強度を持ったことばを——「水牛」を読む (福島 亮)


 2019年12月1日から、水牛のホームページ上で『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』のPDF版が公開される。公開にともない、『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』にかんする文章を「水牛だより」のコーナーでこれから書くことになった。それはこの二つの刊行物に掲載された記事を少しずつ読み、紹介する文章となると思う。とはいえ、紹介するのに必要な知識などないのだから、もとより案内役などできるはずもなく、文章を書くにあたって、ここしばらくどうしようかと悩んでいたし、実は、今も悩んでいる。

 悩んだ時は、これまでの経緯を振り返るとヒントが見つかることがある。だから、少しだけこのPDF公開がどのような出会いによって実現したか書いておこうと思う。僕と「水牛」との出会いは2019年11月の「水牛のように」で触れたとおりで、もともとは「水牛楽団」の活動に関心があって、そこから刊行物の方へと目が向いたのである。『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』は1987年にリブロポートから水牛通信編集委員会編『水牛通信:1978-1987』として本の形になっているのだが、これは数多ある記事から抜粋したものを集めた一種のアンソロジーで、これだけでは『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』の全貌を知ることはできない(それでも、少し大きめの厚手の紙に印刷された『水牛通信:1978-1987』は、子どもの頃読んだ古い雑誌や児童書を思い出させてくれる、僕の大好きな本の一つだ。今では古本でしか手に入らないようだから、こちらもいつかホームページ上で公開できたらと思っている)。どうにか「水牛楽団」の刊行物を読むことはできないだろうか、と思った僕は、2018年7月31日に、水牛ホームページに記載されているメールアドレスに次のようなメールを送ったのである。

「水牛」さま
 
初めまして。
突然メールをお送りしてしまい申し訳ございません。
福島亮と申します。
水牛楽団についておうかがいしたく、メールを書くことにいたしました。
(…)
私はリブロポートから出版された『水牛通信:1978-1987』を読みながら、そこに収録されていないものも読みたいと思いました。
(八巻さんのあとがきによれば、本に収められたのは、100号分の一割弱だそうですが、私は残りの九割も読みたいのです。)

(…)

 今読み返せば厚かましい文面で、これでは返事など来ないのでは、と思われるメールである。が、翌日、8月1日になんと八巻さん本人から返事が来たのである。そこにはこう書いてあった。「水牛通信は各一部しかありませんし、いくつか欠号がありますが、すべてお送りしてもいいですよ。薄い冊子100冊分ですから、小さな段ボール箱ひとつにおさまる分量です。」そして、8月17日、その頃住んでいた三鷹台のアパートに小包が届いた。それは小脇に抱えられるくらいの本当に小さな段ボール箱だった。開けると、整理されたタブロイド新聞と冊子が入っていて、おまけに淡いブルーのインクで書かれたメッセージカードと一緒に『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』(サウダージ・ブックス、2012年)が入っていた。僕は9月4日には日本を離れ、パリに留学することになっていたので、それから大急ぎでお礼のメールを書き、お借りした『水牛 アジア文化隔月号』と『水牛通信』をPDFにした。こうしてPDF化したものが、今インターネットを介して、全世界に届けられる資料なのである。資料は公開される。その資料以上に何か付け加えるものなどあるだろうか?

 最初に述べたように、これから何を書いて良いのかものすごく悩んでいる。いまこうして「水牛」のホームページが読まれている以上、「水牛」は過去のものではないから、どういう気持ちで(しかも「水牛」そのもののサイトで)書いて良いのかよく分からない。確かに、「水牛楽団」としての活動は1985年には終わっている(2001年に出たCD「水牛楽団」に三橋圭介氏が寄せられた解説による。実際には、その後も必要な時は少しだけ演奏したこともあったそうである)。そして、『水牛通信』はその2年後、1987年に通算100号で終刊を迎える。でも、「水牛」は活動の舞台をホームページに移して、こうして今でも活動しているのだ(そう考えると、そもそも「水牛」ってなんだろう、という疑問が出てきてしまうのだが、それについては今は考えないことにしよう)。まだ現役で執筆している作家の伝記を書くことが難しいように、「水牛」について何か論じたり、分析したりすることは、僕にはとても難しい。ただ、『水牛 アジア文化隔月報』や『水牛通信』を読んで強く心を動かされたことだけは本当なのだ。もしも僕に何かを書くことができるとしたら、この本当のことに拠って立つしかないのではないか。どうしようもなく主観的なものかもしれないけれども、読んだ時に僕の頭をガツンと殴ってくるような強度を持った文章をどうにかして誰かと分け合うことはできないだろうか。そういう自問からスタートして、これから少しずつ『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』を読んでいこうと思っている。できれば、僕が読んで、心を動かされた文章をここに書き写すことで、読者に僕の心の動きと、その動きのもとになった文章を届けることができたらうれしい。そして、興味を持ってくれた人が、PDFをどんどん読んでくれたらもっとうれしい。

 強度を持ったことばを手渡すこと、それがこのコーナーで僕が自分に与えたテーマだ。このテーマを教えてくれたのも、じつは「水牛」なのである。『水牛 アジア文化隔月報』創刊号には次のようにある。「『水牛』は市販しませんので、ぜひとも予約購読をお願いします。(中略)アジア各国の文化の動きについて、日本で文化市場向けの商品生産とは無縁に、さまざまなしかたでこころみられつつあるある文化の動きについて、原稿を送ってください。」(8頁)僕もこれから、商品生産とは無縁に、「水牛」を読み、読んだものを誰かに手渡ししたい。

 というわけで、これから散歩でもする気持ちで「水牛」を読み、心動かされたものや、面白いと思ったもの、気になったことなどをここで書いていきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。 (福島 亮)

