな籠に過ぎない。
そんな塩梅で、毎朝そこを通る度に、夫婦で上を見上げて話しているうち、先日は遂に彼方の運転台の作業員が手を振ってくれるではないか。
決まって毎朝7時にブザーが鳴って作業が始まるので、今朝は7時少し前に出かけて様子を見ようと眺めていると、ブザーが鳴るとそのまま動き始めてしまった。運転室は無人に見える。
暫く二人とも呆気に取られてクレーンを見つめていたが、意を決して家人は建設現場の関係者に事情を尋ねに出かけてしまった。女性はこういう時は現実的だ。一人なら夢が壊れそうで、誰にも尋ねなかったに違いない。
家人曰く、運転室の作業員はやはり梯子を伝って、片道10分くらいかけて昇降するそうだ。普段は地上でリモート操作していて、ごく稀に、必要な場合のみ運転室まで昇ると言う。あんなところまで毎日昇っていられないという口ぶりだったそうだ。
新感染者数12694人で、陽性率は5,5%。死亡者数251人。
4月某日 ミラノ自宅
今日はリッチャルダのラジオ番組収録で、高橋悠治「歌垣」のCDについて話し、「歌垣」と「般若波羅蜜多」をかけてもらった。
マデルナやブーレーズ、バーンスタインと悠治さんの関わりについて話した。マデルナとは1964年、西ベルリンでRIASとアイブスOrchestral Set. N.2収録で知り合ったこと。エオンタ初演前にバーデンバーデンにブーレーズに初めて会いに行ったときのこと。フィリップ・アントルモンの代役で、バーンスタイン交響曲第2番の演奏に参加し、バーンスタインから高く評価されるようになった話など。
上流階級のイタリア語があるとすれば、少しくぐもった響きのリッチャルダのような抑揚を言うに違いない。
暫く日本に戻るので意を決して芝を刈る。一通り芝を刈ってから、向いの校庭との境に、去年から放置していた西洋イラクサが繁茂しているのに気づく。棘と格闘しながら漸く刈りとって、気が付くと半日近く経っていた。
西洋イラクサは薬効もあって美味だそうだが、今は到底そこまで手が回らない。家人は隣で、庭の樹の下枝をもぎ取っていた。
来月のマルトゥッチの演奏会の解説文を送付したが、果たして譜読みは間に合うのか。第一演奏会は実現できるのか。
新感染者数12074人で、陽性率は4,1%。死亡者数390人。
4月某日 ミラノ自宅
家人と連立って、自転車で市立音楽院のレッスンに出かける。弁当は家人が炊込みご飯を作った。家人を先に学校に行かせ学校近くで新聞を買い菓子パン2個を購って入口で検温していると、「奥さんはもう教室に入ったと言うのに、あんた後から来るなんて寝坊でもしたのかい」とジュゼッピーナに大笑いされる。
グエッラのブラームスに心を揺り動かされた。明らかに何か吹っ切れたように感じる。制御しなければという気負いから開放されたのだろうか。音楽がしなってうねる毎に、裡にエネルギーを蓄えてゆくのが判る。
4年間続いた矢野君と浦部君のレッスンも今日で一区切りとなり、ただ感慨深く今までを反芻している。
今後ますます頑張って欲しいと話しかけながらも、将来を何も確約できない現況がただ恨めしい。演奏会さえあれば、劇場さえ開いていれば、紹介したい相手もいるけれども、この状況で連絡しても、相手も返答に困るだけだ。
頑張ればきっと報われるからと、誰が気軽に云えるのだろうか。
新感染者数13844人で、陽性率は3,9%。死亡者数364人。
4月某日 ミラノ自宅
ピーター・バートが解説文を書き、小野さんが見事に翻訳して下さった「歌垣」と「子供の情景」CDが、レコード芸術で特選に選ばれたそうだ。
武満徹の研究者という印象が強いピーターだが、ルチアーナ・ガッリアーノとともに長年日本の現代音楽を熱心に研究している。彼の裡で合点のゆく事柄がそれぞれ、しっかり有機的に繋がっているからか、文章はきめ細やかで理解しやすく、美しい。
先月は、夫人の林原澄音さんに「花」を初演していただいた。20年前に書いたきり忘れていた「さくら」の小さなパラフレーズ。チベットの子供たちに教育支援もしている澄音夫人に、チベット民謡による「馬」を弾いていただいたことを思い出し、「花」も彼女に合う気がしたのだ。林原さんから頂いた中勘助の「銀の匙」と彼女の音楽にも、何か共通の味わいを覚える。
