『砂漠の教室線――イスラエル通信』 藤本和子

目次    


砂漠の教室 I

砂漠の教室 II

イスラエル・スケッチI
 ベドウィンの胡瓜畑
 銀行で
 雨の兵士
 スバル
 乗り合いタクシーの中で
 鋼鉄《はがね》の思想


ヨセフの娘たち

イスラエル・スケッチII
 
影の住む部屋
 悪夢のシュニツェル
 オリエントの舌

   
――言語としての料理
 オリエントの舌

   
――ハイファの台所
 あかつきのハデラ病院
 知らない指
 おれさまのバス
 建設班長
 山岳の村


なぜヘブライ語だったのか

    イスラエル・スケッチII

 影の住む部屋

 砂漠の教室を卒業して、わたしたちはハイファに住むようになった。アパートを借りたのだ。砂漠の教室が終了する一カ月前に借りた。そして、週末はそこで暮すようにしていた。小さな箱のようなホテルの部屋にいてもつまらないし、週末ごとにあちこち旅行するのもたいへんだし、なんとか静かにいられるところをもとうということで、友人の世話で借りたアパートだった。
 それはいわくのあるアパートだった。離婚した女性の精神医が持主だったのだが、彼女は離婚してから精神病になって、それがとても重症でついに四年も病院を出たり入ったりする生活を続けた。当時はもう退院してテルアヴィヴの診療所の精神科の主任になっていた。けれども、彼女はこのアパートにもどってくることを極度におそれていたので、アパートは四年余りも放ったらかしになっていた。アパートといっても、四戸しかない建物で、一階に二戸、二回に二戸というふうになっていた。わたしたちが借りたのは一階で、広い庭があり、まるで一戸建ての家のような感じだった。
 一階であったから、四年もそのままになったいたそのアパートには、野鼠が入りこんだ。きょうから暮そう、と行ってみたはいいが、台所の抽斗しという抽斗し、戸棚という戸棚に鼠のフンがまるであふれるごとくあって、度肝をぬかれ、落胆し、情けなくなった。もう空気も冷たくなっていた十二月の末、わたしは鼻水をすすりつつ、二日がかりでフン退治をしたのだった。気持が悪くなって、しばらくは食事もまずかった。
 家具も食器類もシーツもタオルも使ってよろしい、といわれた。ありがたいことだったがシーツもタオルも四年のあいだに四度訪れた雨期の湿気を吸ったまま、すっかり黴くさくなってしまっていた。そこで、二日がかりでシーツとかタオルとかナプキンとか布巾とか洗濯機八杯分全部洗った。洗濯機がよく脱水しないので、ビチャビチャの洗濯物を乾しに行くと、外では冷たい風が吹いて、手がかじかんだ。
 戸棚の中に発生した黴は拭いても拭いてもにおいがとれない。いい匂いが出る樟脳のようなものを買ってきてあちこちに置いてみたが、こんどはその匂いと黴のにおいが混ざってなお変になった。
 でも、このようなことはどうということもない。アパートのことになれるまで一番時間がかかったのは子供部屋のことだった。
 家主のマリアナには一三歳になる娘が一人いた。書斎の本棚に、その娘が海浜に立っていて、逆光の太陽で姿がシルエットになっている美しい写真があった。水がキラキラ光っていて、髪の毛の長い、あまいにおいのしそうな肢体の子供の写真だ。
 マリアナはこの娘の持物を全部保存していた。おしめまではないが、ゴムの乳首がとってあったり、赤ん坊の服や靴がとってあったり。引越した日、陽ざしの明るいこの子供部屋に入って、その少女の九年間の歴史がそこにそのまま置き去りにされているのを見たわけだった。少女は母親の発病いらい、キブツに引き取られて暮している。
 九年前のある日、母親の急な入院が決まって、身のまわりの物だけを小さなスーツケースに詰めてこの家を出て行った少女は、それから一度もこの部屋を訪れていない。わたしたちが引越したとき、その部屋は九年前の、少女のその出立の日のままの姿をしていたのだった。
 その部屋に入ってカーテンの紐を引くたびに、たくさん並んだぬいぐるみの動物たちと目が合ってしまう。子供用の小さな椅子に腰かけて本を読んでいた少女のことを考えてしまう。ハンガーにかけられたギンガムのドレスが包んでいたあたたかなからだのことを思ってしまう。それら一切と別れてキブツの子供になった少女のこと、とても美しいすらりとした娘に成長しているという少女のこと。
 わたしはその部屋に踏みこむたびに、会ったこともない少女のもっとも私的な領域をおかしているという気持がしてしまうのだった。たしかにいまは脱殻となった領域ではあるが、まったくよその見知らぬわたしの目にさらされていることが気の毒だった。少女が残して行ったある物たちが、その少女について少しだけなにかを語るような気のする日もあったけれど、たいがいは、やはりなにもわからない、と思った。壁の釘にかけられたビーズの首飾りをじっと見つめていたりすると、そのことでこの部屋から呪われるんじゃないか、とふとこわくなってしまうのだった。
 そう、この陽ざしの明るい、九歳の少女で停止してしまった部屋に関心を寄せることじたい、よくないおそろしいことのように思われるのだった。だから、このサンルームの子供部屋は陽ざしの暖かさと明るさにもかかわらず、わたしには鬼門のような気がして、そこへ行くと緊張してしまうのだった。
 家の中の脆い瀬戸物や家具はこの部屋に入れることになっていたので、わたしはここを少し片付けなければならなかったが、そうすると見えない少女がさらにかき消されるようで、それもいやだった。冬がすぎて、気の狂ったように花の咲く春がくると、少女の部屋の窓の下には、うす桃色の野生のシクラメンばかりが咲いた。シクラメンの時期がすぎて、わけのわからないパンジーのような強い黄色い花が庭一面に咲くころ、わたしはこの部屋にも受け入れられたと感じはじめたのだが、そうすると、少女の影はもうすっかりいないようで、ふとさびしい気持がするのだった。


河出書房新社 1978年11月25日発行




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