2019年11月1日(金)

一週間後は立冬なのに、いやに暖かな東京です。

「水牛のように」を2019年11月1日号に更新しました。
当事者にとっては、過ぎたことは過ぎたことで、ふだんはあまり意識することはありません。それを動かしてくれるのはいつも外からのまなざしです。来月公開予定の水牛通信のpdf化は福島亮さんによってもたらされるものです。
「しもた屋之噺」でおなじみの杉山洋一さんは「水牛通信」のころは中学生で、当時もっとも若い読者だったことは何度か書きましたが、福島さんは生まれてもいなかったのです。その福島さんに案内役になってもらって、もう一度「水牛通信」を読んでみようと思っています。次の更新を楽しみに待っていてください。

先月書き忘れたお知らせを。
1月13日、両国シアターχで行われたコンサートのDVDが発売されています。出演は谷川俊太郎、李政美、高橋悠治。三人がそれぞれ朗読と歌とピアノで「平和」のたねを。企画制作は「憲法いいね!の会」300枚限定なので、購入ご希望のかたはメールでお問い合わせください。kenpoiine@uni-factory.jp

それではまた!(八巻美恵)

2019年10月1日(火)

カレンダーを10月にめくってみても、外は少し陰った夏のようです。もう季節はなくなって、暑い日と寒い日があるだけなのかもしれません。今日はコーヒーの日です。

「水牛のように」を2019年10月1日号に更新しました。
朝日カルチャースクールのサイトに、編み狂った結果できあがった赤いセーターを着ている斎藤真理子さんの写真を発見しました。編み上がった主役の「実物」を見ると、原稿がさらに楽しめると思います。
冨岡三智さんが書かれているインドネシアのソロのスタジアムは見たことがあるような気がします。ソロを訪ねたのはもう20年くらい前の一度だけですが、強い印象の街でした。スタジアムを見たような気がするその日、私はインドネシア語しか話さない運転手の隣りの助手席にすわって、走りながらその運転手と話す役割を負っていたのでした。インドネシア語はほんの片言しか話せないのに一日彼とつきあうのです。後部座席には同行の日本人たちがすわっていて、もちろんまったく助けてはくれません。なんとか必要なことを通じあうことに必死で、走りながら見たはずの風景は断片的な記憶にとどまっています。スタジアムもそのひとつだったことを思い出しました。

それではまた!(八巻美恵)

2019年9月1日(日)

そこここに秋の気配は濃厚にあるものの、暑さだけはまだ現役でしっかりと活動中の東京です。今年は夏のはじまりが遅かったでの、終わりも延びるのでしょうか。

「水牛のように」を2019年9月1日号に更新しました。
管啓次郎さんが2017年1月から9月まで連載した『狂狗集』が小さな本になりました。うれしい展開です。この「水牛」ではあまりレイアウトなどに凝ることができませんが、印刷された本では縦書きで句(狗?)ごとに下揃えになっています。好きなレイアウトに固定できるのはやはり魅力があります。「ページをめくるたび、ぼくらの足は軽くなり、心は自由になる!」
大竹昭子さんは「カタリココ」という朗読とトークのイベントを続けていますが、この夏にトークをもとにした〈カタリココ文庫〉の出版をはじめました。創刊号は『高野文子「私」のバラけ方』です。おもしろそうですね。
こうした小さな本にする試みは水牛についてもときどき考えたりはするのです。〈水牛文庫〉ですね。しかし、これまでにみなさんが書いてくれたリソースは膨大といってもいいほどにあるので、さて、どこから手をつけようかというあたりで毎回挫折して今日に至っています。「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られそうですが、まあ、もう少しボーッとしていてもいいのではないかとも思います。そのうちに「やりたい」という人があらわれるかもしれませんから。

それではまた!(八巻美恵)

2019年8月1日(木)

梅雨があける前に台風が来て、ようやく太平洋高気圧に覆われた夏がやってきました。順序がおかしいですね。そして厳しい暑さは夏を楽しむどころではありません。

「水牛のように」を2019年8月1日号に更新しました。
今月から新しい書き手が二人加わりました。「晩年通信」の室謙二さんと「編み狂う」の斎藤真理子さんです。

その昔、生まれて始めてコンピュータ通信というものを経験したのは、室さんの「大海通信」でした。そのホストコンピュータは同潤会江戸川アパートの一室に置かれていて、ある日、見に行ったことがありました。記憶はだいぶあいまいですが、室さんのお姉さんが住んでいた部屋だったのかな。住んでいる人はすでに少なく、中庭から覗いてみた食堂や社交場は半分廃墟のようになっていました。解体されたのは2003年らしいので、私が訪れたのは2000年ごろだったかもしれません。室さんはアメリカで暮らしているので、あまり会う機会はないのですが、こうして水牛に連載してくださることになり、うれしく、また楽しみでもあります。
片岡義男.comの編集者として書いておかねば。「BRUTUS」1981年4月15日号は「片岡義男と一緒に作ったブルータス」という特集号で、今でも人気があります。その編集を担当したのは室さんです。雑誌の最後のページに今と変わらない笑顔の室さんの写真が小さく載っています。

斎藤真理子さんは最近大活躍の韓国語の翻訳者です。しかし彼女と私には文学や編集とは何の関係もない共通の友人がいることもあり、本流を外れてときどき会う機会があります。そんなとき真理子さんはいつもゴージャスな模様編みのセーターを着ています。自分で編む、というだけなら私も編み物は好きですし、そんなに驚きはしませんが、どこか常軌を逸しているところがあると感じるのです。そのことを書いてほしいと思いました。真理子さんによる翻訳などについての文章は他でも読めますが、編み物について読めるのは水牛だけだと思います。