4月某日 ミラノ自宅
この所、毎日のように領事館と航空会社からメールが届く。その殆どが、日本政府が入国審査を厳格化して以降、東京から強制送還されているので気を付けるよう促すものだ。
日本到着72時間以内のPCR検査陰性証明が必要で、その際、日本政府発行の証明書式の使用が推奨されている。通常、PCR検査は各試験所が発行する証明書を指定時刻にインターネットからダウンロードするため、日本政府の書式使用を頼むのは非常に難しい。誰か知合いの医者に転記を頼むにしても、検査から結果を貰うまで24時間かかるため、余程首尾よく取計らわなければ間に合わない。
結局、何軒も連絡した挙句、CDI(Centro diagnostico italiano)で日本政府の書式転記を了解して貰った。普通は英語の記載があれば問題ないはずだが、日本政府にも事情があるのだろう。
尤も、CDIのコールセンターに電話した所、どのCDIでも可能なわけではなく、数多くあるCDIの検査場から転記可能な場所を探す必要があると言われる。
フランクフルト経由で帰国予定だから、ドイツ入国48時間以内の検査陰性証明も必要になる。元来、帰国前日は朝から晩まで1日中授業とレッスンを予定していたから、どれかを変更してPCR検査を受けざるを得ない。
日本に帰る毎に日本とイタリアで2週間ずつ、計1カ月の自宅待機を強いられる。よって、授業もレッスンも短期間に集中的にやるしかないし、その間、譜読みも作曲も手につかない。結局、今日は一日コンピュータの前に座り、確実に日本に戻れそうな方法に思案を巡らせて終わってしまった。ワクチンも打っているし、自国に帰国するだけの話だが、フランクフルトの搭乗拒否が目立つので、別の航空会社の可能性も考える。
新感染者数16232人で、陽性率は4,4%。死亡者数360人。
4月某日 ミラノ自宅
今日は昼前、運河沿いにコルシコまで自転車を走らせ、CDIでPCR検査を受けた。指定時刻15分くらい前に着いたが、予め余裕もって予約を受付けているのか、存外にのんびりした雰囲気で、待つことなくすぐ受付に通された。
そこで改めて日本政府の事情を説明すると、受付嬢は随分気の毒がってくれ、あちこち電話をかけて、日本政府の証明書式分は直接メールでスキャンを受取れるよう手配してくれた。
自転車を漕いで行って汗をかいていたので、看護婦から「あらやだ、あなたそんなに緊張しているの、大丈夫よ」と笑われる。
4月某日 ミラノ自宅
間宮先生ピアノ協奏曲、粗読み。速度表示が数的に書かれている箇所とそうでない箇所があって、冒頭1小節7秒から8秒の指定を概ね4分音符34とし、2番目の速度指定1小節5秒から6秒を概ね4分音符48と考えると、他の速度指定もこの二つの数字と何某かの比率に収まりそうだと気づく。
数的に演奏する積りは毛頭ないが、基本的姿勢として、数的に速度が指定されていない箇所についても、先ずは一旦これらに準じて譜読みしてみようと吉川君に提案する。
珍しくピアノを聴いて欲しいと息子に頼まれて、ピアノの少し上を見つめ、そこに浮き上がってくる音を聴くよう話す。力づくではなく、ピアノが欲している音を出させてやること。常にピアノと会話しつつ、ピアノが出したいと感じている音を、出来るだけ素のまま外に放出させてやるんだよと説明する。
解釈など、自分が好きなようにやればよいし、第一ルカに習っているのだから、親が口出しする必要は皆無だ。人から強制された解釈など、聴き手の心に響かない。ピアノであれオーケストラであれ、楽器やオーケストラが鳴らしたい音を、こちらが素早く理解するのが基本だろう。幾らピアノの裡に入魂したところで、音が感情を吸い込むだけ硬化して倍音は鳴らないし、重くなるから響かない。
新感染者数14761人で、陽性率は4,7%。死亡者数342人。
4月某日 ミラノ自宅
早朝家人と散歩をしながら、次に会うのは恐らく7月末だねと四方山話。彼女は来世でも夫婦になりたいそうだが、こちらは来月の演奏会の行方すら分からず、その先まで到底頭が回らないと言うと、すっかり気分を害してしまった。
