2016年12月1日(木)

朝起きたときにはぼんやりした曇り空。午前中に少し陽ざしがあったので、洗濯物もかわきました。午後はまた曇り、しかし気温は低くない、そんなとりとめのない一日が過ぎていきます。天気予報は好きだけど、ただ見ているだけで期待は何もありません。不思議です。

「水牛のように」を2016年12月号に更新しました。
笠井瑞丈さん、初登場です。かつて、インドネシアのサルドノ・クスモさんの振り付けで、彼をはじめて見ました。それから彼の踊りは何度も見ています。踊りに言葉は必ずしも必要ではありませんが、あえて、何か言葉にしてくれたらな、と思い、めでたくデビューとなりました! なんとなく脱力系の人に見えるのですが、果たしてどうなのか、そこも知りたいところです。
今年最初の忘年会で、10月が誕生日だった私は特別にプレゼントをもらいました。カート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』。璃葉さんの「あやとり」を読んで、猫のゆりかご、とはあやとりのことだと思い出しました。
マンガは好きですが、アニメは苦手。と、思っていたけれど、西荻ななさんの「画材に気持ちがのってゆく」を読んで、ダメ元で見てみようかな〜と思ったり。。。

マンガは好き、と書きました。ジャンルは少女マンガです。かつて、月刊雑誌を買って読むのを楽しみにしていました。しかし、その習慣をいつの間にか失うと、なにがなにやら、どれがどれやら、わからなくなるのですね。ついこの間、『傘寿まり子』がおもしろいと、年下の友人に聞いて読んでみました。確かにおもしろい。少女マンガであり、主人公は80歳です、傘寿ですから。これを30代や40代の人が読んで少しでも解放されるといいなと思います。

それではまた!(八巻美恵)

1016年11月1日(火)

朝起きたときにはすでに降っていた雨がお昼すぎにやんで、一瞬のあいだに陽ざしが出てきて明るく暖かくなりました。長い夜がやっと明けたような11月の午後です。

「水牛のように」を2016年11月号に更新しました。
藤井貞和さんの詩はわかりやすいとは限りませんが、わからなくてもおもしろいと思うのは、「希望の終電」というタイトルに見られるような、藤井さんの現実のとらえかたのせいであり、またそこから出てくることばの力でもあります。うたうのは土人と言われた側であり、しかもいつだってチョー過激です。

いまちょうど読書週間らしいので、分厚い翻訳の本を2冊紹介します。翻訳者はふたりとも水牛でおなじみ。
出版順で、まずは『翻訳のダイナミズム:時代と文化を貫く知の運動』(スコット・L・モンゴメリ)翻訳は大久保友博(大久保ゆう)さん。ありそうでなかった翻訳の世界史です。500ページ。
そして『アメリカーナ』(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ)翻訳はくぼたのぞみさん。アフリカ、アメリカ、ヨーロッパの「三大陸大河ロマン」とオビにあるだけあって、544ページ、しかも2段組みです。
ところどころ拾い読みしながらも、机の上に積読状態で、精読する時間を探している読者としては、どうしてこういう仕事がきちんと出来るのか、いつか聞いてみたいものだと思います。

片岡義男さんの書き下ろしエッセイ『万年筆インク紙』を担当しました。晶文社から11月11日に発売の予定です。これは288ページで、ふつうより少し厚めかな、というところですね。「青は思考の色だ。思考の跡は青いインクによる文字として残る。」というわけで、いろんな万年筆やインクや紙を試した片岡さんから送られてきたインクなどがたくさんたまっているのです。使いきれるのでしょうか。

それではまた!(八巻美恵)

2016年10月1日(土)

きのうはからりと晴れて、新鮮な木星の香りが部屋まで入りこんで、むせかえるようでした。月が変わって、きょうは10月の始まりにはあまりふさわしくないどんよりとした空模様、気温も低めの東京です。