7月にはパリから一時帰国していた福島亮さんと会って、水牛通信電子化計画についてあれこれ相談しました。彼の提案を受けて、リニューアルする予定です。楽しみに待っていてください。

それではまた!(八巻美恵)

2019年7月1日(月)

日本にはもう季節というものはない。あるのは異常気候だけだ、と言ったのは片岡義男さんだったか。かろうじて夏と冬だけはまだありますが、その日々の天候は落ち着かず、冷暖房がそれに拍車をかけていると思います。夏のなかに冬があり、冬のなかに夏がある。衣替えもかんたんにはできませんね。

「水牛のように」を2019年7月1日号に更新しました。
北村周一さんたちの展覧会「絵画の骨」が開催中です。国立の宇フォーラム美術館で7月7日まで。木金土日のみ開館です。北村さんによれば、この美術館は壁も天井も床もすべて灰色なのだそうです。

やってみようか、やってみたいな、と思ったことのどれだけが出来ているのかと、ふと考えることがあります。みなささやかなことですが、もちろん(!)ほとんど出来ていません。朝、いつもより少し早く目を覚まし、でも起き上がらないで、その日最初のコーヒーを飲みながら、達成感のないことを考える時間はいいものです。

それではまた!(八巻美恵)

2019年6月1日(土)

うるわしき五月が、うるわしくもなく去ってゆき、きょうから六月です。どんな六月になるのやら、気候も世界もめちゃくちゃですね。

「水牛のように」を2019年6月1日号に更新しました。
きょうは世田谷美術館で開催されている「ある編集者のユートピア」に行き、水牛の同志である津野海太郎さんのトークを聞いてきました。「ある編集者」とは小野二郎さんのことで、晶文社を始めた人ですから、津野さんのトークは必須だったのです。津野さんの「わっはっは」という豪快な笑い声を味わい、なつかしい人たちにも会えて、楽しい午後でした。
今月は、お休みします、とか、さぼります、というメールがいくつか届いて、いつもより原稿の数は少ないのは五月だからかなと思ってみたり。。。

それではまた!(八巻美恵)

2019年5月1日(水)

まったく偶然のこととはいえ、令和の第一日目が更新の日となってしまいました。5月は快晴が似合うのに、あいにくの雨模様の東京です。そして寒い!

「水牛のように」を2019年5月1日号に更新しました。
イリナ・グリゴレさんの「生き物としての本」は先月に続く後半なので、今月も先頭に置きました。
昨年のおわりに小さな出版社がひっそりと誕生しました。出版舎ジグといいます。イリナさんの日本語で書きたいという望みに寄り添っていこうと思っていた私には、この新しい出版社はイリナさんの望みを推進してくれるところだとすぐにわかったのです。アンテナの感度よし! ですからイリナさんを紹介して、すでにもう連載がスタートしています。「生き物としての本」は2014年に書かれたイリナさんのはじめての文章であり、ジグに掲載されている「マザーツリー」は2019年4月に書かれた、おそらく最新のものだと思います。水牛でもジグでも連載は続きます。楽しみに読み続けてください。
管啓次郎さんの「海を海に」はダブ・ポエトリー。レゲエに乗せて朗読する管さんのライヴにそのうち行ってみたいと思っています。

何か書き残したことがあるような気がしますが、とりあえず、ここまで。

それではまた!(八巻美恵)

2019年4月1日(月)

花は咲いても、寒い寒い。

「水牛のように」を2019年4月1日号に更新しました。
初登場のイリナ・グリゴレさんはルーマニアで生まれ、なにかに導かれるように日本へ来てしまった文化人類学の研究者です。はじめて会ったのは数年前、田中泯さんの公演のときでした。誰に紹介されたわけでもないのに、話しはじめ、それがとてもおもしろかったので、書いてもらわなくてはと思いました。私の隣に「図書」の編集者がいて、彼が「図書」での連載を即決してくれたのは、偶然とはいえ、すばらしい始まりだったと思います。おそらくイリナさんが日本(語)の読者に向けて書いたはじめてのまとまったものだと思い、図書の許可を得て、ここに転載していきます。日本語でないと書けないことがある、とイリナさんは言います。日本語よ、うれしいね。

コートはまだ脱げません。しかしそれもあと一週間くらいでしょう。いったんコートがいらなくなると、すぐに暑く感じるのは例年のこと。あとひと月後は夏かもしれませんね。

それではまた!(八巻美恵)

2019年3月1日(金)

2月は28日でちょうど4週間でしたから、きょう3月1日は2月1日とおなじく金曜日です。4週間のあいだに、季節は春へと進んできました。雨のあとに、咲いたばかりの沈丁花が強く香っています。

「水牛のように」を2019年3月1日号に更新しました。
璃葉さんの作品展「Nowhere」が予定されています。神保町の文房堂3Fギャラリーカフェで、3月11日から17日まで。いつのまにかカフェが出来ていたのですね。「偶然に立った場所から見つめたもの。それはゆるやかな丘陵や山稜であったり、天体、ヒト、動物、あるいは空気そのもの。作家が実際に見たものと想像上の情景を、色彩と線で表現します」
リアルな色彩と線をぜひ見てください。

コートを脱いで身軽に歩ける日はすぐそこですが、きょうのようにずっとすわってPCに向かっていると、もう夕方だというのに、万歩計の表示は「0歩」です。よくないことですね。

それではまた!(八巻美恵)

2019年2月1日(金)

昨夜は雪が積もって朝には凍結する、と天気予報にだいぶ脅されましたが、夜明けの道路はすでに乾いていました。防災は大事なことに間違いはないとしても、少々やりすぎという感じがありますね。