コロナ禍で往来がすっかり難しくなったが、思えば以前は世界中の誰でも軽い躁状態に陥っていて、地に足が着いていなかった気もする。
息子の自転車はブレーキが消耗して危険だったので、ソラーリ通りのザナッツィへ修理に持ってゆく。
新感染者数13817人で、陽性率は4,3%。死亡者数322人。
4月某日 フランクフルト空港
朝4時半にタクシーを呼んでいたので、早朝3時45分くらいにそっと起きると、隣で家人は眠りながら大笑いしている。何の夢を見ているのだろう。
日本の感染状況は悪化の一途を辿っており、演奏会が出来るかは未だわからない。引き摺られるような、重苦しい心地で身支度する。
7時発のフランクフルト行の空港チェックインカウンターには5時前に着いたから、すぐに受付が完了した。ここでは日本政府用の陰性証明は確認せず、CDIが発行する陰性証明だけが確認の対象だった。
思いがけず、ゲートで同便でミュンヘンに向かう浦部君に会ったので、フランクフルトまで隣に座ってもらって話し込む。彼や他の学生を見ていると、その昔、指揮レッスン後でエミリオと話し込み将来の不安を聞いて貰っていたのを思い出す。
当時は未だミラノ・ブッローナ駅が残っていたから、ベネゴーノに戻るエミリオを駅まで送りながら、電車の到着を待つ間、駅のバールで10分くらい話を聞いてもらっていた。或る意味で、人生で一番、期待と不安が募る年代に違いない。それだけでなく、世界が少し見えてきたところだろうから、その不条理に心を高ぶらせることも多かろう。
何度となく、エミリオに指揮の勉強はやめさせて欲しいと、それこそブッローナ駅の構内で懇願したのを思い出す。その度にエミリオは、イタリアに残るべきじゃない、ここでは音楽は出来ないからね、と繰返したが、それでも指揮は続けた方がいいよ、と静かに微笑み、いつも同じように執り成してくれた。当時は純粋だったし、指揮にせよ作曲にせよ、自分が感じていた音楽はもっと儚く繊細だったに違いない。
彼らより多少長く生きる上で見えてきた物は、何があっても、最終的に水は流れるべき所へ流れてゆくこと、そしてそれを信じることだろうか。結果を急いでも、例えそれが一時的に巧く行ったとしても、将来後ろを振り返って俯瞰すれば、それはほんの小さな歪みに過ぎないとわかる。
オーケストラも同じだろう。正しいことを正しくやれば良い演奏になるわけではない。オーケストラの各人を信じ、音楽の力を信じるから生まれる演奏がある。
作曲も全く同じに違いない。そもそも、音楽など、我々の体内には存在しないと思っていて、我々は、ちょうどシャーマンのように、イタリア語で言うtramite、媒体のような存在に過ぎないと思う。
これは過信でも何でもなく、寧ろその正反対ではないだろうか。自分はそれ程までにちっぽけな存在であって、万象に抗う力などまるでない事実を素直に受け入れ、全てを司る何某の力に、自らを預けることではないか。
浦部君と話しながら、自分の裡の別の自分が、静かにそう呟いていた。眼下の雲海は朝日で朱に染まり、波打つ雲のまにまに南アルプスが赤赤と突出している。
4月某日 羽田行機中
フランクフルト空港は、昨年暮れに訪れた時よりずいぶん賑やかだ。未だ閉店している店舗もあるが、これは有事だからなのか、単に今日が週末だからかも定かでない。往来を見る限り、人が少ない印象はない。羽田行のゲートに着いて、少し長椅子に身体をうずめたところで眠り込んだ。
乗込む乗客も12月末より幾分多い印象を受ける。ブラジル、と書かれたスポーツ選手のグループもいて、何でも水泳の選手団だと言う。彼らの他にも数人外国人がいる。みな順番に窓口に呼び出されて、携帯している陰性証明が日本政府の基準に準じているか確認してもらう。果たして、自分も携帯する全ての証明を確認して貰うと、日本政府の証明書式分のみを提出するよう助言を頂く。
すぐ傍らには、携帯電話を手に未だ検査証明が届かないと困り果てた様子の女性も、英語の記載がなくこれでは乗れないと係員に諭され呆然とする若い男性も居て、ただただ気の毒に思う。政府の説明を聞かなかったのだから自己責任、と冷たく放言する状況ではない。
