目次
砂漠の教室 I
砂漠の教室 II
イスラエル・スケッチI
ベドウィンの胡瓜畑
銀行で
雨の兵士
スバル
乗り合いタクシーの中で
鋼鉄《はがね》の思想
ヨセフの娘たち
イスラエル・スケッチII
影の住む部屋
悪夢のシュニツェル
オリエントの舌
――言語としての料理
オリエントの舌
――ハイファの台所
あかつきのハデラ病院
知らない指
おれさまのバス
建設班長
山岳の村
なぜヘブライ語だったのか
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イスラエル・スケッチII
おれさまのバス
ガザを訪れたときのことだ。
テルアヴィヴからエゲッドのバスに乗った。エゲッドのバスは協同組合方式によって運営されている。運転手は出資者である。雇われ運転手は増加している、とも聞くが、基本は運転手は出資者である、ということだ。出資額の標準はバス半台分といわれている。それぞれの出資者はバスを半台所有しているわけだ。なぜあれほど運転手がいばり散らすのか、それでわかった。「おれさまのバス」だからだ。リチャード・ブローティガンの新作『バビロンを夢見て』には、素寒貧の主人公が、バスに乗ったはいいが、バビロンの白昼夢を見ているうちについに終点まで行ってしまい、さて、帰りのバス賃がない、運転手に事情を話して折り返すそのバスに乗せてもらおうとするが、きっぱりと断られるというエピソードがある。そのとき運転手は、「おれのバスから降りろ」という。主人公は「おれの」という表現にムカッとする。だが、イスラエルなら、「おれの」という表現も正当というわけだ。
エゲッドのバスの運転手の中には驚くべき人種がいる。寒い冬の街路に、風にピューピュー吹かれて四十分も待っていた客を見たって、降りる客を降ろしたら、「急いでいるんだ」といって扉を閉めてしまう。無理に若い兵士が二人飛び乗るようにして乗ったら、カンカンに怒って、おまえらが降りなきゃ動かない、といってエンジンを止めてしまった。バスの中はガラガラに空いている。だが、急いでいるから、誰も乗せられない、というのだ。またあるときは、のぼり坂になっている道を、片手に赤ん坊、片手にベビー・バギーをかかえて、ハーハーいって走ってきた一人の母親の眼のまえで扉を閉めて走り去った運転手も目撃した。
エゲッドの運転手といえば、アラブとの戦争のころは英雄だった。戦火をくぐって人を、情報を運んだのは彼らだった。一斉射撃や地雷で命を落とした運転手も多かった。
エゲッドといえば、いまでも情報を運ぶ重要なネットワークでもある。ガザへのバス旅行についていいたかったのはそのことである。
テルアヴィヴを出たバスはしばらく高速道路を走っていたが、まもなく、ついと横にそれてふつうの道に入ってしまった。あれ、あれと思っているうちに、砂漠に灌漑して農地にした地帯に出た。ここが砂地だったとはとても信じられない緑の野が続く。奇蹟だ、という人々の気持もわかるような気がする。
その地帯に入ると、バスがやたらに停まる。一人二人と降りて、一人ぐらい乗ってくる。なぜかと思ったら、バスはこのあたりのキブツやモシャブのそれぞれの場所に全部停まるからだ。舗装のない道路をガタガタと行く。
そして、運転手は大わらわである。
あそこのキブツで停車したら、モシェの従兄のオフェルは、急に具合悪くなって、きょうはテルアヴィヴからはこられないことになった、と伝えなければならない。
それに――。
おっ、トラクターで向うからやってくるのはキブツMのナタンだ。あいつから映画のフィルムを返してもらってくれと、テルアヴィヴのシュムエルにいわれてるんだ。
(窓を開けて)
運転手 おーい、ナタン。このあいだの映画のフィルムはもう返すことになってるんじゃないか。ちょっともどって取ってこいよ。
ナタン よっしゃ。じゃあ、あとでな。
という具合である。かと思うと、彼は新聞社からあずかってきた新聞の束もあちこちへバサリバサリと配達している。
キブツKに停車すると、キブツNに着いたら、合同演芸会は中止したいといってると伝えてくれと依頼された。
キブツNではハンナが、ヤミットのアリエルに、来週の誕生日のパーティにきなさい、と伝えてほしいとたのんだ。
こうして、情報を落とし、情報をひろいつつ、共同組合バスは行く。目ざすヤミットに着くと、もうすっかり夕方で、背の低い新興都市の建物たちが長い影を落としていた。まっすぐ行けば百キロほどの距離である。二時間余りで行ける。だがエゲッドのバスだと四時間半もかかる。それもしかたない。なにしろ、エゲッドのはただのバスじゃない。情報バスだ。しかも、忘れてはならない。エゲッドのバスは、バス半台を所有する出資者運転手の運転によって移動する「おれさま」のバスである。
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