「水牛のように」を2019年2月1日号に更新しました。
初登場の福島亮さんは若い研究者です。去年はじめて連絡をいただいて、水牛通信や水牛楽団に関心を持っていることを聞き、それはありがたいと、いろいろお願いもしてしまいました。お会いしたのはちょうど福島さんが留学に出発する直前だったので、マルティニックに行って、なにか書きたいことがあったら、ぜひ水牛にと、原稿のことも忘れずに頼みました。
毎月の更新はある種の惰性や慣性で続けられていると思うのですが、こんなふうにそれまではまったく存在を知らなかった人と知り合えるきっかけがそこにはあり、そのよろこびに支えられているとも思います。
トップページのイラストのイメージがガラリと変わりました。柳生弦一郎さんのかわいらしさを(も)味わってください。

ついこのあいだ新しい年を祝ったばかりなのに、もうすぐ立春です。コートを着るのにも飽きてきました。やろうと思っていて、まだ出来ていないことがいくつかあります。コートを脱いで身軽になったらやろう。などと、考えているときがいちばん楽しいのかもしれません。

飛び交う風邪のウイスルに用心しながら
それではまた!(八巻美恵)

2019年1月1日(火)

東京は良いお天気つづきです。
あけましておめでとうございます。
ことしも水牛をどうぞよろしくお願いします。

「水牛のように」を2019年1月1日号に更新しました。
元旦からPCにへばりついて更新作業をするのもどうかと思いますが、1月だけがいわば特殊な日ですし、毎月1日に更新というのは自分が決めたことなので、なんとか変えずに毎年やってきました。原稿を書く人は大晦日や元旦ですから、こちらのほうが大変なはずなので、とりわけ今月は誰にも催促はしませんでした。でもこの通り、長いのや短いのや、いろとりどりの原稿が届いて、おもわずニンマリな初春です。みなさん、ありがとう。

トップページに、著作権の保護期間延長に反対します、というバナーが貼ってありますが、先年末の12月30日、改正著作権法が施行され、著作権の保護期間は従来の死後50年から死後70年へと延長されました。したがって2019年1月1日にパブリック・ドメインに加わる作家はいないわけです。そしてそれがこの先20年続きます。青空文庫では「20年先の種を蒔く――真実は時の娘」と題する「そらもよう」の記事とともにこの日を迎えました。ぜひ読んでみてください。
https://www.aozora.gr.jp/soramoyou/soramoyouindex.html
バナーはこのまましばらく置いておきます。

最近は更新がないままですが、水牛の本棚という地味なコーナーがあります。ここで藤本和子さんの『塩を食う女たち』を公開してきました。それがひとつのきっかけともなって、30年以上ぶりに岩波現代文庫で新しく出版されたのはとてもうれしい出来事でした。『塩を食う女たち』は「生きのびることの意味」からはじまります。これは、真実は時の娘、というのと同じ意味ですね。

それではまた!(八巻美恵)

2018年12月1日(土)

薄い筋状の雲の空は午後4時にはもう夕暮れを感じさせます。西の空はほんのりバラ色。その空に似合わずあたたかな空気です。

「水牛のように」を2018年12月1日号に更新しました。
本の未来基金についてはサイトを見ていただくのがわかりやすいと思います。亡くなった富田倫生さんの志を受けて、青空文庫を支援する目的で創設されたので、成り行きとして私も運営に携わっています。微力です。著作権の保護期間が70年に延長となり、当然ガックリ、ではあるのですが、しかし、嘆いていてもはじまりません。
小泉英政さんの「コンサートのおさそい」は、「嘆いていてもはじまらない」ことをふまえて踏み出した一歩(よりも前に?)と見ることができます。こうしたコンサートを実現するには小泉さんの原稿にあるように緻密な考えが必要だと思います。
先月からはじまった足立真穂さんの「ジョージアとかグルジアとか紀行」は写真がたくさん。写真をクリックすると拡大して細部まで見ることができます。というのを今回はじめてためしてみました。

杉山洋一さんから(も)コンサートのおさそい、ふたつ。
高橋悠治作品演奏会 I 「歌垣」
12月29日|土|オペラシティ リサイタルホール15時30分/19時開演2回公演 一般4000円学生2500円
高橋悠治作曲「歌垣」(1971)オペレーション・オイラー(1968)クロマモルフI(1964)Saさ (1999) 6つの要素 (1964)あえかな光(新作・2018) 
黒田亜樹 上野由恵 荒木奏美 鷹栖美恵子 田中香織 原浩介 笹崎雅通 山田知史 守岡未央 上田仁 宮本弦 根本めぐみ 福川伸陽 橋本晋哉 廣瀬大悟 村田厚生 會田瑞樹 神田佳子 窪田健志 伊藤亜美 印田千裕 城代さや香 周防亮介 徳永慶子 松岡麻衣子 内山剛博 蟹江慶行 中木健二 長谷川彰子 細井唯山 澤慧 佐藤洋嗣 杉山洋
一

松平頼暁(作曲・台本)オペラ “挑発者たち” 
12月21日(金)東京イタリア文化会館アニェッリホール 19時開演 前売3000円、学生2500円、当日各500円増
太田真紀 薬師寺典子 琉子健太郎 松平敬 米谷毅彦 藤田朗子 杉山洋一
企画・主催TRANSIENT

お問い合わせは、二つともnaya collective(nayac@mc.point.ne.jp)へ。

次の更新は来年となります。マジですか? よい新年をお迎えください!(八巻美恵)

2018年11月1日(木)

東京はよく晴れた気持ちのいい日です。暑くもなく寒くもない。しかし秋を満喫している気がしないのはなぜでしょうか。秋といえば秋にまちがいはないけれど、いわくいいがたい不安定さが隠されているような。。。