今週は殆ど自分の仕事もせず、家人に手伝って貰いながら帰国の準備に明け暮れた挙句、何とか漸く羽田行に搭乗できた有様なのだから。彼ら二人が最終的に搭乗できたことを心から祈っている。
4月某日 両国ホテル
昨日は、朝7時40分に羽田空港到着。10分程空港内を歩いて、反対側に位置する検疫所へ向かう。PCR検査の陰性証明を提出して先へ進むと、次のチェックポイントでは、政府の質問票に答えて出力したQRコードを提出し、感染拡大地域からの帰国者目印として左手首に緑のカードをつけられる。学園祭とか、何某スタンプラリーに参加する心地だ。
次のチェックポイントで唾液を採取し提出すると、次のチェックポイントでは搭乗者一人一人に別々の係員があてがわれる。中国訛りの若い男性係員が、日本の携帯電話にグーグルマップが入っているかを確認後、接触確認アプリCOCOAと位置情報確認アプリOELをその場でダウンロードし、インストールするよう指示される。「お客さん二週間ね、二週間我慢ね、二週間我慢したら終りね」と心優しい。
次のチェックポイントに進むと、やはり中国訛りの妙齢がwhat’s appのアプリでヴィデオ通話が可能か確認し、電子メールアドレスが使えるかを確認された。それが終わって今度は2階に上がり、受付では政府の用意する待機ホテルは禁煙だが問題ないかと確認される。
アストラゼネカワクチン1回目接種は行ったと伝えるが、現在日本ではワクチンは考慮対象外だと申し訳なさそうに教えてくれた後、30分ほどぼんやり検査結果を待つ。そこまで自動販売機も何もなかったように見受けられたが、丁度手持ちのミネラルウォーターがあったので、それで喉を潤す。
番号が呼ばれて陰性と告げられた後、今度はホテルに向かうシャトルバスに乗るため、別の場所に並んだ椅子に座って暫く待つ。10分ほど経ったところで、5番のゼッケンを付けた可愛らしい妙齢が自己紹介をして、あなたとあなたとあなた、という具合に我々同行者4人のグループを即席で作り、今度は税関検査まで5番の彼女についてゆく。皆、黙って少しずつ距離を開け、一列になって歩く。添乗員と観光客の気分で、長旅の後だと愉快ですらある。
これで2階の受付付近にゼッケンをつけた若者が屯っていた理由が分かった。これは日本の細やかなおもてなし文化なのだ。パスポート検査の前で「はいこちらにどうぞ」と彼女の前に集まるよう指示され、手荷物を受取ると、改めて5番の彼女の周りに集まるよう指示される。
税関検査を終えて出口を出たところで、今度は別の初老の男性二人に呼び止められた。バス係員のようだ。彼の指示に従い数人のグループが出来るまでそこに一列に並んで待つ。5人ほど集まったところで、今度は彼についてシャトルバスへ向かう。そこまでしなければ、逃げ出すような不埒な輩がいるのだろう。
こうして第3ターミナル入口脇の駐車場にてバスに乗り込むと、時計は10時01分を指していた。バスは空いていたから、数人乗り込むのを待って、それから10分ほどしてから両国アパホテルへ出発した。
高速道路が混んでいたので、ホテルに着いたのは11時40分を回っていた。チェックインし、体温計とルームキーが渡される。食物にアレルギーがないかと質問を受けた際、出来れば肉のない食事が嬉しいと伝えると、ベジタブル弁当があるとわかって、ひどく安心する。ホテルでは家族からの差し入れ、デリバリー、ネットショッピングサービスは受付可能だが、各部屋へは到着翌日の午前中に配られる。冷凍、冷蔵品、アルコール飲料は不可だ。
コインランドリーも有料で使えるようだ。勿論、部屋を出なければならないので、予め受付に連絡をして許可を得る必要がある。
4月某日 両国ホテル
18階の部屋は決して広くはないが、機能的で清潔感もある。髭剃りなど完備していて、窓の真下に国技館が、その向こうには両国駅が見える。両国は上野に鉄道が開通するまで、北へ向かう鉄道のターミナルだったと聞いたことがあるが、駅舎前に国技館があるのは、当時のヤードの名残りかしらと想像する。このホテルに着く直前には、両国門天ホールの脇を通り、何とも不思議な心地。ベジタブル弁当は美味。
