2019年12月1日から、水牛のホームページ上で『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』のPDF版が公開される。公開にともない、『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』にかんする文章を「水牛だより」のコーナーでこれから書くことになった。それはこの二つの刊行物に掲載された記事を少しずつ読み、紹介する文章となると思う。とはいえ、紹介するのに必要な知識などないのだから、もとより案内役などできるはずもなく、文章を書くにあたって、ここしばらくどうしようかと悩んでいたし、実は、今も悩んでいる。
悩んだ時は、これまでの経緯を振り返るとヒントが見つかることがある。だから、少しだけこのPDF公開がどのような出会いによって実現したか書いておこうと思う。僕と「水牛」との出会いは2019年11月の「水牛のように」で触れたとおりで、もともとは「水牛楽団」の活動に関心があって、そこから刊行物の方へと目が向いたのである。『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』は1987年にリブロポートから水牛通信編集委員会編『水牛通信:1978-1987』として本の形になっているのだが、これは数多ある記事から抜粋したものを集めた一種のアンソロジーで、これだけでは『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』の全貌を知ることはできない(それでも、少し大きめの厚手の紙に印刷された『水牛通信:1978-1987』は、子どもの頃読んだ古い雑誌や児童書を思い出させてくれる、僕の大好きな本の一つだ。今では古本でしか手に入らないようだから、こちらもいつかホームページ上で公開できたらと思っている)。どうにか「水牛楽団」の刊行物を読むことはできないだろうか、と思った僕は、2018年7月31日に、水牛ホームページに記載されているメールアドレスに次のようなメールを送ったのである。
「水牛」さま
初めまして。
突然メールをお送りしてしまい申し訳ございません。
福島亮と申します。
水牛楽団についておうかがいしたく、メールを書くことにいたしました。
(…)
私はリブロポートから出版された『水牛通信:1978-1987』を読みながら、そこに収録されていないものも読みたいと思いました。
(八巻さんのあとがきによれば、本に収められたのは、100号分の一割弱だそうですが、私は残りの九割も読みたいのです。)(…)
今読み返せば厚かましい文面で、これでは返事など来ないのでは、と思われるメールである。が、翌日、8月1日になんと八巻さん本人から返事が来たのである。そこにはこう書いてあった。「水牛通信は各一部しかありませんし、いくつか欠号がありますが、すべてお送りしてもいいですよ。薄い冊子100冊分ですから、小さな段ボール箱ひとつにおさまる分量です。」そして、8月17日、その頃住んでいた三鷹台のアパートに小包が届いた。それは小脇に抱えられるくらいの本当に小さな段ボール箱だった。開けると、整理されたタブロイド新聞と冊子が入っていて、おまけに淡いブルーのインクで書かれたメッセージカードと一緒に『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』(サウダージ・ブックス、2012年)が入っていた。僕は9月4日には日本を離れ、パリに留学することになっていたので、それから大急ぎでお礼のメールを書き、お借りした『水牛 アジア文化隔月号』と『水牛通信』をPDFにした。こうしてPDF化したものが、今インターネットを介して、全世界に届けられる資料なのである。資料は公開される。その資料以上に何か付け加えるものなどあるだろうか?
最初に述べたように、これから何を書いて良いのかものすごく悩んでいる。いまこうして「水牛」のホームページが読まれている以上、「水牛」は過去のものではないから、どういう気持ちで(しかも「水牛」そのもののサイトで)書いて良いのかよく分からない。確かに、「水牛楽団」としての活動は1985年には終わっている(2001年に出たCD「水牛楽団」に三橋圭介氏が寄せられた解説による。実際には、その後も必要な時は少しだけ演奏したこともあったそうである)。そして、『水牛通信』はその2年後、1987年に通算100号で終刊を迎える。でも、「水牛」は活動の舞台をホームページに移して、こうして今でも活動しているのだ(そう考えると、そもそも「水牛」ってなんだろう、という疑問が出てきてしまうのだが、それについては今は考えないことにしよう)。まだ現役で執筆している作家の伝記を書くことが難しいように、「水牛」について何か論じたり、分析したりすることは、僕にはとても難しい。ただ、『水牛 アジア文化隔月報』や『水牛通信』を読んで強く心を動かされたことだけは本当なのだ。もしも僕に何かを書くことができるとしたら、この本当のことに拠って立つしかないのではないか。どうしようもなく主観的なものかもしれないけれども、読んだ時に僕の頭をガツンと殴ってくるような強度を持った文章をどうにかして誰かと分け合うことはできないだろうか。そういう自問からスタートして、これから少しずつ『水牛 アジア文化隔月報』と『水牛通信』を読んでいこうと思っている。できれば、僕が読んで、心を動かされた文章をここに書き写すことで、読者に僕の心の動きと、その動きのもとになった文章を届けることができたらうれしい。そして、興味を持ってくれた人が、PDFをどんどん読んでくれたらもっとうれしい。
強度を持ったことばを手渡すこと、それがこのコーナーで僕が自分に与えたテーマだ。このテーマを教えてくれたのも、じつは「水牛」なのである。『水牛 アジア文化隔月報』創刊号には次のようにある。「『水牛』は市販しませんので、ぜひとも予約購読をお願いします。(中略)アジア各国の文化の動きについて、日本で文化市場向けの商品生産とは無縁に、さまざまなしかたでこころみられつつあるある文化の動きについて、原稿を送ってください。」(8頁)僕もこれから、商品生産とは無縁に、「水牛」を読み、読んだものを誰かに手渡ししたい。
というわけで、これから散歩でもする気持ちで「水牛」を読み、心動かされたものや、面白いと思ったもの、気になったことなどをここで書いていきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。 (福島 亮)