「水牛のように」を2018年11月1日号に更新しました。
今月から足立真穂さんの連載がスタートです。編集者として活躍している足立さんが遅い夏休みをとってジョージアに行く、と聞いて、考えるより先に「それ、書いて」とお願いしました。ジョージアといえばワイン、という短絡的なわたしの考えが通じたわけでもないでしょうが、やはりワインのことが中心になりそうです。素焼きの壺にぶどうジュースを注いで、それを地中で発酵させる。飲んだことはなくてもおいしいのはわかりすぎるほどです。
そして、ジョージアはシリア、イラク、イランなどとも近いのです。

先月、モンコン・ウトックが亡くなったことをお知らせしました。森下ヒバリさんとの短いメールのやりとりで、モンコンが亡くなったところにヒバリさんが居合わせたと思ってしまい、そのように書いたのですが、実際はその場に居合わせたわけではないそうです。スミマセン。でもバンコクに滞在していたので、ニュースは早かったし、納棺やお葬式にも参列され、遠くにいるわたしたちの愛惜の思いをモンコンに伝えてもらうことができたのでした。

10月12日の遅い朝のこと。いつものようにPCにはりついていたところ、不意に小杉武久さんのことが強く思われたのでした。訃報が届いたのはその日の夕方でした。解放された魂が我が家まで来てくれたのかもしれません。

それではまた!(八巻美恵)

2018年10月1日(月)

忘れかけていた暑さが台風のあとにやってきた10月のスタートです。とはいえ、おなじ30度という数字であらわされる暑さですが、10月の30度は夏の30度とおなじではありません。先週あたりは玄関のドアを開けて外に出ると、金木犀の甘い香りの圧力に体がからめとられるようでした。ゆうべの暴風雨にもめげなかったのか、今朝のまぶしい光のなかでもまだほんのり匂っています。

「水牛のように」を2018年10月1日号に更新しました。
台風の来る前に、台風の最中に、そして台風が過ぎ去ってから、といつものように原稿を書いて送ってくださったみなさん、ありがとうございます。
雨やよし風吹き通せ辺野古から

カラワンのメンバー、モンコン・ウトックが亡くなりました。
9月14日にライヴを終えたあと駐車場で心不全をおこして倒れ、15日の未明に息をひきとったということです。67歳でした。その場に居合わせた森下ヒバリさんが知らせてくれました。
タイではお葬式は何日もかけておこなわれるのですが、カラワンのリーダーだったスラチャイ・ジャンティマトンが喪主をつとめた日もあったようです。そして22日の夕方に火葬式があり、モンコンのスピリットだけがこの世に残されました。
youtubeではカラワンやモンコンの演奏をたくさん聞き見ることができます。モンコンが亡くなったせいなのか、「ピンの歌」など100万回以上も再生されているのを見ると、ひとつの終わりなのかもしれないと思ったり、なにか別の新しいことの始まりでもあるのかと思ったり。彼と最後に会ったのは、3年くらい前にカラワンが来日したときでした。別れるときには、じゃあまたね、この世かあの世でね、と言って笑いあったことを思い出します。

それではまた!(八巻美恵)

2018年9月1日(土)

猛暑の夏が去っていきそうな気配に満たされた9月の到来。いま「寒い」という感じを忘れているように、あと少し時が過ぎれば、この夏の「暑い」感覚は去っていき、そして次の夏まで忘れてしまうのかもしれません。

「水牛のように」を2018年9月1日号に更新しました。
夏には一度水牛のオフ会をしたいと思っていましたが、猛暑でことしは見送りました。原稿を書いてくださっている人たちの間に思わぬ関係が見出されることもあり、みんなで会ってみると愉快に話がはずむような気がします。夏がいいのは、杉山さんが東京にいることが多いことと、比較的休みがとりやすいかなと思ったからです。忘れていなければ来年は実現したいですね。
杉山さんの連載は今月200回目を迎えました。この間、一度も休みなく毎月掲載できたのはなぜなのか。よくわかりません。先日、杉山さんの新作曲も演奏されたコンサートのちいさな打ち上げで、原稿を催促したことがないと言ったらとても驚かれました。演奏者は、曲は催促します! と。水牛は仕事ではありませんし、毎月のことですから、ある種のリズム(?)が出来ているのかもしれません。

水牛楽団の演奏が聞きたいと、活動終了後に生まれた若い人に言われて、音源を公開するという決意をまた思い出しています。そろそろ始動しなければ。

それではまた!(八巻美恵)

2018年8月1日(水)

8月がはじまったばかりだというのに、夏だから暑いというだけではすまされない暑さが続いています。言うまいと思えどきょうの暑さかな。。。

「水牛のように」を2018年8月1日号に更新しました。
初登場の岡田こずえさんは若いカメラマンです。岡田さんが片岡義男『珈琲が呼ぶ』の写真撮影の担当だったことから知り合い、いま編集中の片岡さんの新作電子本のためにも撮影をお願いしています。アメリカ出張の話を聞きながら写真を見せてもらい、おもしろいので、水牛に書いてとお願いしました。ここに載せたのは写真の一部です。そのうちすべてを公開したいと思っています。
時里二郎さんの『多可乃母里(たかのもり)』の連作がスタートしました。

久しぶりに近々のコンサートのお知らせをひとつ。
YxS Crossing第2回「高橋悠治作品とともに」
打楽器:安江佐和子 ピアノ:加藤真一郎
高橋悠治:吹き寄せ、花の世界、打バッハ/クセナキス:プサファ/杉山洋一:Jeux(世界初演)
8月3日19時開演  8月4日14時開演 東京コンサーツラボ
一般:4000円学生:3000円 予約・お問い合わせ 東京コンサーツ 03-3200-9755
詳細はこちら

昨夜見た火星は赤かった。来月の更新のときには涼しくなっているでしょうか。地球よ、だいじょうぶ?