4月某日 両国ホテル
弁当は毎日8時、12時、18時と決まった時間に、外のドアノブに吊るしておいてくれる。配り終わると、マスクをして弁当を受取るよう日本語と英語でアナウンスがかかる。野菜炒めやラタトゥイユ、豆腐ステーキなどにご飯が付き、サラダとフルーツも小さな別容器でついている。食後、再び先ほどの袋に入れて扉の前に出しておく。同じ料理にならないよう、配慮も行き届いている。
朝は7時から8時に検温し、AIチャットで報告する。報告先はどこなのか定かではないが、ホテルか保健所に違いない。
18階なので窓が開かない。部屋から出るのは禁止されているので、この3歩ほどの部屋の中で、誰にも会わず、誰とも言葉を交わさず3日間過ごす。家人が荷物に入れてくれた、即席チゲスープやポタージュスープ、モンカフェやみそ汁は、気分を変えるのに役立つ。
朝から晩まで大判スコアをベッドに広げて、譜読みに勤しむが、一日足を無理に曲げて仕事しているから、酷い筋肉痛になった。
息子がオーディション一次審査通過との連絡あり。日本の通信高校の授業を受け、午後は国立音楽院に出かけて授業を受けている。この生活スタイルを続けるのか、秋からミラノの高校に入学するのか分からないが、先ずはイタリア中学卒業試験を外部生として受験すべく準備している。
卒業試験では、生徒がそれぞれテーマを決め、それに沿って30分ほどの発表をし、教師たちからの質疑応答に答えなければならない。パワーポイント、ヴィデオなどの使用も可能で、そのテーマの中で、それぞれ主要科目に関わる論点を含めるのが従来の方針だったが、今年からは敢えてその発表に、多くの科目を含める必要はなくなり、より自由に深く踏み込んだ発表が求められるようになった。
息子の担当になった教諭にその理由を尋ねると、どれだけ自分の力で一つの物事を深く追求し、それを咀嚼できるかが重要で、質疑応答の様子を観察すれば、生徒が何をどの程度理解しているか分かる、と言われる。確かにその通りかもしれない。
息子は様々な視点から「日本」について発表すると決めたようだ。
先週からミラノはイエローゾーンに戻ったので、息子は今年初めてソルフェージュの対面授業を受けた。家人曰く、随分楽しそうに帰ってきたそうだ。考えてみれば、ここ一カ月以上、彼は同世代の友人と会っていなかった。
4月某日 三軒茶屋自宅
昨日は6時半に起床、7時に唾液採取の容器をドアノブにかけてもらい、7時半に検査官が受取りにくるまでに、唾液を採取しておく。7時半過ぎ、防護服に身を包んだ係員に唾液を渡した後、11時半ごろ、予定では16時だったシャトルバスの出発時刻が早まりそうなので、14時には出られるように支度をしておくように電話が入った。果たして15時にはバスの呼出しがあって、慌てて体温計とカードキーを返却し、もう一度日本の携帯電話番号を確認してから、思いの外あっさりとバスに乗る。シャトルバスには何人か外国人も乗車していた。また門天ホール脇を左に折れ、羽田へ向かう。よく知っている風景が、少し遠く感じられる。
携帯電話のアラームで気が付くと、現在地確認のアプリケーションOELが、「今ここ」というボタンを押して現在地を申告するよう促している。予め申告した場所から移動しないか確認しているのだ。
バスは最初と同じ第3ターミナル入口脇の駐車場に戻って、そこで解散となった。このあと11日間、自宅待機が続く。
家人によると、現在ドイツから帰国する人の多くに書類の不備が見つかり、強制的に6日間、政府施設での待機が課せられているらしい。6日間、殆ど歩くこともできず、外の空気も吸えず、誰の顔も見ず過ごすのは辛いだろう。
尤も、6日間待機は入国審査が厳格化される前の話かもしれない。領事館から届くメールによると、現在では成田、羽田で入国拒否と判断されると、搭乗地へ強制送還と書いてあった。日本政府は漸くインドも感染症流行地域に含める決定を下したそうだ。
新着メールを開くと、毎日届く、厚労省からの「健康状態確認のお願い」だった。
(4月30日 三軒茶屋にて)