「水牛のように」を2016年10月号に更新しました。
更新のまえには届いた原稿をすべて開いて読みながら、掲載の順番を考えたりします。そのときはいつも、世界は言葉でつくられていくことを感じます。綴られた言葉を読むことで世界を見る。決まりきった毎日の生活のなかで起きる、ふだんと違うことに意識が向くことが多く、それらを書いたり、話したりしたくなります。自分がおどろいたことを人にも伝えたいわけですね。しかし、決まりきったことがらのほうが圧倒的に多いし、それでも毎日が同じわけではないことを思うと、自分ではそういうささいなことをきちんと書けるといいなあと思ったりします。何のためにそんなことを書くの? と問うてみても答えはないのですけれど。。。

きょうは新月で、そしてコーヒーの日でもあるのだそうです。それならばと、毎朝欠かさずに飲むコーヒーを午後にもひとりでもう一杯、楽しみました。八百万の神さまがたが不在のひと月でもありますね。

それではまた!(八巻美恵)

2016年9月1日(木)

異例のコースをたどった台風11号が過ぎてゆき、夏のしっぽが意外に長そうな気配の9月が始まりました。ラム酒をくぐらせた西瓜をたっぷりと食べおえて、次は葡萄だな、と思うちょうどそのような季節です。

「水牛のように」を2016年9月号に更新しました。
杉山洋一さんは毎年8月はたいてい日本にいるので、一度は会って呑んだり食べたりしながら話す機会をつくり、ついでに来られそうな水牛の執筆陣にも声をかけるのを楽しい恒例にしていました。が、今年はその時間がありませんでした。忙しすぎるのは今年かぎりにしてほしいものです。
「恥ずかしい」長谷部さんは新しく出る本のタイトルすら書いていませんが、1冊は『メモランダム』(河出書房新社 9/21)です。

夏の盛りに、はじめて夕食をともにした女性はいまや絶滅危惧種のヘビースモーカーでした。食事中にも席を立って、煙草を吸いに外に出ていくほど。雨上がりの帰り道で聞いたら、一日4箱くらい吸うとのことで、世の中の趨勢とは逆に、少しうらやましくなってしまいました。お酒も強くて、食後のマールはいっしょに飲みました。昔の映画を観ると、煙草とお酒はストーリーにもスクリーンにも魅力を添えるものだと感じることが多く、あの夜のひとときもそうした映画のなかのワン・シーンのようでもあったのでした。

それではまた。(八巻美恵)

2016年8月1日(月)

梅雨が明けて東京にも夏がきました。ことしは、風がとおればエアコンなしで耐えられる程度の、久しぶりに夏らしい暑さの夏です。夕立というには早い午後でしたから、スコールと呼ぶほうがふさわしい雷をともなう激しい雨がさきほど降って、空気が洗われたような午後です。

「水牛のように」を2016年8月号に更新しました。
ベストセラーそのものに罪はないにしても、世の中のたくさんの人が読んだり聞いたりするものなら、別に私は読まなくて聞かなくてももいいように思えます。時間は限られているのですから、それならば少数の人に読まれ聞かれてているものを選びたい。
この水牛もそうですが、自分が編集をしたり公開しているものもは、あまり多数の人に届かなくてもいいとどこかで考えています。必要な人がいれば、きっと探しだして読んでくれるはず。浴びるように降ってくる情報は受けとる側にとってはあまり関係のないものばかりで、自分がほんとうに求めているものはほとんどないと実感します。編集の仕事の場合には、情報を出す側ですから、具体的な数字を早急に出すことをまず求められるのですが、努力はするにしてもそう単純にはいきません。これも多くの編集者の実感だと思います。小さなものが自由にたくさん存在している世界がいいなと思っているうちに、多数決という民主主義の決めごとにもおおきな疑問を感じるようになってしまったこのごろです。さて、どうするか。

それではまた!(八巻美恵)