それではまた!(八巻美恵)

2018年7月1日(日)

雨があまり降らないうちに早々と梅雨明けしてしまった東京は真夏なみの暑さが続いています。夏のあいだの水はだいじょうぶかなのと気になります。いまもう真夏だとしても、秋が早く来るとは限らず。これまでは確かにめぐっていた季節というものがしだいに変化しているのを感じます。

「水牛のように」を2018年7月1日号に更新しました。
最近は夜になると比較的早い時間にPCをシャットダウンするようにしています。きょうお届けする原稿は6月30日の夜にはまだ二つしか届いていませんでした。7月1日の朝、起きてすぐPCを起動してみると、ずらずらずらっと原稿が並んでいたので、ニンマリしました。深夜や早朝の送信時刻を見ると、なぜかニンマリ度が高まります。自分が意識もなく眠っているときにしらじらと起きていて原稿を書いている人たちの姿をつい想像してしまうからです。

今月もぼんやり考えていること。今年は水牛楽団など、以前水牛レーベルで出したCDの音源をいくつか公開しようと思っています。水牛楽団はメンバーの西沢幸彦さんが亡くなり、「冬の旅」は歌った斎藤晴彦さんが亡くなり、彼らといっしょにこれから実際に何かをおこなうことは出来なくなりました。だから彼らとともに過ごした記念に、と言ってしまうと少々おおげさかもしれませんが、誰でも聞けるようにしておきたいと思うのです。長そうなこの夏の間にあれこれ考えて、秋には具体的にしたい。ぼんやり、決意として書いておきます。

それではまた!(八巻美恵)

2018年6月1日(金)

湿度の低い快晴の6月の訪れ。朝から何度も洗濯機を回しています。晴れはあと何日続くのでしょうか。梅雨前線よ、いま少しの間、遠くにいておくれ。

「水牛のように」を2018年6月1日号に更新しました。
自分というものが偶然の産物であると知っていれば謙虚でいられます。そして自分と自分以外とは明確に違うと感じていても、実はここからは自分、ここからは自分以外ときちんと線引きして示すことはできないと思います。皮膚の内側が常に外側の影響を受けているように、自分というものは自分以外に対して、自分が感じている以上にいつも開かれていて、にじみ出ていっているはずです。

洗濯物を干しながら、明るくどこまでもつきぬけているような青い空をぼんやり見ていると、そう遠くない将来に自分がこの世界からいなくなること、私が出会った人すべてもいなくなることが、リアルにせまってきます。だからといって、どうなるというわけではありません。でも空をぼんやり眺めるのはいいことです。

それではまた!(八巻美恵)

2018年5月1日(火)

うるわしき五月の訪れですが、季節はすでにずっと先をいっているようで、きょうの東京は初夏のような気候です。それでも五月というのは気持ちも快適に軽く、どこか遠くまで行ってみたくなります。でも出かけるとしてもゴールデン・ウィークが終わってからにします。

「水牛のように」を2018年5月1日号に更新しました。
ゴールデン・ウィークのまっただなかですが、水牛の更新日を忘れずに原稿を送ってくださった書き手のみなさん、ありがとう。あら、今月はないの? と思われる人がちらほらいますが、少し遅れて原稿が届くこともあります。その場合は追加しますので、連休が終わるあたりにもう一度覗いてみてください。

昨夜は満月でした。そのことを思い出して夜空を見上げると、月は薄い雲のかなたでおぼろにふくらんでいました。久しぶりに見たホロスコープによれば、きょうもまだ満月のムードのなかにあるそうで、私の星座は「ちょっと難しい花を活ける、みたいな日」とあります。きょうの使命はこの水牛の更新だけなので、そのことなのかと思ってみました。

バリトン・サックス(栃尾克樹)とピアノ(高橋悠治)の『冬の旅』を聞きました。ことばのない冬の旅、バリトン・サックスの歌はブルースでしたよ! シューベルトのときにはサックスもブルースもまだなかったはずなのに。

それではまた!(八巻美恵)

2018年4月1日(日)

冬から一気に初夏のような陽気がやってきて、早めに満開となった桜に昨夜は3月二度目の満月でした。変わる季節がもたらしてくれる自然は気がすむまで愛でればいいのですが、困るのは着るものです。このところ毎日衣替えが必要な気候なので、友人は「ユニクロに住みたい!」などと叫んでいます。(笑)

「水牛のように」を2018年4月1日号に更新しました。
先月書いたとおりに、小泉英政さんの「若かりし日に書いたものから」をFBへの投稿から転載しました。心づもりとしてでも予定を書いておくのはいいことかもしれません。記憶力が怪しくなっても、こうして予定のとおりに出来ることもあるのですから。日記には今日の出来事ではなく、明日やることを書くようにすれば長続きするな、と考えたこともありました。

最寄りの駅前で毎年おこなわれる「桜まつり」は今年は4月15日らしい。駅前は八重桜の木が植えられているので、花の時期は少し遅いけれど、今年はすでにほころびはじめています。15日まで持つかどうか。タクシーの運ちゃんが熱心に語ってくれた話によれば、桜まつりの日程はいつもアトラクションでお目見えする歌手の予定で決まるのだとか。ほんとかどうかは知りませんが、ほんとうであっても、人間のそんな事情に無関係に花は咲きます。すがすがしいですね。

それではまた!(八巻美恵)

2018年3月1日(木)

前夜の予報では春の嵐で朝は荒れると言われていましたが、きょうの東京の朝は予報ほどではなく、昼間は予報どおりに気温があがっています。東北から北海道は大荒れのようですし、ヨーロッパも大寒波、やっぱり春は激しく荒々しい季節です。

「水牛のように」を2018年3月1日号に更新しました。
激しい春にはまた震災の記憶もあります。あの日の東京は春というには遠く、小雪の舞う寒い日でした。
小泉英政さんから、FBを始めたとメールが来たのは1月だったと思います。1月8日の投稿にはこうあります。
「今年、70歳にならんとする老農夫の僕の発する言葉が世の中にどう受け止められるのか、皆目、見当もつかなけれど、なにか、花を一輪ざしにさすように、フェイスブック上に置いてみたくなった。」
詩も載せるというので、いくつか水牛に転載することにしました。最初はよく知っている「ごえもん風呂」から。次回は「若かりしころのものより」とカテゴライズされているものをいくつか、と考えているところです。

明日は満月。7年めの11日は日曜日ですね。『えみしのくにがたり』は出たばかり、読んでみようと思います。

それではまた!(八巻美恵)

2018年2月1日(木)

明日の朝は雪の予報が出ている東京です。前回降った雪がまだ残っているというのに。ゆうべは晴れて皆既月食がよく見えました。ほんとうに赤い月。どんなにたくさんの人がこうして空を見上げているのだろうと思いながら、ベランダに立ち、月にむかって首をぐいっとそらすのでした。

「水牛のように」を2018年2月1日号に更新しました。
西大立目祥子さんと四釜裕子さんの原稿に林のり子さんが登場しているのは偶然です。わたしも先日友人たちを伴って、林さんに会いにいったばかりなので、かるい驚きです。
JIM NETのチョコ募金はずっと続けています。首謀者のさとうまきさんは大変そうですが、あのチョコをプレゼントした人はみな気に入ってくれます。まずパッケージのかわいらしさに打たれ、そして成り立ちについて興味を持ってくれます。バレンタインデーには少し早いけれど、よく行くラーメン屋さんの店主にあげたら、この店にも置きたいな、と言ってましたよ。

新聞に五木寛之『百歳人生を生きるヒント』という本の広告が掲載されていました。それによると、百歳人生では、50代は事はじめ、60代は再起動、70代は黄金期、80代は自分ファースト、90代は妄想のとき、なのだそうです。なるほど、と笑えます。わたしは70代なので自分は黄金期にいるらしいのですが、いっしょに暮らしているのが自分ファーストの人と妄想のときの人なので、そう単純に黄金期を謳歌することはできませんね。

それではまた!(八巻美恵)

2018年1月1日(月)

きのうの大晦日、東京は雪がちらついた曇天でした、きょうはうってかわって快晴の元旦です。
明けましておめでとうございます。
ことしも水牛をよろしくお願いいたします。

「水牛のように」を2018年1月1日号に更新しました。
新年初の更新ですが、ほとんどの原稿が書かれたのはまだ今年になる前です。何時間しか違わないのに日をまたぐという感覚がいつもより強く意識されてしまいますね。

管啓次郎さんの5冊めの詩集『数と夕方』が届きました。水牛に掲載した詩もいくつか収録されています。文庫版のようなサイズですが四隅がまあるくカットされているので、モレスキンのノートブックを思い出す美しい本です。モレスキンみたいと思って開くとそこに詩がある、というのは楽しい。手にとってみてください。

「人生は非常時の連続である。」
「〈とりあえずお昼〉と〈とりあえず寝る〉ことより以上の大事なことはない。」
「良心は悪。」
「非行は健康の素。」
などなど、ことしも田辺聖子の〈人生のひとりごと〉を支えに持って過ごしていきます。

それではまた!(八巻美恵)

2017年12月1日(金)

昼間は晴れる予報だったのに、太陽は雲のむこうに隠れたままで日没となってしまった一日。夕方に啼く鳥がいるので、姿を探すと案外ちいさい。あのちいさな体からあの大きな啼き声が出るのがいつも不思議です。ことしのカレンダーをめくるのはきょうが最後です。そして来週月曜日はことし最後の満月ですね。

「水牛のように」を2017年12月1日号に更新しました。
今年最後の更新ということに若干の思いのあるものや、それとはまったく関係のないものや、いつものように取り揃えてお送りします。冬であること、そしていろんな意味で時間や空間を旅すること、それらが全体を覆っています。寒いときにはもっと寒いところを旅するのが魅力ですが、寒さというものを存分に経験していると、つい南を目指してしまうこのごろです。

一年ぶりに出したウールのセーターが虫食いだらけだったので、捨てようと思ったのですが、試しに繕ってみることにしました。虫食いの穴の周辺をちくちくと縫うだけですが、ラメ入りの刺繍糸を使って、目立つように運針してみたら、無地の紺色のセーターがおしゃれに変身。古いけれども着やすく暖かなセーターなので、この冬も着ます。こんなふうに繕ったと言いたいところですが、黙って着ていればいいのです。

そして、原稿を待つうちに、今年の流行語大賞に「忖度」も決まったと知りました。秋に片岡義男さんたちと京都に行ったときに、駅の売店で「忖度まんじゅう」なるものが売られていて、同行の某出版社の人が職場のお土産に買っていた脇で、そのまんじゅうの見本をじっくりと眺めていた片岡さんでした(笑)

それではまた。よい年が来ますように!(八巻美恵)

2017年11月1日(水)

ひと月ほど前倒しになったような寒さがしばらく続いたので、一部だけ冬の衣服を出して、半袖はしまいました。日本では四季があり、ひとつの季節は三か月です。その三か月を前の季節から次の季節かけての移行と考えれば、三日ごとに次の季節に向けて移っていく。それなら、持っている衣服で100通りの組み合わせができればいいわけですが、計算は計算で楽しいけれど、そうは単純にいかないのが毎日の現実の気候ですね。きょうの東京の午後は温かく、少し歩くと、白い山茶花が満開でした。もう冬、です。

「水牛のように」を2017年11月1日号に更新しました。
はじめての登場は溝上幾久子さん。以前からの知り合いであり、彼女のエッチングの工房を見にいきたいと思って、実現しないままです。最近のSNSでおもしろい投稿を見て、書いてもらおうと思ったのでした。今月に限ってではありますが、溝上さんと璃葉さんの絵の色合いが似ているのは偶然ではないかもしれません。

冬になるとチョコレートがおいしくなります。さとうまきさんのJIM-NETのバレンタインチョコには最初から寄付してきました。生死にかかわる重いことがらですが、そこに軽さとパンクが加わると抽象性が高まって本質がよく見えてきます。チョコレートの原料はカカオで、カカオの学名はギリシャ語で「神の食べ物」を意味するのだそうです。

それではまた!(八巻美恵)

2017年10月1日(日)

そこここで金木犀が香る東京の日曜日。酔芙蓉の大きな木にはたくさんの花が咲いています。咲いたばかりは真っ白。時間がたつにつれて淡いピンクから濃い紅色にまで色づいてきます。花は一日でおわり。おしまいに近いのは花びらが閉じて濃い紅色をしていて、次の日にもそのまま木についていたりしますが、ほんとうに酔っ払っているような風情です。太陽に当たることによって、しだいに赤くなっていくというのが真相のようですが、歩きながら美しい酔っぱらいに見惚れます。

「水牛のように」を2017年10月1日号に更新しました。
大野さんの原稿の冒頭にあるように、「10月は休む傾向が」ある、つまり原稿の数が少ないのは今年も当たっているようです。これまで考えたことがありませんでしたが、何か理由があるのでしょうか。まあ、10月はたそがれの国ではあるのです。とはいえ、先月はお休みだった人が復活していたりするので、ひどく少ないというわけではありません。じっくりと読んでください。

次の更新のときには衆議院選が終っています。日本の政治はもう一歩凋落への道を進んでいるかもしれませんが、日々は続きます。

それではまた!(八巻美恵)

2017年9月1日(金)

ある日を境に季節が変わる、今年の9月はそんなふうにやってきました。事実は2、3日前からグッと涼しくなったのですが、そこに9月が加わると、ほんとうに夏は終わったのだなあと、あんなに文句を言った暑さをもう懐かしく思い出します。今年は秋の服を早めに出しておくほうがよさそうですね。

「水牛のように」を2017年9月1日号に更新しました。
藤井貞和さんの詩集『美しい小弓を持って』(思潮社)が発売になっています。スランプもあり6年ぶりの詩集ということですが、「水牛のように」には毎月かかさず書き続けてくださっています。
水牛がそのような場として機能しているのはほんとうにうれしいことです。

このところずっと小説を読むのがおもな仕事でした。それが一段落したところに、小説についてのこんな文章を偶然に読んで、ほっと一息。
「(漱石の)他の小説の題名は『それから』と言う。書くことは、ただたんに次に来るものを知ることだ。小説はそれ以上のものではない。人生の無限の「その後」のほうへと向けられた視線なのだ。」(フィリップ・フォレスト『さりながら』澤田直訳 白水社 2008年)

それではまた!(八巻美恵)

2017年8月1日(火)

東京では湿度の高い八月のはじまりの日です。ここ何日か、夏の快晴はありません。とはいえ、太陽からの直射がないと、道を歩くのは案外快適なので、どこへでも歩いて行けてしまうのですが、真夏なのに照りつける直射がない昼間はちょっぴりさみしく、どうしたのかなと思ってしまう。勝手な人間です。

「水牛のように」を2017年8月1日号に更新しました。
来るはずの原稿を待ちつつ、そのあいだに少々あそんだりもして、こうして更新できることは、原稿を書いて送ってくださるみなさんのおかげです。何度も書いているように、催促はほとんどしない方針を確立できたのは、やはり水牛という小さなメディアを貫いてきたからだと思っています。編集者として意識的あるいは意図的にまとめあげるのではなく、植物がゆっくりと繁茂していくようにまかせてみよう。そう考えています。それはひとつひとつの原稿のことでもあり、それらがずらずらと並んでいる毎月のことにも言える、複雑系です。

エドワード・D・ホックというミステリー作家の怪盗ニックシリーズを愛読してきたのですが、「怪盗ニック全仕事」にまとめられたのを機に年代順に再読しはじめました。価値のないものを盗むことだけ引き受けるプロの泥棒のいくつもの短編です。寝る前のひとときにひとつ読んで、ふふふと笑うといいのです。

それではまた!(八巻美恵)

2017年7月1日(土)

2017年の後半がスタートしました。蒸し暑さにとりかこまれて、都議会選の選挙カーがとくにうるさく感じられる昼下がり。窓の下の交差点でちょうど赤信号に止められたりすると最悪です。きょう一日、これから夕方まではガマンをしなければ。

「水牛のように」を2017年7月1日号に更新しました。
新たに北村周一さんをお迎えしました。吉祥寺美術館での展覧会「フラッグ《フェンスぎりぎり》一歩手前」ではじめて作品を観て、北村さんにもはじめてお会いしました。それからビールやワインを飲みながらお話ししているうちに、アンテナがプルルと反応したので、原稿もお願いしてしまったのでした。北村さんのブログ《フェンスぎりぎり》では、写真とともに一首短歌が載っています。

今月は体調不良で原稿を休むというメールがいくつか届きました。ミラノでは杉山さんの息子さんも入院だというし、みなさん、ちゃんと養生してくださいね。

それではまた!(八巻美恵)